福音という名の魔薬

 第弐話「知らない天井……だってばさ」

 使徒の正面に出たエヴァ初号機パペット……巨大ロボット型支援兵器は、
「最終安全装置解除。エヴァンゲリオン初号機(パペット)リフトオフ!」
 ミサトの指令と操縦に従って使徒と対峙した。
 背丈が高層ビルに匹敵する人型物体2体であるから、ある意味壮観な光景である。
「ミサト、今は歩く事だけ、考えて。」
 リツコが発令所に特設されたエヴァ初号機の遠隔操縦席に座るミサトに注文を出す。
「あのね……そんな歩くかどうかもわかんないモノ実戦投入させないでよ。」
 聞こえるようにボヤいたミサトが、それでもエヴァを使徒に向かって歩き出させる。
「歩いた。」
 発令所が感嘆のどよめきに包まれ、エヴァ初号機パペットの初稼動を注視する。
「シンジ君。使徒の注意はこっちで引くから、その間にさっきのATフィールドってヤツお願いね。」
「え、“えいてぃふぃるど”って何ですか?」
 シンジはシートベルトを外してリフトの座席から降りながら訊く。
 高Gに晒されたせいか多少ふらついているが、意識はハッキリしているようだ。
「あっちゃ〜。さっきのは偶然かぁ。しょうがない……シンジ君は巻き込まれないように初号機と使徒を結ぶ軸線上から離れて。」
「はい(でも、どう動けば良いんだろ……)。」
 自分が直接戦闘に関っているせいかミサトの指示は比較的まともであったが、ドがつくほどの素人のシンジでは、それでも把握が難しかった。
「リツコ、ライフル出して。」
 どうやら初号機を敵と見定めたらしく、身構えながらゆっくりと近付いて来る使徒を見据えながらミサトは注文を出すが、
「ライフル……ああ、パレットガンの事?」
「そうよ。早くして!」
「ないわ。」
 思ってもいなかった返答に初号機ごとこけそうになるミサト。
「ちょ……ちょっと、無いってどういう事よ!」
「あなた、使用弾丸に劣化ウラン弾申請してたでしょ。」
「ええ。……せいっ! そうよ。それがどうかしたの?」
 体勢を崩したのを好機を見て殴りかかってくる使徒の攻撃を、勘だけでかわすミサト。
「あんな弾使える訳無いじゃない。今新しい弾丸注文してるわ。」
「どうしてよ! てやっ! 劣化ウラン弾はかなり有効な兵器なのよ。うりゃ!」
 ビームもパイルも紙一重で何とか避けまくるが、その為に初号機の後ろは流れ弾で悲惨な状態になってしまっている。
「あのね……アレは着弾したら汚染物質ばらまくのよ。パイロットの事考えたら使える訳ないでしょ。」
 ちなみに、この場合のパイロットとは“被験体”を意味するネルフの隠語で、シンジたちエヴァンゲリオンを服用したチルドレンの事を指す。
「にゃろ……え、そうなの?」
 使徒の腹にある赤い球体…コア…に向かってパンチを繰り出させるが、使徒の張ったATフィールドに阻まれて弾かれてしまう。
「そうよ。」
「じゃあ、使える兵装ビルは?」
「その位置だと無いわ。」
「つっかえないわね〜。おっと!」
 ひたすらエヴァの操縦シミュレーターにこもって特訓してただけあって、ミサトは使徒相手に良く持ち堪えていた。……もっとも、そのせいで基地内の道を覚えられなくて迷子になったという側面もあるが。
「そうすると、使えるのはプログナイフだけか……マズイわね(せめてシンジ君が使徒のATフィールドを何とかしてくれたら、私の手で使徒を倒せるかもしれないのに!)。」
 掴みかかってくる使徒の腕を上方から振り下ろした手で叩き落しながら、ミサトは密かに歯噛みしたのだった。


 その頃……
 シンジは戦場で右往左往していた。
「軸線上に立つなって言われても……どっちに行けば良いんだろう。」
 何せ、シンジは所詮生身の人間。
 巨大ビルに匹敵する巨体がちょっと暴れただけで、少々逃げても追いつかれてしまうのは必定であった。
「とにかく、ここを離れなくちゃ。」
 しかし、かと言って諦めて立ち止まっていては自分の命をチップに割りの悪い賭けに挑むようなものだ。
 使徒や初号機に背を向け、シンジは一目散に駆け出した。
 瓦礫の雨の中を……
「ん?」
 しかし、ほどなく……
 路上に血を流しながら倒れている小さな人影を見つけてしまった。
「女の子だ……。ミサトさん、ここに女の子が!」
 通信機に向かって叫ぶシンジの声は、ミサトの集中を崩してしまった。
 その結果、
「えっ、おん……うわっ! こんにゃろ〜。ていていっ!」
 意識が眼前の使徒から逸れた隙に、使徒の左腕で頭部を掴まれてしまい……
 ガンガンと音を響かせて、杭打ち攻撃が初号機の頭部装甲を襲っていた。
 ミサトも初号機の右腕に装備したプログナイフで応戦しているが、使徒にあんまり効いている様子は無い。
 ……いや、ちょっとは効いてるってだけでも凄いという説もあるが。
「ミサトさん、どうしましょうか。」
 女の子を駆け寄って抱き起こしながらシンジが指示を仰ぐ。
「う〜ん。そうだ。日向君、シンジ君への指示よろしくね。……こっちはちょっち余裕が無いから。
 後半の台詞は小声だったのでシンジには聞こえなかったが、隣のリツコには聞こえた。
「ミサト。頭部の機能を切り離して。そっちのモニターに監視カメラの映像回すわ。」
「サンキュー、リツコ。」
 リツコの助言に従って既にスクラップと化した頭部機構(主にセンサー類)の機能をMAGIで処理した監視カメラの映像と予備カメラの映像に切り替えるミサト。
「シンジ君良く聞いて…」
 しかし、その努力もビルに投げつけられた初号機のどてっぱらに使徒の放ったビームが着弾した事によって水泡に帰してしまった。
「初号機被弾! 配電ユニット並びにモーターの53%が損傷。戦闘継続不能!」
「使徒、初号機に止めを刺さず移動を開始しました。」
「シンジ君逃げてっ!」
 逃げてと言われても怪我をした女の子を抱えたままでは動くのも一苦労だ。
 7〜8歳ぐらいの小柄の娘ではあるものの、とてもじゃないが抱えたままでは素早くなんて逃げられない。
 そうかと言って放り出す訳にもいかない。置き去りにしてしまったら、良くて瓦礫の下敷き、悪くて使徒に踏み潰される運命が待っているのが、使徒が暴れている方を見ただけで否応無く解らされてしまう現状であったからだ。
「怪我人抱えて動けないんだわ……」
「それなら……誰か2〜3人、シンジ君とその子を救助に向かって。」
「しかし、付近に要員はいません。それでは間に合わないんじゃ?」
「ならケイジに居る保安部の要員を向かわせて。シンジ君たち用のリフトを使って。」
 事も無げなミサトの指示に、一瞬凍る発令所。
 他人に死に行けと言うのかコイツ、とでも言いたげな空気がどんよりと垂れ込める。
 しかし……
「シンジ君も命張って戦場に出てくれてるのよ! 大人でプロの私達に出来る事があるんだから、ごちゃごちゃ言わずにさっさと出る!」
 強い語調で命令を繰り返され、ハッとした。
 仕方ないとはいえ、子供を使徒の眼前に出して戦って貰わなければならない現状と、それから来る罪悪感がネルフ保安部…黒服…や作業員たちを弾かれたように動き出させる。
 ちなみに、ミサトが発令所から初号機パペットを遠隔操縦していたのは、まだ有人操縦だと戦闘時における操縦者の保護に問題があるからであった。もし、彼女が今回乗っていたとしたら、使徒の攻撃を食らって致命傷を負っていたであろう。
「使徒がシンジ君を見つけるまでに救助班が間に合うかどうかが勝負ね……。」
「葛城一尉、準備出来ました。」
「かまいませんね?」
 保安部からなる救助班がリフトに乗った報を受け、ミサトが司令の裁可を求める。
「問題無い。」
 そして、当然のように許可が出され
「はっ…」
 発進の命令を下そうとした時、
「シンジ君、使徒に捕獲されました!」
「シンジ君っ!」
 マヤの悲鳴混じりの報告とミサトの掛け値無しの悲鳴が発令所の隅々にまで響き渡ったのだった……。





 真っ白な広々とした寒々しい部屋。
 蝉の声とラジオ体操の音楽がどこか遠くから聞こえる部屋のベッドの上で、シンジは目覚めた。
「知らない天井だ……。」
 再び仰向けに寝転んだシンジは、ポツリとそう呟いた。


 第3新東京の一角、
 昨夜戦闘があった周辺区域を関係者以外立ち入り禁止にして、エヴァンゲリオン初号機パペットの回収作業が行なわれていた頃……
 どこか薄暗い部屋で、6人の男が会議を繰り広げていた。
 最も下座に座るのは碇ゲンドウ。その他の列席者は老人の風貌を有していた。
「使徒再来か。あまりに唐突だな。」
「15年前と同じだよ。災いは何の前触れも無く訪れるものだ。」
「幸いとも言える。我々の先行投資が無駄にならなかった点においてはな。」
「そいつはまだ分からんよ。役に立たなければ無駄と同じだ。」
「さよう。今や周知の事実となってしまった使徒の処置、情報操作、ネルフの運用は全て適切かつ迅速に処理して貰わんと困るよ。」
「その件に対しては既に対処済みです。ご安心を。」
 老人の愚痴混じりの注文に、即答するゲンドウ。
 実際、既に政府や報道機関に手を回して真相は闇に葬っており、一般の人間には真実とほど遠い情報がネルフ広報部を通して提供されていた。
「ま、その通りだな。」
 老人の一人がゲンドウの言い分を認め、注文者は引き下がった。
「しかし、碇君。ネルフとエヴァ、もう少し上手く使えんのかね。」
「零号機に引き続き、君らが初陣で壊した初号機の修理代……国が一つ傾くよ。」
 初号機パペットの修理費は実はそこまで高額では無いのだが、ゲンドウがこれ幸いと誤魔化して過大に請求したので洒落にならない金額へと化けたという裏事情がある。……無論、大きな声では言えないが。
「聞けば、あの薬は君の息子に与えたそうではないか。」
「人、時間、そして金。いったい幾ら使ったら気が済むのかね。」
「それに君の仕事はこれだけではあるまい。人類補完計画、これこそが君の急務だ。」
「さよう。その計画こそが、この絶望的状況下における唯一の希望なのだ。我々のね。」
「いずれにせよ、使徒再来における計画スケジュールの遅延は認められん。予算については一考しよう。」
「では、後は委員会の仕事だ。」
 実際には、この会議の意義は、必要とはいえ追加予算をふんだくられる事に腹を立てた一部委員会メンバーのガス抜きとも言えるゲンドウ吊るし上げ大会であったので、さんざん言って気が済んだから放免されたと言うのが正しい。一種の通過儀礼とも言える。
「碇君、ご苦労だったな。」
 その声を合図にして4人の男が消える。……どうやら立体映像だったようだ。
「碇、後戻りはできんぞ。」
 そして、議長席に座っていた男もそう言い残して消え去り、後にはゲンドウだけが残された。
「わかっている。人間には時間が無いのだ。」
 口元を組んだ手で、目元をサングラスで隠したゲンドウの内心を窺い知る事は難しい。
 そして、謎めいた呟きの意味も、余人には計り知る事は困難であった……。



 いつもの病室…
 いつもの点滴……
 いつものように看護婦が、私をいつもの検査へと連れて行く。
 病人を寝せたままでも移動できるベッドだから、病院内の移動ならベッドから降りる必要は無い。
 特に何かをする必要も無いので、ぼんやりと物思いにふけっていると、いつもと違うモノが視界に飛び込んできた。
 いつもは無人の廊下に立っていた一人の少年。
 多分、ケイジに居たあの少年。
 怪我に苦しむ自分を心配してくれた、あの少年。
 でも、じっと見ていると見つめ返してきたけど、彼の表情は何の変化もない。
 とすると、この少年は昨日の彼とは別人?
 いえ。ここはチルドレン専用病棟のはず。チルドレン以外の病人がいるなんて考えられない。服装から見て相手も同じ患者に間違いないはず。
 そこまで考えたところ、彼の姿は段々遠くなり、見えなくなっていく。
 声すらかけてくれず、遠ざかっていく。
 やっぱり、私には約束の日に無に還る役目しかないのね……。あの人の為に……。
 少女は少年の姿が見えなくなったところで彼について考えるのを止め、いつもの生活へと戻った。
 心が要求されることのないルーティンワークの日々へと……。



 エヴァ初号機パペットを回収し、ジオフロントに向かう大型特殊トレーラーの座席で、
「やっぱクーラーは人類の至宝。まさに科学の勝利ね〜。」
「シンジ君が気付いたそうよ。」
 だれているミサトにリツコが来たばかりの連絡の要旨を告げる。
「で、容態はどうなの?」
「外傷は無し。少し記憶に混乱が見えるそうだけど。」
「まさか、精神汚染じゃ。」
 血相を変えて横のリツコを見るミサトであったが、
「その心配は無いそうだわ。」
 リツコは携帯端末を動かしながら冷静に答える。
「そう。そうよね、いきなりアレだったもんね。」
「無理も無いわ。脳神経にかなりの負担がかかったもの。」
「心……の間違いじゃないの。」
 エヴァ関連機材が組み込まれたシステムビルや道路などの建設が急ピッチで進む中、ミサトがトレーラーから降り、それをリツコと見上げていた。
「エヴァとこの街が完全に稼動すれば、いけるかもしれない。」
「使徒に勝つつもり? 相変わらず楽天的ね。」
「あら、希望的観測は人が生きていく為の必需品よ。」
「……そうね。あなたのそういうところ、助かるわ。」
「じゃっ。」
 そう言い残してミサトが向かう場所はネルフ中央病院。
 そこの第一脳神経外科。
 事実上チルドレン専用となっている病棟であった。



 病院の人に言われた通り、迎えの人を待っていたら……
 来たのは、あの葛城ミサトとか言う人だった。
 何だ、父さんじゃないんだ……。
 軽い失望感とやっぱりという納得を感じつつ帰りのエレベータを待っていると
 開いたエレベータの扉の向こうに現れたのは、父さんだった。
 父さんは、無言で立っていた。
 微動だにせず、物体を見る目で見下していた。
 その視線に耐えられなくなって顔を逸らすと、
 エレベータの扉は閉じ、通り過ぎていった。
 ……僕より優先すべき何かがあるんだ……もしかしたら……
 何て言葉をかけて良いか分からなかったせいで無言で見送ってしまった少女のことがシンジの脳裏に浮かんだ。
 でも、どうしたら良かったか、どうしたら良いかは、全然分からなかったのだった。


「一人でですか?」
 シンジの新たな住居……第3新東京市地下F区第6番24号とナンバリングされた部屋の住民登録票を見たミサトが、担当官に食ってかかっている。
「そうだ。彼の個室はこの先の第6ブロックになる。問題は無かろう。」
 しかし、担当官は平静にミサトの剣幕を受け流す。
「はい。」
 そして、シンジの方もたいした問題とは捉えていなかった。
「それで良いの? シンジ君。」
「良いんです、一人の方が。どこでも同じですから。」
 そう言い切るシンジを、ミサトは自分が救おうと決心する。
 ……それは、どういう動機に支えられているのであれ、とても傲慢な決心と言えた。
 ただ一つ言える事は、ミサトのこの反応が、ミサトをシンジの付き添いとして派遣した者の計算の範囲内だったという事であった。
 でなければ……

「なんですって!」
 自分の研究室の電話口で、リツコは友人の唐突な発言に思わず耳を疑った。
「だから〜、シンジ君はあたしんとこで引き取る事にしたから。上の許可も取ったし。」
 幾ら作戦部長の発言だからと言って、あっさりと上の許可が下りる筈など無いのだ。
 そう言う予想が予め立てられていなかったとしたならば。
「心配しなくても子供に手ぇ出したりしないわよ。」
 悪戯っぽく続けるミサトに、
「当たり前じゃないの! 全く、何考えてるのあなたって人は!!」
 激昂したリツコの怒声が鼓膜から脳天に突き刺さる。
「相変わらずジョークの通じないヤツ。」
 ぼやくミサト、まだ罵声を浴びせるリツコ……
 ただ、電話を切った後、少しは冷静に戻ったリツコが
『考えてみれば面白い状況ね。少々警備のリスクはあるけど、ミサトが普段からシンジ君を鍛えてくれたら、確かに使徒戦には有利になるわね。』
 と思い直したのまでは、ミサトには知る由も無かったのだった。


 壊れたあちこちをガムテープで無理矢理固定したミサトの車で街はずれの高台にある公園まで来たシンジは、
「凄い、ビルが生えてく。」
 ビルが地下から生えてくる光景を紹介してもらい、
「これが使徒迎撃専用要塞都市、第3新東京市。私達の町よ。」
 今視界に映る、夕日に映える街並み……
「そして、あなたが守った町……。」
 これが、自分が戦い、守ったものだと教えられたのであった。


 ミサトさんの部屋
 他人の部屋
 だから、僕はこう言う。
「あ、あの……お邪魔します。」
 だけど、ミサトさんは顔をしかめて怒った。
「シンジ君、ここはあなたの家なのよ。」
 口調は静かだけど、明らかに怒ってるって分かる。
 だから、僕はこう言い直した。
「た、ただいま。」
 家の敷居をまたぎ、おずおずと……
 そうしたら……
「おかえりなさい。」
 満面の笑みを浮かべて、ミサトさんはそう言ってくれた。
 いったい何年ぶりだろう……
 いや、そもそも言われた事あったっけ?
 でも……
 悪い気分じゃないや。
 ドアが閉まる音を背中で聞きつつ、シンジはそう感じたのだった。

 が、良い気分も長くは続かなかった。
 確かにちょっち散らかっているとは聞いたけど……まさか、これほどとは……。
 床にうずたかく積み上がったビールの空き缶
 棚の上を占領している酒瓶
 引っ越し荷物のダンボールを開けて、直接そこから必要なものを取り出してますと丸分かり……しかも、出したモノが無造作に積んである一角。先日引っ越してきたばかりでも酷すぎやしないだろうか……
 そして、何よりも
 部屋を埋め尽くすゴミ……ゴミ……ゴミ……
「これが……ちょっち……」
 ミサトさんの部屋は、ちょっとした腐海と化していた。
 勿論、褒め言葉の訳は無い。
「あ、ゴメン。食べ物を冷蔵庫に入れといて。」
「あ、はい。」
 恐るべき光景に圧倒されながらも、おとなしく買出しした食料を入れようと冷蔵庫を開けると、そこには……
「氷……つまみ……ビールばっかし……どんな生活してんだろう。」
 だが、部屋の惨状を見て全てを納得した。
 ただ、解せないのはもう一つ大型の冷蔵庫がある事だ。
 おまけに、扉も微妙に普通の冷蔵庫とは違うように見える。
「あの〜、あっちの冷蔵庫……」
「ああ、そっちは良いの。まだ寝てると思うから。」
 向こうの部屋にいるミサトさんに聞いたら、謎な返事が返ってきた。
「寝てる?」
 しかし、勝手の分からない部屋で下手な事を詮索しない方が身の為だろうと思って疑問を棚上げする事にしたシンジだった。

 その後、ラフな格好に着替えてきたミサトさんと夕食を食べる事になった。
 食事の前にゴミの分別と部屋のごく簡単な掃除をしたので、そこそこ人間が住む空間らしくはなっていて、テーブルにはゴミでは無くちゃんとした食事が並んでいる。
 ……明日が資源ゴミの収集日で助かったよ。あの空き瓶と空き缶が片付くだけでもかなり広くなるからね。
「いっただっきま〜すっ♪」
「いただきます。」
 インスタント、レトルト、缶詰め……様々な料理が所狭しと並ぶテーブルからミサトが真っ先に取ったのは、
「プッハァァァァアァッ! クゥゥゥゥゥッ! やっぱ人生、この時の為に生きてるようなもんよねぇ!」
 良く冷えた缶ビールであった。
 ゴクゴク咽喉を鳴らして一本目を半ば飲み干したミサトは、シンジが呆気に取られているのを勝手に勘違いしたらしく
「あっ、食べないの? 結構美味いわよ……インスタントだけど。」
「あ、いえ……こういう食事慣れてないんで。」
 正直に返す。そういえば、食事時に他人が居るなんて久しぶりだね。前のトコでは学校でも他人が近くにいる場所じゃ食べなかったし……何されるか分からなかったから……。
「駄ぁ目よっ! 好き嫌いしちゃあ!」
 歯を剥き出してテーブルごしに詰め寄ってくるミサトさんにタジタジとなる僕。
「いや、あ……違うんです。あの……」
 明らかに腰が引けているのが自分でも分かるが……
「楽しいでしょ。こうして他の人と食事するの。」
 至近距離まで迫られたミサトさんの顔が笑みに変わると、戸惑いながらも拒絶する気までは湧いてこない。
「あ、はいぃ。」
 我ながら情け無い声で同意させられたけど……確かに嫌な気分じゃない。
 好きかと問われると、良く分かんないけどね。

 晩酌のビールの空き缶がテーブルに山をなした頃……
 公平に家事当番を決める為にじゃんけんをミサトさんとする事になったんだけど……
 勿論、提案者はミサトさんの方だ。
 ……あんなにミサトさんがじゃんけんが強いとは思ってなかった。
 もっとも、僕の方が途方も無く弱いのかもしれないけど……。
「おし、公平に決めた生活当番もこれでオールオッケーねぇ。」
「はい。」
 結局、朝食・夕食・ゴミ・風呂掃除……ほとんど僕が担当する事になっちゃった。
 ミサトさんは月曜のゴミ、火曜日の朝食、水曜日と土曜日の夕食、木曜日の風呂掃除だけ……後は僕の当番だ。
 ちなみにゴミ係はゴミの分別とかの他に、共用部分の掃除なんかも仕事だったりする。
 流石に自室の掃除と洗濯は各自で行うことに決まったけど……
 何か、ついででやらされそうな気がするなぁ……覚悟しとこう。
「さて、今日からここはあなたの家なんだから、な〜んにも遠慮なんていらないわよ。」
「あ、はい。」
「も〜、はいはいはいはいって辛気臭いわね〜。おっとこの子でしょ! シャキッとしなさいシャキッと〜!」
 何が気に入らなかったのか分からないけど、ミサトさんが突然僕の頭を手で掴んでワシワシとする。……やっぱり酔ってるのかな?
「ま、いいわ。やな事はお風呂に入ってパーッと洗い流しちゃいなさい。風呂は命の洗濯よ。」
 言われた通り風呂に入る事にしたけど、
 まず、脱衣所に下着が干したままになっているのに気が付いて赤面した。
 片付けてないって事は、根がズボラなのか、それとも僕が男として意識されてないのかな……どっちものような気がする……。
 それより……なんで今更赤面するんだろう僕。ミサトさんには既にあんな事やそんな事をされちゃったというのに……
 そんな事を思いながら風呂の扉を開けると、
 そこには……
「うわぁぁぁぁぁぁ!!! ミミミミ…ミサトさん!!」
「なに?」
「あ…あぅ…あぅ……あり?」
 驚きで声が出ない僕の前を、風呂から出て来たモノが悠然と通り過ぎて行く。
「ああ、彼? 新種の温泉ペンギンよ。」
 驚く僕を横目で見ながら、彼は謎の冷蔵庫の扉を自分で開け、入っていった。
 ……どうやら、アレは彼の個室だったらしい。
「ああ…あれ?」
「名前はペンペン、もう一人の同居人。それより、前、隠したら?」
「あ、うわっ!」
 言われて気が付いた。お風呂に入る直前だったから全裸だったっけ。
 羞恥で顔から火を噴きそうな気分で両手で前を隠し、ズリズリと逃げ去る僕。
『ちと、わざとらしくはしゃぎ過ぎたかしら。見透かされているのはこっちかもね。』
 ビールを飲みながらミサトがそう状況分析するのも気付かぬまま、僕は湯船の中へと逃げ込んだのだった……。

『葛城ミサトさん……。悪い人じゃないんだ。』
 湯船に漬かりながら思う。
『風呂は命の洗濯と言うけど、でも風呂って嫌な事を思い出す方が多いような……』
 父の事、幻影の少女の事、それとそっくりな傷だらけの少女
「(父さんと……)綾波レイか。」


 その頃……ネルフ本部地下実験場……
 背筋に十字架状のモノが挿し込まれた巨大な人型の物体が、無惨な姿を晒していた。
「レイの様子は如何でしたか? 午後、行かれたのでしょう? 病院に。」
 壊れた一室で物体を眺めるゲンドウに、リツコが質問を飛ばす。
「あと二十日もすれば動ける。それまでに凍結中の零号機の再起動を取付ける予定だ。」
「辛いでしょうね、あの子たち。」
 硬化ベークライトと呪文を描き込んだ布で封印された巨人……のように見えるモノを見下ろしながらリツコは言う。
「エヴァとシンクロできる者は他にいない。生きてる限り、そうして貰う。」
「子供達の意志に関係無く……ですか?」
 幾分沈んだ声は、事情を良く知る者が抱く諦めを多分に含んでいた。
 他の選択肢が無い事はリツコも良く承知しているのだから……。


 シンジに割り当てられた部屋……
 自分の荷物は何とか全部運び込んだ部屋の中で……
 シンジはベッドにうつ伏せになって音楽を聴いていた。
 ヘッドフォンで……
 外界の音を拒絶するかのように……


 そして、そうしてシンジが部屋に引っ込んでいる頃、
 ミサトは風呂に入りながらリツコと電話をしていた。
「そう。あんな目に遭ってるのよ。また戦ってくれるかどうか……。」
「彼のメンテナンスもあなたの仕事でしょ。」
「怖いのよ。どう触れたら良いか分からなくって。」
「もう泣き言? 自分から引き取るって大見得切ったんじゃない。」
 からかうような口調に
「うっさい!」
 ミサトもマジギレ寸前で怒鳴って電話を切る。
『あの時、私はシンジ君を自分の道具として見ていた……。リツコと同じか。』
 軽い自嘲と自己嫌悪を覚えつつ
「(あの使徒を倒したというのに……)嬉しくないのね。」
 自分の仇であるはずの使徒の一体を倒したというのにまるで晴れない自分の心に、ミサトは何となく戸惑いを覚えていたのであった。



『ここも、知らない天井。……当たり前か。この町で知ってるとこなんてどこにも無いもんな。』
 自分のベッドに寝転んで、見上げる天井は今まで見慣れたものではなかった。
 ここが僕の家だと言ってくれた人の家だけど、その人とは今日が初対面……
『何でここにいるんだろう……。』
 ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せて行くと、脳裏に情景が思い浮かんで来る。
 始めはぼんやりと
 段々、やけに鮮明に

 使徒…第三使徒サキエル…の手が、抱いたままの女の子ごとシンジを掴み上げる。
「シンジ君、使徒に捕獲されました!」
「シンジ君っ!」
 マヤの悲鳴混じりの報告とミサトの掛け値無しの悲鳴が発令所の隅々にまで響き渡る。
「状況は?」
「プラグスーツに強い外圧……あっ、ATフィールドの発生を確認!」
 リツコの冷静な質問に機能を取り戻した発令所は、さっそくマヤが朗報とも思える事象を観測機器のデータから読み取る。
「波動パターンはオレンジ……シンジ君です。」
 青葉が更にそれを補強する。
「救出部隊は現状のまま待機。チャンスがあり次第発進!」
 気を取り直したミサトが更なる指示を出し、
「了解。救出部隊は現状のままホールド。」
 日向がその指示を待機中の保安部要員へと伝達する。
「使徒、段々小さくなって行きます。」
「何ですって!」
 この時、サキエルの掌に握られていた二人に顕著な変化が起きていた。
 シンジの愚息はプラグスーツの生地にもメゲずにスックと立ち上がり、
 それと呼応するかのように女の子の出血が止まっていたのだ。
 いや、それだけではない。
「や、やだ……あついよう……」
 女の子の身体がゆっくりと大きくなり始めていた。
 ビリビリと布が千切れる音を立てながら……
「だ、大丈夫?」
 苦しそうにしている女の子を心配して声をかけるシンジ。
「おにいちゃぁん……きついよ……いたいよぅ……」
 先程まで着ていた服は、もう彼女の身体を覆う役目を放棄して絞め付ける凶器と化しつつあった。
 ちなみに大きくなると言っても単純な巨大化ではなく、どうやら急速に成長しているらしいと言う事が、プラグスーツの腰に標準装備されているナイフで衣服の残骸を慎重に切り離しているシンジには分かり過ぎる程に分かった。
 最初に抱き上げた時の年恰好には不似合いなほどに胸の膨らみがどんどん大きくなっていっているのだ。
 ……とはいえ、まだいってBくらいであろうが。
 ゴクッ
 シンジは自分が生唾を飲み込む音を自覚した。
「成長? それより……使徒はどこに行ったの?」
 不思議そうな声を発したリツコの声は、発令所にいる皆の心の声でもあった。
 自然と青葉に視線が集まる。
「パターン青健在! 場所は……シンジ君の傍です!!」
「何ですって!!」
 青葉の報告にミサトが血相を変え、
「という事は……まさか、あの女の子に取りついた!?」
 リツコがありそうな事態を推論し、
「碇……」
「問題無い(全てはシナリオ通り……)。」
 冬月の責めるような視線をゲンドウが一蹴する。
 喧騒に包まれた発令所から、
 再び地面の上に何時の間にか静かに降り立っていたシンジに命令が飛ぶ。
「シンジ君! やっちゃいなさい!」
「はっ!?」
「おにいちゃん……あついの……」
 唐突な指示に呆然とするシンジに、今や同年代ぐらいにまで成長した女の子が抱き付いて来る。
「シンジ君、その子を抱きなさい。早く。」
 ミサトの大雑把な命令じゃ事態が把握できないんじゃないかと心配したリツコが補足を入れる。
「抱くって……そんな……」
 ここまで言われれば、いかな鈍いシンジにでも分かる。
「いいから訓練通りヤれば良いのよ!」
「……ここでですか?」
「嫌なら物蔭なりなんなりでやんなさい!」
「たすけて、おにいちゃん……ハルナ……もう……」
 吐息を熱くし、上目遣いですがる美少女……しかも全裸……の姿に、
 とうとうシンジの理性の牙城も崩れ落ちた。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
 口付けを交し、さっそく一つに繋がろうとした瞬間……
「いたい! いたい! いたい! いたい!」
 シンジの息子の突撃は、八角形の壁に防ぎとめられてしまった。
「ATフィールド!」
 リツコが驚きの声をあげ、
「駄目だわ。ATフィールドがある限り、使徒には接触できない。」
 この後に及んで抵抗を続ける使徒に、ミサトが歯噛みする。
 しかし、
「シンジ君もATフィールドを展開、異相空間を中和していきます。」
「いえ。侵蝕しているのよ。」
 マヤの報告の一部をリツコが訂正し、
「あのATフィールドをいとも簡単に……」
 ミサトが呆然と見守る中で
 シンジの息子は女の子を貫き、一つに繋がった。
 が、その瞬間……
 シンジは意識の手綱を手放した。
「なんてこと! 入れただけでなんて!」
 自分達の時はこうじゃなかったのにと歯噛みするミサト。
「戦闘の緊張に耐えられなかったのね……」
 冷静に要因を分析するリツコ。
 しかし、二人ともが意識的に除外している要因がある。
 ただ単純に、この娘の方がシンジにとっては気持ちが良かった可能性を……。

「状況は!?」
「シンクログラフ反転! パルスが逆流しています!」
「回路遮断、堰き止めて。」
「駄目です。信号拒絶、受信しません。」
「初号機、完全に沈黙。」
「ここまでね……。作戦中止、救出部隊出撃! パイロット保護を最優先に!」
「駄目よ。この状況では使徒の餌食になるのが目に見えてるわ。」
 我を失いかけたミサトの指示にリツコの冷静なツッコミが入る。
「くっ……打つ手無し……か。」
 命令をキャンセルしつつ、歯噛みするミサト。
「シンジ君、再起動!」
「そんな! 動けるわけありません!」
 シンジが気絶する前の医療グラフでは、極度の疲労が検出されていた。今動くには超人的な体力が要るはずだが、シンジにそういう体力があるとは思えなかった。
「まさかっ」
「暴走…」

 ずぬちゃ……ずぬちゃ……ずぬちゃ…ずぬちゃ…ずぬちゃ…ずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃずぬちゃ……

 猛然と腰を動かし始めるシンジ。
 女の子…ハルナ…の方も最初は痛がってはいたが、エヴァの発情効果の煽りを受けた脳神経が痛みを快感と認識し直すのにさほどの時間はかからなかった。
「勝ったな。」
 冬月が、一言だけ感想を漏らす。
 それは、この事態を予見していたが故の発言だったのか……。

「……不潔。」
 マヤが呟き、自分のモニターを音声回線のみに変更するが、それでもまだ粘液質の音は断続的に響いている。
 何より、自分だけがスピーカーを切っても他の席から遠慮無しに聞こえてくるのだ。耳でも塞がない限り、この音からは逃れられない。
 だが、流石にそこまでする訳にもいかない。
「マヤ、シンジ君の状態は?」
「は、はい。駄目です、モニターできません。」
 聞くまいと思ってた音に惹き込まれていたところで、リツコの指示で持ち直すマヤ。
 さっそく画面に各種データをまとめて表示するが……
 しかし、得られた情報は芳しいものではなかった。
 プラグスーツやインターフェースに付属している医学的センサーからの情報入力が途切れていて、体調や精神状態……何よりもシンジの体内で作用しているはずのエヴァの状態が把握できないのだ。
「あ……やだ……あんっ……ああああぁぁぁぁぁ!!」
 ピンと背筋を伸ばした女の子…ハルナ…に、シンジが繋がった場所から熱いモノを流し込むと、二人仲良く地面に倒れ伏した。
 力尽きたかのように……。
「パターン青消失。使徒、完全に沈黙しました。」
「あれがエヴァ…初号機の……本当の姿……」
 呆気に取られる発令所の中で、一人リツコだけがシリアスな台詞を真面目な顔で口にしたが、傍目からはその姿は奇妙に滑稽に見えたのだった。

「システム回復。グラフ正常位置。」
「パイロットの生存を確認。」
「救助班、急いで。」
「パイロット保護を最優先に。」
 意識が戻って来たシンジの耳元で、通信機にもなっているインターフェイスごしに声が聞こえてくる。
 と、同時に、仰向けに寝ている自分の上に温かくて柔らかくて重たい感触が……
 え……
 さっきの女の子だ。
 夢なのだろうか、成長したままの姿だ。
 それとも、小さい姿の方が夢だったのだろうか……。
 混乱する僕の頭に
「せきにん、とってね おにいちゃん♪」
 と笑顔で全裸の女の子が嬉しそうにピトッて抱きついてきた時、
 僕は自分の意識が真っ白になって途切れていくのを自覚した……。

 忘れていた今日の記憶の全てを思い出したシンジは、思わず覚えた寒けに震えながら身体をベッドの上で丸めた。
 そのシンジに……
「シンジ君、開けるわよ。」
 風呂上りのミサトが、シンジの部屋の戸口に立って声をかける。
「一つ言い忘れてたけど……あなたは人に褒められる立派な事をしたのよ。胸を張っていいわ。」
 背にそんな言葉をかけられたが、シンジには何と反応して良いか分からない。
「おやすみ、シンジ君。……頑張ってね。」



福音という名の魔薬
第弐話 終幕



 『薬エヴァ』の二話です。
 いよいよ本格的な電波の発信が始まりました(笑)。
 ちなみに、ミサトは銃本体は出来ていたパレットガンを早期に戦力化する為に、最も強力と見込んだ劣化ウラン弾を優先的に仕上げて、その後で他の弾丸を製作するよう技術部に依頼を出しました。しかし、リツコが途中で劣化ウラン弾に駄目を出したので、今回の使徒戦に弾丸が間に合わなかった……という訳です。
 あと、劣化ウラン弾の危険性については、一般人や普通の軍人は知らない(情報操作で隠されている)という設定ですので、ミサトが指摘されるまで気付かなくてもある意味当然だったりします(リツコは科学者なので気付いたのです)。

☆突発薬エヴァ用語集
 パペット:正式名称エヴァンゲリオン・パペット。巨大生物である可能性の高い使徒と近接格闘を行う為の局地防衛戦用人型ロボット兵器。人体強化薬を投与した子供で使徒を迎撃してるとは流石に言い難いネルフは、このパペットを主戦兵器として使徒を撃退していると公表している。

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