福音という名の魔薬

 第弐拾弐話「未来への道標」

 2000年9月11日 南極大陸の大深度地下にある国連基地。
 先史文明の遺産と思われるこの基地の一角で、二人の男が額を突き合せていた。
「状況はいかがですか、教授。」
 30過ぎと思われる人相のあまりよろしくない男と、
「芳しくない。」
 教授と呼ばれた40も半ば辺りの気鋭の学者という雰囲気の男とが。
「アダムを発見した連中がやらかした処置を止める試みは全部失敗した。遅くとも今年が暮れるまでには目覚めるだろう。」
 話の内容も、この暖房も照明も行き届かぬ基地にふさわしく陰鬱であった。
「では、予定通り実験を?」
「それしか方法は無い、今となってはな。ロンギヌスの槍の本格的な修復をしている時間も資材も無い以上、我々に残されている手は可能な限り早く手を打つ以外無い。」
 それですら全てが上手くいく可能性は10%も無いのは2人とも分かっている。
「ならば、後は我々がやります。」
 だから男はゼーレの監査員という分を超えてまで教授と呼ばれる男を生かそうとする。
 しかし、教授……葛城教授は首を横に振った。
「いや、ここで私が抜ける事はできん。」
 葛城教授が抜けると実験の成功率は一気に半分以下に落ちると予想されていた。
 アダムと名付けられた巨人の危険性を鑑みれば、ここで戦線を離脱するのは色々な意味で得策とは言えなかった。
「では、私もお手伝いします。」
 男の申し出に、葛城教授は首を再び横に振る。
 そして、丈夫なトランクケースを男へと差し出した。
「我々はできるだけの事をやってみる。だが、ここで調べた資料、これを君に託したい。人類の未来の為に役立ててくれ。」
 不退転の覚悟を秘めた熱き瞳で男の瞳を見据えながら。
「すみません、教授。娘さんもお連れできれば良いのですが……」
 明日出発する船でここを発つ事になっている男は、遺伝子提供者と対となる存在として連れて来られていた教授の愛娘の事に話を向ける。
「ありがたいが……。君もゼーレに監視されている。下手な動きは禁物だぞ。」
 しかし、葛城教授はこの申し出にも首を横に振った。
 奥歯をギリッと噛み締めつつ。
 ここで一時の情に負けて娘を逃がしたとしても、ただの14歳の娘ではゼーレの追求を逃れる術は無く、男ともども処分されてしまう危険性が非常に高かった。
 かつて教授がゼーレへの協力を拒もうとした時、『交通事故』で植物状態にされ、アダムの制御の為の部品として組み込まれる事に決められてしまった彼の妻の様に。
 加えて、全てが上手くいった場合は娘の……ミサトの協力が要る。
 巨人を動かすのに近親者を予め融合させておく仕掛け“シンクロシステム”を使う関係でゼーレが用意したパイロット。それがミサトがわざわざ南極まで連れて来られている理由の一つであった。
 故に魅力的な申し出ではあったが、謝絶せざるを得なかったのだ。
「分かりました。……幸運を。」
「ああ、君もな。」
 それが、男が葛城教授を見た最後だった。

 その2日後、嵐が荒れ狂う南極海周辺にて、
「救命信号を探知しただと!?」
 男は船長から受けた報告に驚いた。
「すぐに回収に向かえ!」
 次いで発せられた命令は男にとっては当然以前のものだったが、船長達は動き出そうとはしなかった。
 信号の発信予測地点が、この大災害の中心地寄り……南極の方角だったからだ。
「し、しかし……」
 危険だと抗弁しようとした船長以下ブリッジクルー全員は苦渋と悲憤が入り混じった男の眼光に飲まれ、黙らされた。
「アイ、サー!」
 熟練の船乗り達が猛り狂う波の牙、暴風の爪を掻き分けて南極大陸が“あった”海域へと船で乗り入れて行く。
 かつては氷に覆われた地表だった、ソナーでの簡単な測深ですら大型船が楽々航行できると判明した真紅の海原に、それはあった。
 南極基地から脱出したと思われるカプセルと、その上で気を失っている少女が。

「……あれから15年か。」
 ゲンドウは成層圏を飛ぶSSTOの窓から、かつては南極だった場所を占める紅い液体の海を見下ろし、苦虫を噛み潰した。
 追憶の苦さと現実の苦さ。渾然一体となった苦味が口中に走る。
 結局起きた…起こされてしまった破局は、葛城博士の奮闘のおかげか、はたまたゼーレの裏工作のおかげか最悪の結果だけは免れた。
 しかし、まだ終わった訳では無い。
 紅い液体と真っ白い塩の柱に変わってしまった海域は、南極海に留まらずゆっくりと周囲の青い海を侵蝕し始めており、後数年で全世界を紅く染め上げるとの試算もあった。
 生きとし生けるモノ全てが浄化され、己が姿も意志も記憶も忘れ去って紅い液体に溶け混ざってしまった世界。
 それは、滅びと同義と言って過言では無い。
 ネルフは、人類補完計画は、そうなってしまう前に世界を救う為に生み出された。
 子供達に未来を残したいという純粋な思いをバネに。
『今度は……今度こそ、守る。』
 悔恨と慙愧に押し潰されそうになりながらも。
 守るべき子供達を戦わせねば未来が勝ち取れないジレンマに苦しみながら。



 鈴原トウジの逝去が発表された翌日、2年A組はまた新たな転入生を迎えていた。
「マリィ・ビンセンスです。よろしくお願い致しますですわ。」
 意志の強そうなと言うか気の強そうな顔立ちで、腰まで届く亜麻色の長髪のお嬢様風の白人女性が、にっこりと笑みを浮かべてお辞儀する。
「よ、よろしく。」
 視線の先に座っているシンジが驚きを隠せぬままお辞儀を返すと、女生徒ばかりの教室内は歓迎ムード一色に染まった。
 何故ならケンスケを除く全員が既に知っているからだ。
 彼女がもう仲間なのだと言う事を。



 その頃、ネルフ本部では……
 第14使徒との戦闘で破損した箇所を修復する突貫工事が進められていた。
 穴は大小合わせて6箇所。うち、ジオフロントまで貫通した大きな穴1箇所。
 使用不能になった兵装ビル10基。
 電磁カタパルトから続く発進用地下レールウェイ3路線。
 これらの修復の為、施設部は連日ほぼフル回転で操業を続けていた。
 また、整備部も第13使徒との戦闘で破損した零号機とエヴァ・パペット2機の修復作業と、本部に新規配備される新型の戦闘車両の受け入れにてんてこまいだった。
 こんな修羅場に戦闘が無いと仕事が無いはずの作戦部や機動部隊(実際は事務仕事や模擬演習や作戦検討や戦技訓練など通常時の業務も色々ある)の人間が顔を出すと普通なら白い目で見られるのだろうが、ここネルフ本部では違った。
「おはよう、みんな。」
「おはよう。」
「おはようございます、葛城二佐、ジーベック中佐。」
 戦闘部門の長である彼女らが挨拶をすると、ある者は手をしばし止め、ある者は作業をしながら挨拶を返してくる。
 それは単純な敬意と言うだけでは無かった。
「まだ伊吹一尉が来ていないが、何か手伝う事はあるか?」
「は、はい。こちらです。」
 大型の重機を運用するスペースにも事欠く地下構造物の中で、特殊装甲すらあっさり切断したり、継目が計測できないほど綺麗に溶接したり、水漏れを一時止めたり、重量物を運搬したり…など八面六臂の活躍を見せる彼女ら使徒能力者は、畏怖されると共に貴重な協力者として認識されていたのだ。
 普通なら単に恐怖されるようになるのかもしれないが、エヴァンゲリオンと呼ばれる人体強化薬の存在が公然の秘密として職員に知れ渡っているのと、使徒能力者があまりにも自然に振舞っているので騒ぐ方がおかしいのではないかと錯覚しているうちに慣れっこになってしまったのと、仕事上の有用性の他にも主にこれら2つの要因が彼女らに対する敵意を緩和するのに役立っていた。
 細かい配線や配管設置などまでは専門外なので流石に手が回らないが、おおまかな所だけでも彼女らに手伝って貰えれば時間も労力もコストも大幅に削減できる。
 また、整備部の方でも彼女ら2人は本来は高価で製造が難しいハイパーチタニウム装甲をトタン板並みの安価で鋳造する職人として重宝されており、こういう忙しい時は引っ張り凧の有様であった。
 ……まあ、彼女らが他部門支援で抜けてる間は日向にその分負担が圧し掛かるのだが。
 とにもかくにも、こうして使徒能力者を有効活用する事でネルフ本部は異常なまでのコストダウンと工期の圧縮を同時に実現していたのだった。
 ゼーレの予算査定の目を大きく狂わせるほどに。



 ネルフ本部の機能のほぼ全てを掌握する3台のスーパー・コンピューターのうちの一つメルキオールが、その電子ネットワーク上で何者かと会話をしていた。
《それで、あのブラックボックスですけど……何かお分かりになりまして?》
 いや、マギ・メルキオールに意識を移した碇ユイと、電子通信網にイロウルの使徒能力を介して接続している赤木リツコと言い直そう。
《いえ。閲覧用パスコードが提示されてる幾つかの数字の間に文字を入力すれば良いと判明しただけ。何も分かってないにも等しい状況よ。》
 今回の話題は弐号機パペットに元々積まれていた制御コンピュータのデータバンクに隠された謎のデータについてであった。
《それ、私にも見せていただけません?》
《分かりましたわ。……これね。》
 リツコが求めに応じてメモを取り出し数字の羅列を伝えると、ユイの“声”は感慨で微妙に震えた。
《キョウちゃんったら……多分、間違い無いわ。》
 余人には無意味な羅列と見えたかもしれないが、ユイにはピンとくるものがあった。
《何がですか?》
《パスワードよ。データバンクをMAGIに繋げていただけません? 私が直接入力しますわ。》
 それは、かつて当人から渡されたメモに記されていた情報。
《繋ぎましたわ、どうぞ。》
 現実世界でリツコが回線を繋いでくれるのを待って、ユイは“それ”を数字と数字の間の空白部分へと入力していった。
 豚挽肉・牛挽肉・玉葱・ニンニク……etc.
《え?》
 全ての余白が埋められた瞬間、奔流の如きデータの洪水が箱の中から溢れ出る。
 かつてキョウコが一人暮しを始めるユイに教えてくれた得意料理のレシピ。それが開かずの扉の鍵だったのだ。
《くっ! バルタザールに直結! データをそっちに流すわ。》
 解凍されてゆくメモリーのサイズを視て最適な対応を直感したユイは、メルキオールの能力を駆使してバルタザールの防壁を突破し、ブラックボックスから流出するデータストリームをそのまま記憶領域へと押し込んで行く。
《ユイさん、何を!》
《いいから手伝って!》
 有無を言わせぬ勢いに飲まれ、リツコは当面ユイの手伝いをして莫大なデータの濁流を細大漏らさずバルタザールに送り込む事に専念する。
 そして、最後のデータの1バイトが送信された時、
 それを受信し終えたマギ・バルタザールは変質を開始した。
《まさか…ウィルス? ユイさん!》
 母の分身ともいうべきマギの脳髄がコンピュータ・ウィルスに汚染されたんじゃないかと心配し、非難の色を帯びるリツコの声音を
《落ち着いて。目覚めるわよ。》
 落ち着き払ったユイの声が制する。
《おはよう。あら、リツコも来てたの?》
 突然かけられた声は、リツコが注意していたバルタザールからのものでは無かった。
《この声は…カスパー? いえ、まさか…これは……》
 自分の脳内で組み立てた仮説を自分で信じられず困惑するリツコの口から、思わずこぼれる言葉。
「母さん……」
 3基のマギに分割されていた人格データがメルキオールとバルタザールからカスパーへところてんのように追いやられて統合された結果、カスパーが元の赤木ナオコとしての意識を取り戻したのだと。
 自分で考えておいて何だけど……と戸惑うリツコにかけられた言葉は、
《リツコ……どうやって若返ったの? 母さんに教えて貰えないかしら。》
 彼女を椅子ごとずっこけさせるのに充分な破壊力を持っていた。
《ま…間違い無く、母さんだわ。この状況でそんな台詞が出て来るなんてね。》
 相変わらずな母親に言い知れぬ敗北感を抱きながらも、それでもリツコの電子の耳は新たな“声”をキャッチする。
《オハヨ。》
 他の声たちと比べると、より機械的な“声”を。
《キョウちゃん、おはよう。》
《おはよう、キョウコ。》
 そう。
 データバンクに隠されていたブラックボックスの中身は、惣流・キョウコ・ツェッペリン……つまり、アスカの母親の人格データだったのだ。
 そして、この時、赤木ナオコ博士が開発したマギ・オリジナルは、その本来想定していたスペックで動き始めたのだった。
 だが、
《反応がいまいちだわ。やっぱり記憶と思考パターンの転写だけじゃ限界みたいだわ。》
 キョウコの親しい友人であったユイとしては、友人の行動を模倣するだけのただの機械と言うのは接していて少し物悲しいものがあった。
《そう言わないでくれる? これでも今の科学の限界まで頑張ったって自負はあるんだから。》
 それはナオコも同じであったのだが……。
《では、何故母さんとユイさんは自由意志を維持してるの?》
 リツコの素朴な疑問に、2人の科学者魂が燃え上がる。
《興味深い命題ですわ。》
《そうね。検討に値するわね。》
 さっそくメルキオールとカスパーが何やら相談というか討論を開始した。
 かつて、彼女らがヒトの肉体に宿っていた時のように……。



「ほな、ここに置くで。」
 見た目は楚々とした深窓のお嬢様という美少女……鈴原カスミが床に下ろしたのは、詩集でもお茶菓子が載せられたお盆でもなく、破砕穴付近から掻き集められた破損した鋼材の類の山であった。
「ご苦労様。ちょっち休憩にしない?」
 鍛えられた人間どころか重機を使わなければ運べない程の量と重量のそれを驚きもせずに見やったミサトが、ジュース缶を少女に勢い良く放る。
「おおきに。」
 野球の剛速球にも匹敵する速度で飛来したそれを繊手に似合わず危なげなく受け取ったカスミは、さっそくプルタブを開けてゴキュゴキュと咽喉を鳴らす。
「ぷっは〜♪ あ〜、運動の後の一杯は美味いなぁ。」
 そこらに積まれた適当な瓦礫の上にどっしり豪快に座ったカスミを見て、
「大股開きは下品ですよ、カスミさん。」
 マヤが目に余る点を指摘する。
 今は作業服姿だからまだマシだが、これがスカートだったらと思うと目を覆いたくなる仕草ではあった。
「そうね。これは今夜も特訓かしらね。」
 慌てて足を閉じたカスミに、ミサトが悪戯っぽく追い討ちをかける。
 つい先日までは男だった少女…鈴原カスミの普段の仕草があまり宜しくないと言うか男だった時の癖そのままなのが判明するまで、さほど時間は要しなかった。
 そこで、カスミが女性として恥ずかしくない最低限の常識とマナーを習得するまではという条件で、有志一同による作法の特訓が連日連夜に渡って続けられていたのだ。
 最初は嫌がっていたカスミも、
「おねえちゃん……はずかしいから、それやめてよ……。」
 と実の妹のハルナに泣きつかれるに至って渋々指導を受け入れる事になったのだが、あまり優秀な生徒とは言えないカスミは未だにしごかれ続けていた。
 まあ、無理も無いと言えない事も無いが。
 骨格そのものが女性のモノに変わったので女形の修行よりは幾分マシなのだが、それでも14年以上の年月の間に染みついた癖が一朝一夕に矯正できるはずも無い。
 カスミが特訓漬けの毎日から晴れて解放され壱中に転入できる日は、まだ遠かった。

「さって休憩終わり。いきましょうか。」
 ミサトの一声で休憩していた他の3人も立ち上がり、それぞれに準備を始める。
「ATフィールド、展開!」
 まずはマヤが開口部全体を覆うようにATフィールドを展開し“型枠”を形成する。
「ほな、いくで!」
 そこにカスミがジャンク鋼材と瓦礫を次々放り込み、
「オッケ〜! どんどん来なさいっ!」
 ミサトがそれらの材料を熱してドロドロに溶けた溶岩へ変え、大きな穴を満たす。
 その溶岩塊から必要な成分だけを抽出して大きな板状の層にしたカティーは、不要物をまとめた上澄み液の層をその上に形成して境界線をATFで遮断する。
 それを待ってマヤが作業範囲全域を無重力にし、カティーが中身が均質化するよう流体制御の力でかき混ぜる。
「良し、いいぞ。」
 均質化が満足いく仕上がりになったところで穴の周囲の金属との境界のATフィールドを解いて融着させ、更にミサトが全体を一気に冷してゆく。
 それと同時並行してATフィールドで素材全体を均一圧縮する。
 無重力環境の中で冷却も圧縮も全ての個所で均質な負荷がかけられて鋳造された金属の一枚板なんぞという贅沢と言うより人類の既存技術では実現不可能な代物は、こうやって製作されるのだ。
「状況終了。みんな、ご苦労様。」
 そのミサトの一言で、広域展開されていた3人のATフィールドは解かれ、周囲の物理法則は普段の整然さを取り戻す。
「撤収する。」
 次なるカティーの言を受け、マヤが自らの使徒能力である重力制御で今回余った建材を次なる補修地点である上階へとフワフワと持ち上げて行く。
 彼女らがここでできる仕事は取り敢えず終わったのだ。
 それでも、ここの手伝いだけを見ても、施設部の職員達が休暇にありつくのが彼らだけで作業した時より1週間以上早くなるだろう事は確実であった。
 ネルフ上層部の見積もりすら超えて。

 この日の夕方までだけでも、彼女ら使徒っ娘チームの手によってジオフロント天蓋装甲の破孔だけでは無く第22から第18までの特殊装甲板が修復され、近くまで地下鉄で運び上げた地下施設の拡張工事で出た残土を利用して途中の隙間が埋め戻された。
 後は施設部が地下レールウェイや配線や配管、点検用通路や地下回廊を仮設復旧するのを待って一気に地上近くまで修復する手筈となっており、それまでは使徒っ娘チームは他の穴の修復に回る事になっている。
 ……という力技で、普通なら数年がかりになりそうな大工事にも関らず予定工期が1週間足らずという復旧作業が無理無く実現できるのだ。
 ただ、幾ら何でも破損した兵装ビルの全てを数日で修復するのは不可能だった。
 彼女らの常識外れな能力をもってしても。
 施設部の職員達の頑張りをもってしても。
 できる事はただ一つ、修理を急ぐ事、ただこれだけであった。
 次なる使徒が襲来するまでに間に合うように、と……。



『うわ、凄いな〜これ。良いなぁ、こんなの欲しいなぁ。』
 遂に父親に自宅のインターネット契約を打ち切られてしまったケンスケは、学校の備品のノートパソコンを使って授業中にネットサーフィンを楽しんでいた。
 授業中、教室内ではあるが、最近の授業はノートパソコンを教科書とノートの代わりに使って進める事も多い為、画面を覗き込まれたり下手な奇声を上げたりしなければ発覚する確率は少ない。
 ちなみに、今ケンスケが見てるページはアメリカ海軍特殊部隊が少数だけ使用した多用途機関銃ストーナー63ウェポン・システムを模したモデルガンの通販ページである。
 ウェポン・システムとは機関部などの可動部分を基本に、数種の銃身や銃床、弾倉などのパーツを換装して一挺の銃に複数の用途を持たせようという思想の銃器である。
 ゆえに、それを再現しようと思えば多くのオプションが要るのは必然で、そうなれば単価は当たり前の如く高額に跳ね上がってしまう。
『14万9800円かぁ……今の財布からすると高嶺の花だね……でも、欲しいなぁ。』
 値札を再三確認して溜息を吐き、“限定発売”という表示を見て心を揺らす。
『今月の小遣いだけじゃ、とても足りないよなぁ……パパにねだっても、簡単に買って貰える値段じゃないしなぁ……。』
 英雄になりたくてもなれない鬱屈や、現に英雄としてちやほやされているように見えるシンジへの嫉妬は、ケンスケの物欲への自制心を削ぎ落としつつあった。
 もしかしたら、トウジの死とそれに続くクラス内でのいっそうの孤立化がケンスケのストレス増大に更なる拍車をかけているのかもしれないが。
『シンジの着替え写真とかなら売れるかと思ったら、そういう時はアイツ異常に鋭いし。隠し撮りどころか、隠しカメラとか抜き打ち撮りとかも避けやがるからなぁ。流石なんだけど腹立つよなぁ……。』
 ケンスケの思考は段々マズイ領域へと踏み込みつつあった。
『いっそシンジを何とか説得して正面から撮らせて貰うかな。……って、それだと今まで無断で撮ってた写真の分け前とか要求されかねないしな。それだと薮蛇だし。』
 そこでケンスケは難攻不落の敵手で稼ぐのを諦め、もっと稼ぎ易い方法を模索する。
『やっぱり、アレしかないかなぁ……。霧島は怖いけどなぁ。』
 しばらく止めていた着替え盗撮写真での荒稼ぎ、それしか現状を打開する術が無いのではないかという結論に達してしまった時、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
『稼ぎは減るだろうけど他のクラスので我慢するか、うん。』
 妙案に思える日和ったアイディアを実行に移すのを決意して。



 昼休みの教室で、女の子達はシンジを囲んで昼食を楽しんでいた。
 だが、4人……いや、興味津々で傍観している娘を入れれば20人以上に囲まれている少年に楽しむ理由などまるで無かった。
「ここでするの……止めない?」
 顔を真っ赤にして再考を促すシンジが座っているのは、彼に割り当てられた椅子では無く、そこに座っている級友にして恋人の一人…近村イスズの柔らかな太股の上だった。
「あ、あんっ」
 彼が僅かに身じろぎするだけでも感じるのか、背中に触れる二つの膨らみのてっぺんの突起がどんどん固くなっていくのが布越しでも解る。
「大丈夫ですわ。ちゃんと見張りも立ててありますから。はい、あーん。」
 フォークに刺した何やらソースのかかったジャガイモらしいのを口の前に差し出されるのに、シンジは身体を差し出されるのとはまた別の照れ臭さを感じつつ何とか口を開く。
「マリィさん、そうは言っても……」
「嫌ですわ、そんな他人行儀な呼び方は。マリィ…で、よろしいですわ。」
 発言に少しだけ動転して今の状況を忘れそうになったシンジではあるが、下半身から脳天に間断無く届く濡れた感触と耳朶を震わす猥らな水音が目下の問題を思い出させる。
 彼のズボンの前を開き、床に直接正座して彼の分身である肉槍を嬉しそうに咥え込んでいる音楽教諭…倉橋キクコの存在を。
「だいたい、こういうのは“あの部屋”でやれば良いでしょう……(幾ら相田君がお昼食べに行ったからって…。)。」
 流石に女だらけの上、散々色々見せつけられる羽目になるのが目に見えている教室内に留まるよりも何処かへ行った方がケンスケも落ち着くだろう。
 しかし、昼休みである以上は何時帰って来るか分かったものではないし、他クラスの生徒が通りかからないとも限らない。
「ほめんなはい。まら、おそうじできてひゃいお。」
 しかし、活路かと思えたその特別室の維持管理を担当していた縁でシンジと結ばれた女教師が謝罪の言葉で咽喉をモゴモゴ動かす。
 ……部屋が使える状態では無いと。
 まあ、シンジとしてはシーツや床がベトベトのギトギトでもここよりはマシという心境ではあったのだが、周囲の迫力に押されっぱなしで強くは主張できなかったのだ。
「く…咥えながら喋らないでよ。」
 すると、えもいわれぬ刺激が脊髄を駆け上がり、
「あんっ!」
 気持ち良い刺激に身悶えしたシンジの身体に擦られて、椅子になっているイスズも喘ぎを押し殺し切れずに漏らしてしまう。
「ほ、ほめんなはい…」
「もう、お姉ちゃんったら愚図なんだから。」
 シンジの左脇に立っているキクコの歳が少々離れた実妹…倉橋スミレが悪し様にけなすと、姉の瞳が歪んだ喜悦で焦点をさ迷わせる。
 明らかに悦んでいるのは、匂い立つ牝の香りがより濃密になっただけでも解る。
 そして、より一層の気合いを入れて舌を駆使するだけではなく、息を吸う動作すら応用して口一杯に含んだシンジの肉槍への奉仕をエスカレートさせていく。
「あら、もうお食事は終わりですの?」
 それどころではないシンジを見透かす様な物言いのマリィではあるが、言った本人もかなり余裕が無く、立ってるだけでも精一杯だったりする。
 肩までで切り揃えられた濃い茶色の髪を左右に振り乱しながらはしたない音をリズミカルに響かせる女教師の姿と、いつもの制服に包まれたままクラスメートの上で乱れるシンジの仕草が、ギャラリーに徹している少女達にしわぶき一つ上げさせない。
 次第に激しくなる動きに喘ぎ悶える椅子役の少女とは対称的に。
 そして、遂にその時が来た。
 肉槍の穂先から放たれた白濁のマグマが女教師キクコの咽喉奥に嫌と言うほど流し込まれたどころか、噴出の反動で口から抜け出し顔全体を白化粧していく。
 と同時に、注目のあまり自分で自分を慰めるのすら忘れ言葉を発する事すらも忘れた少女達の咽喉がゴクリと一斉に鳴り、甘酸っぱくて良い香りが一面に立ち込める。
 もう既に昼休みだけで済ませて貰える雰囲気では無くなっていた。
「あ、あの……そろそろマズイと思うんだけど……」
 辛うじて理性を保っているシンジが痴戯の終わりを提案するが、
「問題ありませんですわ。」
 その常識的意見は、にべも無く却下されてしまう。
「相田君の早退届は受理しましたから、5時間目は“特別授業”にしましょう。」
 ごきゅごきゅ白濁液を嚥下し“食事を”終えたキクコは、次の自分の授業を特殊なものにする事を宣言し、シンジ以外の全員が賛同の意を表すため首をコクコク縦に振る。
 シンジに、それに抗う気力は無かった。
 ただ、
「お願いだから、普通にお昼食べてからにしようよ……。」
 ただ一言だけ哀願する事しか、彼はできなかったのだった。



 一方、早々に早退届を出したケンスケは、思い立ったが吉日とばかりに毎日学校まで持ち込んでいる撮影機材を携えて藪に潜んでいた。
「プールの更衣室と女子トイレの方は隠しカメラに任せて……こっちはこっちで良いのを撮らないと。何せ14万9800円だからなぁ、先は長いよ。」
 3年生の教室を激写する前に周囲の様子を慎重に伺うケンスケは、彼と同じく茂みに隠れて……でも、隠れ切れていない森林迷彩服姿の一団を発見した。
『あれはネルフのガードかなぁ? いや、装備がAK47にRPG7にM16何かでバラバラだし、迷彩服も米軍仕様と戦自仕様でバラバラだ。まさか……テロリスト!?』
 驚きはしたのだが、不思議と落ち着いて息を殺すケンスケ。
 かつてマナに追い回された経験が、彼も知らないうちに度胸を鍛えていたのだろうか。
 それとも、テロリスト達から直接殺意を向けられていないせいだろうか。
『とにかく誰かに…いや、ネルフに知らせないと。』
 こっそり携帯電話をポケットから取り出してボタンをブラインドタッチする。
《ガッコウニ、テロリスト》
 ごく短い一文を打ち込み終えたケンスケが見守る中で、テロリストの一人が懐から何かを取り出し、それ以外の男達は手に手に持った得物を構え直す。
『あれはトランシーバーかな?』
 観察しながら送信ボタンを押し込むケンスケの耳に風切り音が聞こえて来る。
『な!?』
 山向こうから空高く舞い上がり、白煙をたなびかせて立て続けに落ちて来る物。
 それは、迫撃砲弾だった。
 人力でも充分持ち歩ける重さでありながら、ちょっとした大砲に匹敵する殺傷力と射程距離を誇る兵器から放たれた砲弾である。
 初弾であるからには恐らく測距用……つまり、本格的な砲撃の前の照準合わせだろう。
 しかし、ケンスケを驚愕させたのはそんな事では無かった。
 校舎の窓にはいきなり丈夫そうなシャッターが下り、屋上に忽然と出現した機関砲塔群が着弾するだいぶ前に落下してくる迫撃砲弾を撃ち砕いた事がケンスケの度肝を抜いた。
『バ…バルカン・ファランクス……き、気付かなかった。』
 ちなみに今回迫撃砲弾を撃ち落したのは、5.56oミニガン…ライフル銃弾を用いる小口径バルカン砲…装備の対空・対人用砲塔である。
「屋外にいる生徒は速やかに体育館か校舎内に避難して下さい。繰り返します…。」
 避難を促すアナウンスを聞いて逆上したテロリスト達十数人は、隠れ場所の茂みを飛び出しグラウンドへと駆け出して行く。
 目指すは人質確保だ。
 景気づけなのか、それとも窓を破って侵入口を作ろうとしたのかテロリストの一人がRPG7…対戦車ロケットランチャーを校舎に向けてぶっ放したが、320oの鋼鈑すら貫通できるロケット砲弾は校舎に着弾する手前で花火と化した。
『バ、バリア!? そんなものまで!?』
 携帯電話の受信状態が酷く乱れているから恐らく電磁バリアだろう。
『更衣室の壁とかに穴開けられなかったのも、中に防弾板とか入っていたのかもね。』
 戦闘態勢に移行した学校のちょっとした要塞に等しい堅牢さ加減を見せつけられ、ケンスケは今までの出来事を振り返って納得する。
 そして、ケンスケの視界は前触れ無く閃光に占められた。
「う、うわっ!」
 思わず動転して声を漏らしてしまい慌てて口を塞ぐ。
 身を丸くしてとにかく目の回復に努めること30秒。
 再び見えるようになったケンスケの目に映ったのは、一人残らず地べたに転がされたテロリスト達と彼らに手際良く手錠をかけていく10人の黒服の男達だった。
 見ると、5人が拘束作業、残りの5人が銃を構えて内外を警戒しているようで、かなり手馴れた様子が伺えた。
「拘束、完了しました。」
「了解。A班はここで待機。B班は周囲の捜索。」
「はっ!」
 武装を取り上げられ、手錠をかけられ、何か薬物でも投与されたのかぐったりしたテロリストの見張りに5人を残し、残りの5人は3m間隔でケンスケの潜んでいる……そしてテロリストが出て来た林の中に踏み入って来る。
『ど…どうしよう。』
 このままでは発見されるのは時間の問題だし、下手をしたらテロリストの仲間とみなされて面倒な事になるかもしれない。
 しかし、ケンスケの足は鉛の様に動かない。
 あるいは下手な動きをすると余計に危険なのだと本能的に気付いているのだろうか。
「おい! そこで何をしている!」
 それでも銃を向けられ誰何された時には、ケンスケの背筋に冷たいものが駆け巡った。
「は、はいっ! テロリストの通報でありますっ!」
「そうか。報告は聞いている。あんまり危ない真似をするな。」
 妙に畏まったケンスケの申告に、ネルフ保安部所属の男は銃口を外して、他の男達に指示を下す。
「阿部、加藤、この坊やをお連れしろ。後の連中は捜索続行。深追いはするなよ。」
 2人の黒服の保安部隊員に随行というより連行されて行くケンスケに、選択の余地は残されていなかった。
 なまじ軍事関係に詳しいだけに、まだ状況が終了していないと解っているからだ。
「ああ〜、僕のカメラ〜。」
 後に残された趣味と実益を兼ねた機材に心を残しながら。



 エアコン兼用の高性能消臭器が全力運転している教室の中で、シンジ達は今度こそ普通に昼食を楽しんでいた。
 彼専用に用意された愛情弁当に箸を伸ばしたシンジは、彼好みに整えられた味付けに思わず目を細める。
「ん、美味しい。このカブの一夜漬けは綾波、たくあんは能代さんかな?」
 思い人に褒められた少女達の頬が薄紅に染まり、
「そう、これも嬉しいと言う事なのね。」
「シンジ様のお口に合って良かったです。」
 口々に喜びを口にする。
 ちなみに用意する人間は日替わりで、今日のお昼の担当は彼女らだったのだ。
 たわいない穏やかな時間。
 小休止に過ぎないかもしれないが、先程までのHな雰囲気は薄れてゆく残り香だけに名残を残す心休まる一時。
 その平和は、一発の砲弾で破られた。
「窓際にいる生徒は速やかにそこを離れて下さい。」
 アナウンスと同時に窓に防弾シャッターが次々下りてゆく。……念の為に付け加えておくと、今現在生徒が顔を出してるなどの閉めたら支障のある窓に関してはセンサーで感知してシャッターを下ろすのを一時保留する仕掛けがあるので、シャッターに挟まれて怪我をするようなことは無い。
 20回以上聞こえた爆発音の後、シンと静まり返る教室。
 恐れは、無い。
 愛しい人と、頼もしい仲間といっしょなのだ。
 ほどなく非常態勢が解除され、第3新東京市立第壱中学校2年A組の面々は、開放感と今回の事件での犠牲者が皆無だったとの校内放送を聞いた安堵とでお互いに笑いかけたのだった。
 それは、とても朗らかな笑いだった。



 強引に連行されたけど、事情を説明したら注意はされたけどすっごく感謝もされた。
 現場に残してきた機材の返却も確約して貰ったし、まずまず気分良いかな。
 家の前までネルフの車で送って貰って、俺は意気揚々と帰宅……いや、凱旋した。
「いや〜、良い事をした後は気分が良いなぁ……ん?」
 玄関のドアを開けると、そこに大きなダンボール箱が置かれていた。
「何かな?」
 貼られているラベルには、『相田ケンスケ君江 ネルフより』と書かれている。
「お、さっすがネルフの保安部。仕事が早いな〜。」
 感心しながら俺の部屋にダンボールを運び、さっそく中を開ける。
 そこには……
「お、ちゃんと梱包されてる。芸が細かいなぁ。」
 クッションシートに包まれた望遠レンズ付きカメラに……え? 隠しカメラに無線式録画装置!? なんで見つかった!? いや、なんで俺のだとバレたんだ!?
「だ、駄目だ……勝てねぇ。」
 俺には分かった。
 これが次は無い、と言う警告なのだと。
 もしかしたら、これが今回の通報の報酬代わりなのかもしれないが。
「ううう、あれは我慢するかぁ。……欲しいんだけどなぁ。」
 もし壱中を退学させられたり転校させられたりすると、写真の売り上げ……シンジやクラスの女の子を写したものの撮影や販売に重大な支障が出てしまう。
「でもなぁ、学校の敷地に近づいたジャーナリストとかがネルフの黒服に不審尋問されてるところを何度も見てるからなぁ。俺もこの学校の生徒じゃなかったらカメラなんて持ち込めない……いや、下手したら近付くのも厳しくなるだろうし。」
 普通の写真売るんでも毎月の小遣いの倍以上は軽く稼いでるから、この収入源を捨てるのはもったいないしなぁ。
 そこで、俺は、すっぱり盗撮写真からは手を引く決心をした。
 ……命も、金も惜しいからね。



 昼食が済み、騒動の余韻も治まった2年A組の教室では、
「それでは少し早いけど特別授業を始めましょう。」
 教壇に立った倉橋キクコが授業の開始を宣言した。
 異論は出ない。
「起立、礼、着席。」
 ヒカリの号令で、思い思いの角度で頭を下げ席に着く一同。
「では、碇シンジ君。あなたを特別講師に任命します。」
 しかし、シンジは他の生徒と同じように授業を受ける事ができなかった。
 前後のドアが施錠され、カーテンで窓が閉ざされ、防音壁で隔離されたこの閉鎖空間では、彼は教える側の人間だったのだ。
 女の肉体に悦楽の極みを。
「洞木さんは外を警戒していて下さい。」
「……はい。」
 そして、貧乏籤の見張り役は今日の日直であるヒカリがやる事になった。
「みんな、下半身に着ている物を脱いでテキストの76ページを開いて下さい。それが今日の課題曲です。」
 素直に全員がスカートを…タイツを…ショーツを脱いで自分の机の上に畳み、その上に紙製の普通の音楽教科書を広げる。
「みなさんには順番に課題曲を1コーラス歌って貰います。」
 もじもじと露出した下半身を隠したり、早くも感じ始めたりしている生徒達に先生はにこやかに授業内容を伝えてゆく。
「ただし、歌う時には碇特別講師にバックから貫いていただきます。」
 課題曲のカラオケが収録されたCDを入れたラジカセを用意しつつ何気に放たれた爆弾は、シンジ本人だけをうろたえさせ、他の面々の花園をジュンと湿らせた。
 強力な消臭効果で気にならないレベルになっていた牝の色香が再び教室中に充満する。
「机の間隔を開けて、碇特別講師が動き易くなるようにして下さい。」
 不要な机や椅子は速やかに教室の後ろに山積され、横5縦4の列を作る。
「あ、あの……」
「なんですか、碇特別講師。」
「それだと時間が足りなくなりませんか?」
 シンジの質問に、キクコは大きな胸を張って答えた。
「大丈夫です。次の6時間目を担当なさっている衣笠先生は仲間ですから。」
「……あ”?」
 そう。今日、この場で最初の特別授業が開始されるのは計画的犯行なのだと。
「歌えなくなった時点で次の人に交代します。では、綾波さん。机に手をついてお尻を高く上げて下さい。」
 羨望の視線が集中する中、とても素直に言われた通りの格好になるレイ。
「では、碇シンジ特別講師、お願いします。」
 羞恥と嬉しさで桃色に染まるお尻をシンジが掴んだのと、レイが課題曲を歌い始めるのは同時だった。
「フラあっああああああああ!!」
 プッシャアアアアア!
 そして、最初の1小節を歌う事すらできず、喜悦に震えて崩折れた。
「……では、次、若竹ハヅキさん。」
 女の秘蜜を垂らし牡の樹液をねだって名残惜しげにパクパクしているレイのクレヴァスから肉の太槍を抜き放ち、シンジは隣で先程のレイと同じ姿勢をとった黒髪をおかっぱにした眼鏡をかけた女生徒の背後へと移動する。
 授業は、これからが本番であった……。
 いや、もう本番をしてるとも言えるのだが。



 ゲンドウが外回り、ミサトやカティーが修復作業、リツコが技術部の活動で時間を取られていると、ネルフ本部をまとめる業務は必然的に副司令の冬月コウゾウの担当になる。
「しばらく静かだと思ったら……どこの組織だ?」
 その冬月は、今日久々に発生したテロの報告を受けて頭を抱えていた。
「不明です。ですが、学校付近に潜伏していたテロリスト17名の身柄を拘束し、赤木博士に引き渡してあります。」
 青葉の報告は、彼らの生命が保証できない……と言うか、ぶっちゃけ新たな人身御供が自分から飛び込んできたのに等しい状況になった事を示していた。
「砲撃して来た連中の行方は?」
「不明です。我々の管轄外の地域からの砲撃だと思われますので。」
 しかし、迫撃砲で砲撃をしてきた連中の方は、ネルフの権限が及ばない区域から攻撃してきた事もあって行方が分からなくなっていた。
 ……もしかしたら、日本政府に犯人グループを探す気が無いのかもしれないと冬月は睨んではいるのだが。
 それがどうしてかと言うと……
「では、同時期に逮捕・拘束された人間は?」
「今のところ19人。武器を持っていなかったので監視に止めているのが38人です。」
 派手なテロリストの襲撃を陽動作戦代わりに使って、ゼーレや日本政府などが“目”を送り込んで来たのだと推測していたからだ。
「至急、全員の身元と命令系統を洗っておけ。終わり次第処置を開始する。」
 ちなみに今回潜入してきた以外の工作員は、その全員が洗脳や懐柔工作によって転向したか、はかなく命を散らしたか、リツコの実験の材料となっており、現在マトモに活動している工作員はこの世に存在していない。
「はっ!」
 超コンピュータMAGIが支配する要塞都市に張り巡らされた監視ネットワークと誇りを持って人類を守る仕事に従事している保安部や諜報部の要員の目の二つをかいくぐるのは、少々普通ではない訓練を積んだ人間にも難しいのだ。
「しかし、どうにかして監視範囲を広げないといかんな。今回は学校が目標だったから助かったようなものだが……。」
 これが無差別攻撃だったら現状では防ぐ手が無いと嘆く冬月は、後で技術部に対策を練るよう依頼しようと考えたのだった。



 ジオフロントに建てられているネルフ中央病院。
 地下空間にある最新医療の殿堂の一角に、その場所はあった。
 日本各地からネルフが持つ試験段階の先端医療技術を最後の望みの綱と考えて集まって来た病人達が収容されている病棟が。
 そんな明日をも知れない患者達が病魔と戦う戦場に、一人の少年の姿があった。
 その名を碇シンジと言う。
「ごめんなさいね、シンジ君。わざわざ来てもらって。」
 その彼をここまで案内して来た人物は病院に相応しく白衣姿であるが、医者と言うには少々外見が幼く、せいぜい高校入りたて程度にしか見えなかった。
「ところでリツコさん。今日は何をすれば良いんです?」
 赤木リツコ博士、その人である。
「ここの人達の話相手になって貰うだけで良いわ。伝染病の菌は残ってないから、あんまり過敏になる必要は無いわよ。」
 なお、厄介な病原菌を駆逐……と言うか根こそぎ滅ぼしたのはリツコの持つイロウルの力である。自分の細胞の一部である細菌状のナノマシンを散布したり、病人に注射したりして、体内や体表の病原菌を狙い撃ちで食い殺したのだ。
 この方法を使えばウィルス性疾患のほとんどを何とかできると判明したのだが、遺伝子障害や病気で既にどうにかなってしまっていた身体機能の回復までは手が回らない。
 実験中の薬で日常生活が送れるぐらいまで回復した人もいるが、それ以外の病人は依然としてこの病棟で闘病生活の日々を送っていた。
 だが、リツコはシンジに関する今までの研究と、あのシンジ救命作戦をヒントに現状打開の鍵を掴んだ。
 そう、シンジである。
「そうなんですか。」
「ええ。ここでのシンジ君の行動に制限はかけないわ。好きにして良いわよ。」
 それで悪いこと考えるような子じゃないしね、とリツコが悪戯っぽく笑いかけると全幅の信頼を双肩にドサリと置かれて俯いたシンジの表情が照れで紅に染まる。
「じゃ、行きましょう。一通り紹介するわ。」
 そんなシンジを、リツコは先に立って病棟の奥へと導いて行くのであった。

 白血病、心臓病、癌、肝臓病、筋萎縮症、先天性免疫不全……種々様々な難病を患っている老若男女56人の病室を訪ね、その一人一人に挨拶に加えてごく簡潔な会話を交しただけで第3新東京市の街並みに明かりが灯り始める時間になっていた。
「そろそろ帰らなきゃ。ごめんね。」
 窓から差し込む朱を帯びた陽光に時間を知ったシンジは、ベッドの上に寝ている日生フブキと名乗った末期癌に蝕まれている少女に申し訳なさそうに頭を下げた。
「また来てくれますか?」
 長患いで頬がこけ、抗癌剤の副作用で頭髪が全て抜け落ち、骨の形が見えるほどに痩せ細ってしまっている少女が縋るように祈るように見詰める瞳を、シンジは柔らかな微笑みで受け止める。
「うん。……女ったらしの僕で良ければ。」
 とても澄んだ優しい瞳、それに見詰められているフブキの中で、ある事への憧れが鎌首をもたげてくる。
「じゃ、じゃあ、一つだけお願いを聞いてくれますか?」
「なんだい?」
「……キス、して欲しいんです。した事無いから。」
 それは、テレビドラマとかで良く見る“キス”という行為への憧れだった。
「した事が無いってだけでキスするのは、おかしいんじゃないかな?」
「前のお医者さんが、後悔が無いようにって…だから……」
 ここに来る半年前には余命三ヶ月を宣告されていた身だから、フブキは物事を先延ばしにするのがとても嫌になっていた。
 それでもここまで持ったのは本人の頑張りとリツコの新薬のおかげではあるが、その頼みの綱の薬も効果が薄れ始めたと知ってからは尚更に。
 輝きを曇らせ逸らされた視線に絶望で挫けてしまいそうな心を感じたシンジは、ようやく腹を括った。
「分かった。目、瞑って。」
 ゆっくり顔を近づけ、真っ白な肌が緋色に染まるのを至近距離で楽しむ。
 そして、2つの影が数瞬重なり、また離れる。
 唇を触れ合せるだけのキス。
 紅を差した如く美々しく紅葉した唇から溜息がそっと漏れる。
「今度会う時はもっと凄いことしてあげる。……君が、望むなら。」
 そんなフブキの耳元でシンジがそっと囁くと、
「……はい。」
 紅潮した面を伏せながら、か細い声で、それでも確かに返事をした。
 承諾の返事を。
 大嫌いになったはずの先々の約束を。

 シンジはずっと気付かなかった。
 彼が唇を触れ合せた時、フブキに生命の息吹を吹き込んだのだという事を。
 吹き込まれたモノの名前を、人は“恋”と呼んでいるのだという事を。
 シンジは遂に気付かなかったのだった……。



 夜。
 シンジ達が住まうコンフォート17マンションも闇の帳に包まれる頃。
 ここに起居する乙女達の憧れの地11−A−3号室に、2人の少女が訪れていた。
「さあ、寝るわよシンジ。」
 タンクトップとジョギングパンツという出で立ちのアスカと、
「シンジ君、寝ましょう。」
 飾り気の無い紺色のパジャマに身を包んだマナが。
「寝るって、まだ早いよ?」
 いつもの“寝る”時間からしたら未だ早いんじゃないかと指摘するシンジを、
「いいから、言う通りにする!」
「今日は疲れてるんでしょ? 早く寝ないと参っちゃうんじゃないかな?」
 アスカとマナが共同戦線を張って黙らせにかかる。
 この2人の息の合った口撃に防壁を易々と突破され、シンジは大きな白旗を揚げた。
「う…うん。分かった。」
 そして、自分が着ている服を脱いで畳み始めた。
「ちょ…レディーの前でいきなり着替え始めるなんて失礼よ!」
 と言いつつも、アスカの目はしっかりとシンジの身体を余す所無く見ている。
「え? でも、脱がないと“寝た”後で洗濯とか色々大変だし……。」
 しごく当たり前の如く言い放ちつつ全裸になったシンジの右腕を、
「じゃあ、シンジくん、行こう。」
 マナが自分の腕で絡めて寝室へと引っ張っていく。
「行きましょ、シンジ。」
 その反対側、左腕をアスカが掴んで同じく寝室へと引っ張る。
 行動選択の自由は、今のシンジには無かった。
 2人がかりでシンジはベッドの上にそうっと転がされ、絡めた腕と同じ側に寄り添う様にマナとアスカがシンジの隣に寝転んで来る。
 吐息の熱さ、肢体の柔らかさが分かる、そんな至近距離。
 シンジはさっそくサーヴィスを始めようと手を…
「ストップ!」
 …動かそうとした所で、アスカの鋭い声で制止された。
「ホントに、アンタは今それがしたいの?」
 咎めているのでもない、糾弾してるのでもない、いたわりを含んだ声。
「私達のことは気にしなくて良いのよ。こうしてシンジくんといられるだけでも幸せなんだから。」
 言葉通り幸せそうなマナの声がシンジの鼓膜を、心を震わせる。
「だから、今夜は添い寝だけで勘弁したげるって言ってるのよ。勿論、アタシ達とやりたいって言うなら反対しないわよ。」
 それならそれで大歓迎だしね…と言わんばかりで、でも照れ臭そうにそっぽを向いたアスカに、見上げるように見詰めるマナに、心の奥から愛しさが込み上げて来る。
 単なる肉の刺激に止まらない、何かが。
「じゃ、お言葉に甘えさせて貰うけど……良い?」
 この後に及んで御伺いを立てるシンジに、
「その代わり、腕枕ぐらいはするのよ。分かった?」
 両頬にえくぼができたとこを見せたアスカであった。

 川の字になって寝転んだ3人の真ん中で、今日の疲労からか真っ先に泥のような深い眠りに囚われたシンジの寝息は、両腕に感じる心地良い重みと両脇に感じるしっとりとした暖かさのせいか、とても穏やかで規則正しいリズムを刻んでいたのだった。
 まぐわった後ぐったりと眠るのが常だった大きなベッドの真ん中で。



 一方その頃、同じマンションのとある一室では、
「やっぱ、オナゴの肌はやわこいのう。……ん!」
 鈴原カスミが自分の身体を洗って“いた”。
 過去形なのは、最初は石鹸をつけたタオルで身体を擦っていたのが、何をどうしたか直接手で擦りだし……今では、乳房の柔らかさを自分で確かめているというていたらくだからである。
 控えめにしていた小さなポッチに指が引っ掛かると、甘い痺れが広がってゆく。
「な、なんやコレ。センセにして貰ってる時とそっくりや。」
 得体の知れない重力に引かれ、カスミの指はだんだんと下へ滑る。
 お腹に…へそに…そして、その下……
「おに…じゃなかった……おねえちゃ〜ん、いっしょにはいろ〜。」
 ガチャ。
「ちょ、ちょお待ちいやっ!」
 夢中になってふにふにぷにぷにしてたので気づき損なったのだろうか。
 カスミが気づいた時には、大股開きで手を胸と太股の間に伸ばしている姿をばっちりと妹のハルナに見せつけていた。
「お、おねえちゃん……」
「こ、これはなぁ、違う、違うんや!」
 狼狽し、焦り、誰も信用してくれそうもない言い訳を並べまくるカスミに、ハルナはズバッと言い放つ。
「おねえちゃん、たまってるの?」
「そそそそそそそ…そういう訳やないんや! ホンマやで!」
 顔を真っ赤にして力説するカスミに、
「なんだ、せっかくいいことおしえてあげようとおもったのに。」
 ハルナは残念そうに口を尖らせて踵を返そうとする。
「ちょ…ちょい待ちいや。何や、その“ええこと”っちゅうのは?」
 が、兄だった姉の必死に呼び止める声に思い止まって“とっておき”を教えてあげる事にした。
「ええとね、そゆときはね。おにいちゃん……シンジおにいちゃんのことをおもいうかべるのがいいよ。」
「センセの事をか?」
 何気に口にした途端、カスミの背筋にまるで落雷を浴びたように錯覚するほど強い痺れが駆け抜けた。
「な、何やこれ。センセのこと考えただけでこれやなんて。」
 一気に火照った身体中から熱い汗が噴き出し、石鹸のぬるぬると混じって鼻腔を刺激する芳香を醸し出す。
 そして、カスミの肌は思い出す。
 シンジの手に壊れ物に触るよう優しく撫でられ、隅々まで包まれた記憶を。
 シンジの唾液や2人が出した体液に塗れた舌に余す所無く賞味された記憶を。
 カスミの身体は思い出す。
 シンジに貫かれ、満たされた時の充足感を。
 シンジの腕に抱かれた時の至福を。
「な、何ぞくる……きよる……くわぁああああああ!」
 堕ちる悦楽を。

 しばらくボーッと脱力してプラスチック製の風呂場用椅子とタイル張りの壁に身を預けていたカスミは、気が付いたら妹のなすがままに身体を洗い清められていた。
「あ、おはよ、おねえちゃん♪」
「おはよ……」
 情事というか自慰の残滓か回転の鈍くなった頭でようよう返事するカスミ。
「おねえちゃんのかみ、いいなぁ……スベスベしてて、サラサラで……」
 腰まで届く癖の無い黒髪を手櫛で梳くと、全く引っ掛からずにすうっと滑る。
「こんなん重いだけや。邪魔っけだからバッサリ切ろうか思うとるんやけど。」
 だが、当の持ち主の方は長い髪は手入れが大変で水気を吸うと重くて大変としか認識していなかった。……この時点では。
「え〜! もったいないよ〜! こんなにきれいなかみなのに。」
「やけどなぁ……」
 妹の羨望にも心が動いた様子は無かったが、
「おにいちゃんも、こういうかみ、すきだとおもうけどな。」
「なんやて? それはホンマか?」
 シンジの好みを持ち出されると、ピクッと眉が動いた。
「ん〜、たぶん。」
「そうか。それは無視する訳にいかんかな……。」
 自分では理解出来ない心の動きであったが、カスミは今後もこの髪と長い付き合いを続けるのを納得してしまったのであった。

 ふやけてどうにかなる前に風呂を出る。
 バスタオルを髪に押し当てて水気を吸わせてから身体を拭く。
 ……前にタオルでガシガシ擦ったら、イインチョにエライ大目玉食ったなぁ。
 妹のモノと比べて豊かな胸を拭きながら思う。
 何時の間にかオナゴの裸見てもどうも思わなくなっとったな。あのミサトはんを見てもクるもんがあらへんし。……前なら大騒ぎしてたんやろうけどな。
 だいたい拭いたところで脱衣かごから小さな布切れを摘み上げて手で広げる。
「しっかし、良くこんなもんで履いた気になるもんや。」
 そう言いつつも二つ開いてる穴に足を通して付け根まで引っ張り上げると、布地は必要にして充分な隠蔽効果を発揮する。
「これもなぁ……初めはこんなん着けとうなかったんやが……」
 次いで手に取ったのは、二つの歪な半球状の布地を紐で繋いだ物だ。
「着けへんと、走ったら痛うてかなわん。」
 両腕に紐を通し、両胸の膨らみを布地で覆う。
 それから、背中で金具を止めて固定する。
 割りと楽だって言われた前で止めるのを選ばなかったのは髪が邪魔で着け難いと思ったからやが、やってみると別にこれでも苦労せえへんから問題無い。
 その次はブラウスやけど、これは男のとたいした変わらへんから問題無い。色々こだわればこだわれるんやろが、ワイはそういうのは苦手やしな。
 問題はその次や。
 この筒みたいな布切れ……スカートのことや。
 こいつは一番の強敵や。
 何でみんなこんなピラピラして下がスカスカしたもんで我慢できるのか分からんわ。
 ……まあ、ズボン履いてるよりかは涼しくて良いが、風が吹いただけでも捲れて中が見えそうになってまうのは勘弁やわ。
 せやけど、取り敢えず履いておかないとハルナやイインチョが煩いからのう。こん後にやらかす作法の特訓とやらで、いきなり不可食らってまうわ。
 アレに合格せんと学校行かせて貰えんからな。ドカチンやるのも悪うないんやが、今の生活が続くと下手するとセンセに丸一日会えへんからの。
 思い切って布の筒に足を通し、ファスナーを上げ、ボタンを留める。
 すると、どっからどう見てもオナゴにしか見えなくなる。
 ……そういや、見た目でどうこう言われた事は無いなぁ。仕草の方は色々言われて辟易しとるがな。
 取り敢えずの身支度を済ませたら、大股にならないよう気をつけて歩く。
 ナスターシャとかっちゅう外人さんに教わった歩き方で、つかつかと。
「お、もう来とったんか。」
 リビングまで行くと、毎晩作法の特訓に来とる教師とやらがもう来てやがった。
「こんばんは、鈴原…ううん、カスミ。」
 今夜はイインチョにハルナだけか。……まあ、人数がいればええ訳やないしな。
「おお。で、今夜はどうするんや?」
 訊きながらソファーに座る。昼に指摘されたばっかやから足は開かないように気をつけるのは勿論やが、スカートがどうかなってしまわんよう手で抑える。
 ……本当は意識せんでも自然にできるようにならんとあかんのやろうけど、ワイには未だ無理な話や。
「それなんだけど……す…カスミは料理とかする気、ある?」
「男子厨房に入らず、や。」
 イインチョの提案を即刻却下したワイやったが、この論法には巨大な盲点があった。
「おねえちゃん、いまはおんなのこでしょ?」
「あ、そうやった。」
 ハルナに言われて気付き、もう一つの失策にも気がついた。
「その台詞が出て来るって事は……もう少し特訓しないといけないかな?」
 溜息の後に続くイインチョの台詞が、ワイのこれからの運命を宣告していく。
「は…はう。しもた……。」
 NGワードを言ってしもうたって事に気付いても、もはや後の祭。
 またもや特訓生活からの卒業が遠のいてしもうたんや。
 うう…早く何とかせんとなぁ。
 何はともあれ、ワイにはイインチョの特訓を受けるしか道は残されていなかったんや。
 見苦しいことやってセンセに恥かかす訳にいかんからな。
 それだけは嫌やから。



 真夜中の発令所。
「偵察衛星かね?」
 24時間休み無く機能しているネルフ本部の指令中枢で、冬月が技術部から提出された報告を受け取っていた。
「ええ。情報収集手段は多いに越した事はありませんわ。我々独自の人工衛星を極秘で打ち上げるのを推奨致します。」
 その報告書を持って来た少女…いや、15歳の少女の姿をしてはいるが中身は31歳の技術部長 赤木リツコが提出したアイディアは、冬月を困惑に陥れる。
「極秘に……かね。だが、現在の科学で極秘に打ち上げるというのは不可能だし、今からロケットを組み立てるのでは時間がかかり過ぎないかね?」
 胸に湧いた疑問を訊き返すと、リツコは胸を張って指摘した。
「何もロケットだけが衛星打ち上げ手段ではありませんわ。特に、我々では。」
 科学が編み出した手段以外にも利用できる方法はある……と。
「なるほど……な。いつまでに用意できるかね?」
 言われて納得したのか、大きく頷く冬月。
「1週間もあれば第1号衛星を形にして見せますわ。……部品調達をおおっぴらにできれば3日でどうにかできますが。」
 かなり常識外のハイペースな製作スケジュールではあるが、普通の人工衛星とは違ってロケットによる打ち上げで壊れない様に…なおかつ軽量に仕上げなければならないという両立が難しい制限が無いので、ネルフの技術力をもってすれば充分に可能である。
「分かった。やりたまえ。」
 この時、ネルフ本部は独自の軍事衛星の保有という方向に大きく舵を切った。
 国連軍から提供される情報や諜報部が調べた情報だけでは自分達の身は守れないのだと判断し、より積極的な情報収集活動へと踏み出したのだ。
 そして、報告と言うか提案はそれだけでなかった。
「後は小型の偵察ロボットを多数用意して、第3新の周辺地域をパトロールする方法も考えられますわ。」
「人間のパトロールではいかんのかね?」
 リツコの提案にまたもや疑問を呈する冬月であったが、
「今の保安部は良くやっておりますわ。ですが、我々の管轄外の区域での情報収集は、必要なら何時でも廃棄処分にできる機械の方が向いているかと。」
 そう言われると大いに腑に落ちた。
「なるほどな。」
 人道的見地からも戦術的見地からも人間を使うのは適切でないというのは、言われてみればその通りである。
 ネルフの管理区域外でネルフの職員が活動するには色々と制限があるし、万が一何かが起こった時に人間だとそうそう見殺しにする訳にもいかないからだ。
「あと、小型の無人偵察機についても配備を考えるべきかと。既存の軍事技術ですので短期間で開発が可能と思われます。」
 更に、有事が発生した時に上空から素早く情報収集する偵察機器の独自保有の要請に冬月は苦々しく肯いた。
「分かった。その件については任せる。好きにやりたまえ。」
 そもそも日本政府が腰を据えてマトモな対策を取っていれば、ここまでテロ組織の好き勝手な襲撃を許す事は有り得ないのだ。
 今日の昼間の学校襲撃はチルドレンやチルドレン候補を誘拐して何処かの軍隊に売ろうとしていた不埒者だと判明したのだが、それに乗じて侵入しようとしていたスパイのうち半数近くが日本政府の回し者だった事が冬月……いや、ネルフ本部に勤務する職員達から日本政府に対する信頼感を奪い去っていた。
 だからこそ発令所に居合せた誰からも計画に異論を唱える声は上がらなかった。
 使徒ではなく、人間を敵と仮定して備える計画だったにも関らずに……。



『あれから5…いや、6年近くになるのか。』
 人の脳に似せた合成有機物質で構成された虚ろな器、人格を与えられた思考する機械を見下ろしながら、ゲンドウは心の中で呟いた。
「参号機の件での不始末についてのこちらの損害請求はこうなっている。」
 だが、唇は内心考えている事とは別の事柄を紡ぐ。
「損害請求だと! 馬鹿も休み休み言いたまえ!」
 いかにもアメリカ的な偉丈夫が居丈高に言い放つのに、ゲンドウは口元に嘲笑を浮かべつつ小声で囁く。
「では、参号機の精製過程のデータが間違っていたと発表しても良いのですな?」
 男の白い肌がザザッと真っ青に染まり、こめかみがピクピク動く。
「ど、何処でそれ…いや、何を根拠に……」
 先程の怒声とは比べ物にならない程か細い声でうめく男…アメリカ第1支部長に、ゲンドウはサングラスで目線を隠しニヤリと邪に笑う。
「それは言えませんな。ただ、こちらの条件を飲めないなら委員会に報告致しますよ。」
 人類補完委員会に提出された参号機の精製過程のデータが実は出鱈目で、製造工程を簡略化して量産効率を高める実験で生まれた産物なのだと言う事実を。
「そ、それは困る。」
 そんな事をされては彼の……いや、彼に止まらず人類補完委員会のアメリカ代表の立場すら非常に危険になりかねない。意図的に虚偽報告していたと見られれば反逆の意有りとして処断されるだろうし、意図的で無かったとすれば管理能力の欠如を責められるだろうからだ。勿論ながら彼の立場は処罰がクビで済めば神に感謝しないといけないぐらい悪くなるのが確実だろう。
 いっそ発令所から突き落として墜死させてしまおうかと危ない考えで目が血走り出した男の頭に、ゲンドウの一言が冷水を浴びせる。
「下手なことはしない方が良い。」
 この狡猾な男が何の手も打たずに面と向かってこういう事を言う筈が無い。
 それを良く知っているアメリカ支部長は、一歩踏み出しかけた姿勢で硬直した。
 事故であれ何であれゲンドウが急死した後にゲンドウが握っている証拠が公表されでもしたら、彼は確実に破滅してしまう。
 その程度の道理すら分からないほど彼は愚鈍では無かったのだ。
「で、返事は?」
「Yesだ。」
 無念極まりないと肩を落とす男を見やってから、ゲンドウは眼下の本部にあるものと外形だけはそっくりな超コンピュータをちらりと見て思い浮かべる。
 日ごとユイに似てくるレイに思い余って手を出し心を壊してしまった悔恨と、マギ・システムが完成するまではと我慢して己が身体を使いゲヒルン…ネルフの前身の組織…に繋ぎ止めていた赤木ナオコ博士がレイを縊り殺した場面を。
 そして、我に返ったナオコが発令所からマギへと身投げした場面を。
 監視カメラの記録映像で見ただけにも関らず、目の前で起きた事のようにアリアリと。



 アメリカはマサチューセッツにあるネルフ第1支部で、そこの支部長がゲンドウの要求に屈していた頃、ネルフ本部に設置されたマギ・システムと赤木リツコ博士が余人には聞き取れない電子の海での会合を行なっていた。
 いや、碇ユイと赤木親娘が……と言い替えた方が良いだろうか。
《で、計画には全部Goサインが出たわ。》
 不世出の天災…もとい、天才科学者三人の一人、この中では唯一自由に動ける身体を持つリツコの発言を皮切りに論議がスタートする。
《人工衛星も無人偵察機も既存技術ですから問題無いでしょうけど、無人歩哨を短期間で実用化するのは難しいかもしれないですわ。》
 マギ・メルキオール=ユイが当面の問題を抉り出し、
《そうね。私達もロボット工学は得意じゃないし……キョウコが本調子なら良かったんだけどね。》
 マギ・カスパー=ナオコが思わず無いものねだりの愚痴をこぼす。
 彼女の元々の構想通り惣流・キョウコ・ツェッペリンの人格パターンを持つ事となったバルタザールが擬似的な自意識を形成できていたなら、彼女ら2人と同じように自ら思考し、自ら判断し、自ら発明できるようになれば今回の問題はとっくに解決していたのだろうが、そうそう話が上手く行く訳も無い。
 おまけに未完成の人格データ転写システムを使用した事もあり、現在のバルタザールの能力は他のマギ・コピーを構成する人格コンピューターと同じぐらいでしかなかった。
《ゲンドウさんが上手く話をまとめてくれれば良いですけど。》
 しかし、キョウコの遺体が手に入ればどうにかできる可能性はある。
 エヴァ関連の技術資産が本部に集中するのに強硬に反対しているアメリカ第1支部を説得できれば、エヴァンゲリオンの実験で精神を病み自殺したとされるキョウコの凍結保存された遺体を入手できるかもしれないのだ。
《量産型エヴァンゲリオンの基礎データの収集が終わった以上、チャーチヤードの住人の価値は低いわ。元々約束の日までにロストナンバーを含めた全てのチルドレンを本部に集める計画だから、引渡しを渋っているアメリカ支部さえ説得できれば何とかなるわ。》
 ちなみにチャーチヤードの住人というのは、今までのエヴァンゲリオンの実験で犠牲となった人達の凍結保存された遺体や植物状態の患者の事を指すネルフの隠語である。
《で、リツコ。その引渡しを渋っている理由って何なの?》
 ナオコの質問に、リツコは溜息にも似たノイズを混ぜながら答える。
《手抜き…よ。アメリカ支部は本来666に分けた上に複雑で長期に渡る繊細な手順を経なければならないエヴァンゲリオンの製造工程を可能な限り省略して費用と時間を節約しようとしたらしいわ。マギ4の記録は問題無いものに差し替えてあったけど、技術部のコンピューターの一つにその時のデータが残ってたわ。》
 ちなみに浮いた予算は50億アメリカドルと巨額であり、ドイツ支部の方でもアメリカ支部と同様にエヴァ関連の実験の失敗が数多く連続して起こらなかったら、幾ら何でも目立ち過ぎて事が露見しただろうと思われる。
《そ…そんな事をしたら……》
 アメリカ支部がしでかしたあまりに軽率な行為を聞いて、エヴァンゲリオンについては誰よりも詳しいユイが危うくシャットダウンしかけた。
《ええ。使徒になったのが一体で幸い……いえ、セカンドインパクトに匹敵する惨事が起こらなかっただけマシですわ。》
 恐らくはチルドレン適性の選定も甘く、暴走するどころか力を受け止める事さえもできずに死んでいったのだと思われる。
 力ある魂と融合する使徒能力者と違い、エヴァ・チルドレンとしての適性は厳しく情け容赦無くシビアなものであった。
《一人だけでも生き残ったのは奇跡ですわね。神秘学に関する知識が無さ過ぎます。》
 マリィ・ビンセンス。
 彼女だけは持ち前の適性と、エヴァンゲリオンが効果を発揮する最低服用量を調べる為に少量のエヴァしか与えられなかった事が幸いして、アメリカ支部のチルドレンで唯一の生存者になれたのだ。……ATフィールドを展開する能力は身につかなかったが。
 ちなみに日本にチルドレン候補が多いのはリリスが近いという特殊条件の為で、別に日本人が特別に優れている訳では無い。また、黒人やアラブ系の候補者が少ないのはゼーレの幹部の多くが人種差別的な偏見から彼らを毛嫌いしているのが主な理由である。
《ドイツ支部もアスカを入れて2人……おまけに、そのうち1人はロストナンバーっていうじゃないの。この状況で本当にチャーチヤードの住人を渡してくれるかしら?》
 専門外の話題だったので今まで関連資料を検索していたナオコの疑問に、
《フィフスチルドレンの候補の選定は進んでるみたいよ。それに恐らく薬そのものの方は既に完成しているわ。》
 実の娘がすぐさま予測の根拠の一端を回答する。
《なるほどね。後は適格者を見つけるだけって訳ね。》
 そこまで聞いて始めて、ナオコも他の2人の意見が希望的観測ではなく客観的な状況分析なのだと納得した。
《成分調整のノウハウなんかは向こうもこっちと同じだけデータを持ってるわ。だから当初の計画通りに進めるのに反対する理由は無いはずよ。》
 量産型エヴァの成分は基本的にアスカの弐号機と同じだし、他のエヴァに関しても他の支部にデータを回してバックアップしているのも駄目押しになるだろう。
 この話題について3者の判断は一致したところで、ユイが新たな話題を切り出す。
《人類補完計画の……いえ、解読に成功した裏死海文書の一部『失敗者は成功者の足下に倒れ伏す』という記述から来てるのですよね、それ。》
 というか確認する。
《え、ええ。……ご存知なのですか?》
 リツコが裏死海文書についてどれだけの知識を持ち合わせているかを。
《何とかデータ・アーカイバの実物まで調べさせてもらう事ができましたわ。2週間だけですけどね。》
《アーカイバ!? まさか!? 古文書とか石盤とかじゃないのですか?》
《いえ、裏死海文書とは何者かが遺した記録装置に間違い無いと思われますわ。断片的に解読できた成果だけでも多くの技術的困難を解決する鍵になりましたですし。》
 もっとも変質したり風化しかかっていたりで解読どころか全く読み取れない個所も多々あったのであるが、それでも貴重な先史文明の遺産である事には違いない。
 現にネルフもその恩恵を数多く享受しているのだから。
《裏死海文書が無ければマギは作れなかったわね。》
 ちなみにマギ・システムに使われている特殊な有機素材や、エヴァ・パペットなどに使われている空気整流機構などは裏死海文書の記述を参考に開発されたものである。
 人間の脳組織に組成が似ていて、なおかつ簡単に劣化しない合成物質など、現代科学ではヒント無しに実現するのは困難……と言うより不可能であっただろう。
《できれば手に入れたいけど、多分無理でしょうね。》
《ええ。ゼーレの精神的支柱ですもの。取られたと分かった時点で暴走しかねないわ。》
 苦笑するリツコに苦笑で返すユイ。
 自分が獲得できた情報の他に何が記されているのか気にならないと言えば嘘だが、奪取するのは色々な意味で危険過ぎる。盗られたと分かったら、どんな暴走をやらかされるか分かったものではないからだ。
《……結局、こっちはこっちでできることをするのが一番って事かしらね。》
 結論は、まあ、そんなところだった。

 それから幾つもの技術的で専門的な会話を……普通なら数時間は過ぎそうな密度の濃い討論の数十秒間を過ごした3者のうちリツコは、泰然自若としているユイに質問をぶつけてみる。
《そういえば、碇司令やシンジ君にあなたの意識がマギに宿っていると伝えなくて良いのですか?》
 ここ数日胸に抱いていた、ごく素朴な疑問を。
《シンジやレイに教えたら“計画”の進捗に影響が出るし、あの子達に教えないのにゲンドウさんにだけ教えるなんて……シンジやレイが可哀想です。》
 秘めた悲痛な想いを感じ取り怯むリツコだが、それでも探求心は止まらない。
《……どうして、そこでレイの名が出て来るのかしら?》
 いや、誰よりも真実に近付こうと熱望する者こそがジャーナリストや科学者の道を志すのだろうか。……まあ、別の道を往く人間も多いのだろうが。
《レイはゲンドウさんと私の子供ですから。……たとえリリスから分かれた魂が宿っているにしても。》
 母親らしい事なんて何一つできませんでしたけどね……と、寂しそうな苦しそうな呟きが電気の波となって人の脳を模した構造体の中を走る。
《道理でレイちゃん、ユイさんに似ていた筈よね。》
 慰めの言葉は無い。
 いかなる理由があれ、子供達自身が戦わねばならない計画を、シンジとレイが“欠けた存在”になるような計画を考え出したのはユイなのだ。
 エヴァンゲリオン初号機を、零号機を、弐号機の基礎試薬を作ったのもユイなのだ。
 そして……エヴァ精製実験中の事故で未調整段階のエヴァに侵蝕されて死にかかった自分の生命を繋ぐ為に、逆にリリスに自分を丸ごと取り込ませて冬眠状態になったのもユイ自身の発案であった。
 その後、ゲンドウが手段を選ばなくなったのも、厳重に封印して葬り去ったはずの“計画”に従ってシンジを突き放したのも、リリスに溶けた彼女の構成要素を抽出して生まれた…実は、彼女とゲンドウの娘の…レイが不遇なまま育ってしまったのも、間接的にはユイの責任だと言う事もできるのだから。
 どんな慰めも無力だった。
 少なくともリツコとナオコには不可能であった。
《すると、シンジ君とレイは実の兄妹って訳? それって拙くない?》
 だから極力触れずに話を進めるのだ。
 極力ドライに、努めて割り切った風を装って。
《2人ともエヴァを飲んでる上、レイはリリスの影響もあるから遺伝子的にはほとんど別人ですし、戸籍も別ですから何も問題無いですわ。》
 道徳的にとか倫理的にとかは銀河の彼方に吹き飛ばして、科学的な考察と法律的な手続きだけに限定したユイに、
《なるほどね。》
 リツコも同レベルで肯き返した。
 まあ、現実にそうなってしまっているのだから追認しておいた方が様々な意味で無難だと言うのはあるだろうが。
《その点を含めてレイのこと、シンジ君に話した方が良いかしら?》
 レイには多くの秘密がある。
 レイが今のレイである限りシンジはそれを受け止められるだろうと目算していたリツコではあったが、
《レイに任せましょう。せめて、それぐらいはあの子の自由にさせてあげたいから。》
 ユイに言われて積極的な関与を思い止まった。
 自分で考えて判断すると言う経験に乏しいレイであるから、リツコが誘導したらその通り行動しかねない。
 それではレイの為にもシンジの為にもならない。
 例え、後々の爆弾になりかねない事柄とはいえども。
《分かったわ。じゃ、仕事に戻りましょうか。》
 レイやシンジに相談を受けた時の為に何か気の利いた台詞でも考えておこうかしらと考えつつ、リツコは議論を打ち切った。
 彼女らがやるべき事は文字通り山積しているのだから。
 人類が今後も生き残る為に。
 子供らが“約束の日”の後でも生き残れる様に。



 ドイツの某所にある、ある墓地。
 『SOURYU KYOKO ZEPPELIN  1974−2005』と刻まれた墓碑を見詰め、葬儀が進む中に身を置いている喪服姿の幼い少女がいた。
 涙一つ流さず気丈に立つ少女は幼き日のアスカ、そして葬儀は実の母のものであった。
「偉いのね、アスカちゃん。良いのよ、我慢しなくても。」
 アスカと頭が同じぐらいの高さになるまでしゃがみ、ハンカチを顔に押し当て涙声で話しかけてくる中年女性に、アスカいっそ冷たいとも聞こえなくも無い口調で言い返す。
「いいの、私は泣かない。私は自分で考えるの。」
 場面は変わる。
 とある実験の後、心を病んで病院で隔離されていた母の姿に。
「お願いだから私を見て! ママ、お願いだからママをやめないで。」
 人形をアスカだと思い込み、アスカ本人を認識できなくなっていた母の姿に。
 更に場面は変わる。
「いっしょに死んでちょうだい。」
 心が病んだままなのに、愛情は人形にしか向けられなかったはずなのに、アスカをアスカと認識して首を絞めてきた母の姿に。
「ママ、ママ! お願いだから私を殺さないで。イヤ! 私はママの人形じゃない。自分で考え、自分で生きるの!!」
 そして……
 努力して努力してエヴァ弐号機パイロットの地位を勝ち取ったと報告し褒めて貰おうとした幼き日のアスカが見た、首を吊って死んでいる母の姿に……。
「嫌ぁぁぁぁぁぁ!」
 絹を引き裂く如き悲鳴を上げ、アスカの目が見開かれる。
「あれ? ……ここ、どこ?」
 そこは、あの殺風景な病室では無く……当然ながら母の死体がぶらさがってる訳でもなく……妙に広い、広いベッドにアスカは一人ポツンと取り残されていた。
「どうしたの、アスカ!?」
 アスカの寝起きでぼんやりしてる脳が思考の焦点を合わせる前に、血相変えたシンジが部屋に駆け込んで来る。
「な、何、その格好!」
 何故か輪郭がぼやけて歪んでいるシンジがエプロン姿で右手にお玉を持ったままなのに気付き、胸から込み上げてきたものを吐き出す様に笑う。
「な、何ってその……苦しそうな声がしたから……その……って、泣いてるの?」 
 枕もとの染みに気付き気遣うシンジに、
「笑い過ぎただけよ。……ホント、馬鹿みたい。」
 柔らかな視線を向け、口だけは憎まれ口を叩くアスカ。
 ほんわかした空気が流れかけたところで、シンジは鼻腔をくすぐる香ばしい破滅の香りに気付き、再び血相を変えた。
「ご、ごめん! 朝食の用意があるから!」
 慌ててキッチンに駆け戻り焦った奇声を上げるシンジの背中を見送っていたアスカは、起き抜けに自分の胸中に居座っていた寂しさも悲しさも何処かに吹き飛んでしまっているのに気付いて再び微笑んだ。
「思い出したのに……忘れたくて、やっと忘れられた記憶だったはずなのに……。私、なんで……なんで、辛くないの?」
 一人で強がっていた頃の自分、目に見える成果を上げて褒めて貰いたかった自分、そんな自分だった頃なら人目が無ければ身悶えのたうち回るほど苦しかったのに、今は自然に穏やかな心境になっているのを自覚し、アスカは自問の答えを得たような気になった。
「もう一人じゃなくなったから、かな。」
 口に出して言うとそれは予測から確信へと変わり、くっきり覚醒してゆく意識と共にアスカの身体の隅々にまで“力”が漲っていく。
 今までどんな濃いLCL錠を飲んだ時でも手にした事が無いぐらい大きな、恐怖を覚えそうになるほどに凄まじいまでの力が。
『そっか、アンタもアタシと同じだったのね。』
 目に見える力を追い求め、鍛え、……でも、欲しいモノは力では手に入らなかった。
 第14使徒…ゼルエルと名付けられた存在が、今、それを心の底から納得し、自分と真に溶け合ったのだとアスカは感じていた。
「あ、アスカ。シャワー浴びるんなら早くした方が良いよ〜。」
 びっしょりとかいていた冷たい寝汗を案じてキッチンからかけられた愛しい少年の気遣いの言葉が、耳に…心に心地良く響く中で。

 碇家の朝の食卓。
 一家の家長が手ずから作った朝食が並べられたシャワーで汗を流したばかりの美少女2人と料理した本人が座るテーブルに、微妙な緊張感が漂っていた。
「え、えっと…それ……良かったら私が食べようか?」
 本日のメニューはきつね色に焼けたトーストに自家製ジャムに軽く炙ったベーコンにスクランブルエッグに新鮮なミルクと割と手軽だが美味しそうなもの。
 しかし、シンジの分の皿に盛られた物体は、明らかに他の2人のものとは違っていた。
 いや、正確にはスクランブルエッグの皿だけが違った。
 焦げ付いて黒ずみ、過度に香ばしい匂いで自らの存在をダイニングルーム一杯に主張している卵を原材料とした物体は、量だけなら『3人分』はあった。
「それ食べるんならアタシの方よ。ほら、寄越しなさいよ。」
 自分の分の皿をテーブルを滑らせて差し出すアスカに、シンジは首を軽く横に振った。
「いいよ。見た目は悪いけど味は悪くないから。」
「そう?」
 黒焦げになった理由に心当たりがあるアスカの眉が真ん中に寄り、視線が下に向く。
「……でも、ありがと。マナもアスカも。」
 が、あくまで優しい声に惹かれるように伏せた顔を上げる。
「……ごめんなさい。」
 そして、再び伏せられる。
 頭を下げるという謝罪の為に。
「気にしなくて良いよ(アスカにそんな顔されてる方が辛いし…)。僕がしたくてしてるんだし。」
 しかし行間の意味を何となく読み取り、顔を上げて笑顔らしきものをでっちあげる。
「そうね、辛気臭い話は終わりにしましょ。……このままだと学校に遅れちゃうし。」
 そして結局、黒焦げの炒り卵はシンジの胃の腑に納まった。
 顔色一つ変えず綺麗に平らげて。



「これが組織改正案かね?」
 屋上屋か蛸足配線かという按配で次々新規参加が増えてゆく実戦部隊や各種施設の要員により今までの研究施設に毛が生えた程度の組織形態でやっていくのに無理が生じてきたネルフ本部は、いよいよ組織の改編と命令系統の明確化に乗り出した。
「はい。マギの検討結果ではこれが最も問題が少ない案だとのことです。」
 冬月の問いに、書面を持って来た青葉が肯く。
「そうか。……この改正案の利点と問題点は?」
「利点は現状の体制が実質的に変化しない事で、組織改編に伴う混乱が最小限に抑えられる事です。問題点は命令系統をはっきりさせた事で、誰を狙えば命令系統を寸断できるか外部から分かり易くなった事です。」
 特に普通科連隊と機甲大隊が従来の職員と混じりあっている保安部において、どう攻撃すれば指揮官を狙い撃てるかが明らかになってしまうのは大きいだろう。
 しかし、逆を言えば緊急時の命令系統が明確化した意味は大きい。
 奇襲などが行われた際に誰の指示を仰げば良いかが分かっているのと分かっていないのとでは即応能力に格段の差が出る事は言うまでも無いのだ。
 それに…命令系統がはっきりする事で責任が明確になる事も大きいと言えば大きい。
「ふむ。マギもそう判断しているなら問題は無いだろうが、この案を採用するかどうかは碇が帰って来てから決めるべきだな。」
 ただ、即断は避けた。
 余裕があるうちに手を打っておくのも良いが、総責任者が不在の時に組織改編をするのは流石にはばかられるからだ。
 その書類を未決済の山の上に置き、他の自分の独断で決済しても問題無い案件を片付けた冬月は単身発令所へと向かった。
「副司令、少々お時間よろしいですか?」
 そんな冬月の前に、30歳そこそこの男のネルフ職員が現れた。
「なにかね?(広報部所属か……確か、要監視対象では無いな。)」
 厳重な警戒態勢が敷かれた要塞の中。
 そんな油断が冬月の方にもあったのかもしれない。
「実は……」
 しかも、相手は味方のはずのネルフ職員である。
 目の前に突き付けられたスプレー缶に気付いた時には既に遅く、冬月の意識は混濁の澱みに沈んで途切れたのだった……。



『まずいな……』
 大阪港の倉庫街の一角、マルドゥック機関に所属するダミー企業が所有する廃倉庫の1つの様子をうかがっている男…加持リョウジの顔がしかめられた。
「おい、そろそろ時間だぞ。」
「ああ。そろそろ処理しても良いだろう。」
 砕け切ってガラの悪い英語での遣り取りが剣呑さを増してきたからだ。
「どうせ、どの道始末するんだからな。」
 微塵も殺気を発さず懐の銃に手を伸ばし、耳を澄まし気配を探る。
『外に見張り役が2人、中が7〜8人……今、銃を手に持ってるのは2人か。』
 ちなみに、加持は既に見張りの目を盗んで廃倉庫に積まれた空き箱の蔭に身を潜めていた。以前にここを調べていた時の経験が役立ち、単身でなら楽々と侵入できる経路を数箇所見つけておいてあったおかげである。
「まあ待て。どうせ始末するなら、その前に楽しまないか?」
「お前も好きだな。」
 呆れ返る口調に、しかし止める気配も無い他の連中。
「するなら早くしろ。」
「まあ、そういうな。順番でやろうぜ。どうせ日本の警察には話を通してある。」
 カチャカチャと金具が擦れる音がして、
「そうだな。まあ、よかろう。」
 とうとう賛同者が大多数を占めた。
『これは……応援を待ってる時間は無いか。』
 加持が疎開したネルフ職員の家族を人質にして言う事を聞かせる計画の情報を出先で掴み、リツコ特製の防諜処理済みの携帯電話で諜報部に応援を頼んだのだが……その応援を待っている時間はどうやら無さそうだった。
 今にも幼い息子の目の前でレイプされてしまいそうな若い母親を助ける機会は、この後にはもう無いだろう。命だけなら応援を待った方が良いかもしれないが、それでは幼い子供の心に癒し難い傷を残しかねない。
 ズボンから醜い肉塊を取り出した金髪青目のガタイの良い男に向け、加持はポケットから左手だけで抜き取ったモノを投げつけた。
 カッ!!
 バシュウウウウウウウウ!!
 閃光と轟音が倉庫の中を支配し、次いで黒煙が充満してゆく。
 制圧用の閃光手榴弾と視界を遮る為の煙幕手榴弾……本来は逃げる時の為のとっておきなのだが、真っ先に使って機先を奪う。
『まず狙うのは……銃を抜いている2人!』
 左脇のホルスターから滑らかに抜いたワルサーPPK拳銃を速射し、予め位置を掴んでいた連中に向けて撃ちながら走る。
 人質確保を優先する為、場所を変えつつ物蔭から一人一人射殺する手は捨てて。
『くっ。』
 混乱してそこらじゅうに弾をばら撒き出した敵に銃弾を撃ち込んで沈黙させながら、加持は自分の上着を手早く脱ぐ。
 そして……
「被ってろ。」
 何とか傍まで到達できた親子にそれを被せ、人質を掴まえようとしていた男を鳩尾に蹴りを入れて引き剥がし、吐瀉物塗れでうずくまったところに容赦無く9o拳銃弾を後頭部に撃ち込む。
 弾倉の7発を撃ち尽し、予備のマガジンをパウチから素早く引き抜く。
『普通に戦ってる余裕は無いし、人質を狙われたら元も子もない。……危険だが、やるしかないか。』
 それを音も無く換えた後、わざとマガジンを床に落とす。
 弾切れを装って誘おうと言う作戦だ。
「ガッデム!」
 すると、虚を突かれた当初の混乱から立ち直った半数ほどの連中が、口汚く罵りながら音がした方に撃ち返して来ようとする。
「アスホール!」
 撃鉄が起きる音の、撃鉄が雷管を叩く音の、雷管が炸裂して薬莢内の火薬を爆発させた音の、火薬の爆圧が弾丸を押し出す音の源に向け、そして開いたドアから入って来た気配に向けて加持は次々と流れるように引金を引く。
『くっ!』
 悲鳴を口の中で押し殺して周囲の様子を確かめると、10人いた敵は全員が倒れ伏していた。赤くヌルヌルした液体が独特の臭気を放ち床に広がっていく。
『何とかなったか……2流の連中だけで助かった。だが、こっちも何発か食らっちまったな。……まあ、頭に食らわなかっただけマシか。』
 防弾仕様の上着を脱いで人質に被せたおかげで脇腹と腹と肩に銃弾が食い込んだみたいだが、幸いにしてすぐさま生死に関りそうな負傷では無いようだ。
 念の為に敵の死体の一つから蹴り剥した拳銃で全員に止めを刺してから、自分の傷口に焼けた銃口を押しつけて手荒に血止めをし、加持は人質にされていた親子に被せていた自分の上着を摘んで取り戻した。
「もう良いぞ。……大丈夫か? 怪我は?」
 手際良く袖を通して自分の傷を隠す。
「あ、はい。大丈…ひっ!」
 周囲の惨状を目の当たりにしてしまった女性の方の人質が引き攣った悲鳴を漏らす。
「俺は君達を助けに来た。とにかくここを離れる。連中の応援が来ないうちにな。」
 それを敢えて無視して有無を言わせず同行を促すと、女性の方はおずおずとだが立ち上がる。……もしかしたら先程の会話の内容が分かっているのかもしれない。
 しかし、男の子の方は立とうとはしない。
「どうした? どこか痛むのか?」
 小学生ぐらいの男の子の前にしゃがみ目線を合わせて問いかけると、純朴な瞳が加持の瞳を真っ直ぐに見詰めてくる。
「おじさんって……悪い人なの?」
「さあな。でも、助けに来たのは本当だ。君達をお父さんがいる第3新東京に連れて行くよう頼まれててね。」
 答えも無く、立ちもしない。
「ホント?」
「ああ。でも、急がないと君やお母さんを攫った連中の仲間がやってくるぞ。……立てるかい?」
 しかし、加持は根気良く少年に語りかける。
「うん。」
 すると、ようやく立ち上がりトコトコと母親の元へと駆け寄って行った。
「いくぞ。ついて来てくれ。」
 激痛をこらえ、2人を先導する。
 まずは開いたままのドアから外をうかがい、人が集まって来ていないのを確かめて自分の車へと案内して先に乗らせる。
 それから携帯電話を懐から取り出し、とある電話番号を手早く押す。
「ああ、俺だ。ちょっと後始末を頼まれてくれないか? ……ああ、港の12番倉庫だ。裏で話はついてるから、おおっぴらにやらなきゃ警察沙汰にはならないと思う。……悪いね、いつも。……じゃ。」
 と、誰かに電話をかけてから運転席に滑り込み、キーを回す。
 静かに現場を離れた加持の車は、一路東へと向かって走り出した。
 数箇所の銃創を受けている事を同乗者に悟らせない見事で無難で目立たない運転で。


 その頃、大阪にある某組織では……
「加持の旦那の頼みだ! さっそく出かけろ!」
 地回りの若衆頭が手下達に号令を発していた。
 昔気質で規模の大きくは無いこの組が大手広域暴力団に潰されず何とか存続できているのは、加持から大手組織のボスの弱みを教えて貰ったのが大きい。
 おまけに面倒な頼み事をされる時には、後で必ず組の口座に多額の謝礼が振り込まれているというビジネス面での関係もある。
 この組にとっては恩人でお得意様である加持の頼みは、組にとって優先して取りかかるべき事項であったのだ。

 ……この後、犯人は闇から闇に葬られ、いなかった事になった。
 如何なる裏取り引きが行なわれたかは不明だが、誘拐を命じた側も事が露見するのを好ましく思わなかったせいだろう。
 つまりは未だ全面対決には早いと判断していたのだ。……双方の陣営がともに。



 冬月が意識を取り戻した時には、全てが終わっていた。
「状況終了。副司令の身柄を確保。」
 マギによる室内の二酸化炭素分圧の増加に続くネルフ保安部の強硬突入により、今回の件の首謀者達と協力者は残らず制圧され、拘束された。
「大丈夫ですか、副司令。」
「ああ。」
 黒服を着た隊員が訊いてくるのに冬月は落ち着いた声で答え、何時の間にか座らされていた椅子から立ち上がる。
 椅子付属の手足を縛っていた枷は、知らないうちに外されていた。
「今、何時だ?」
「はっ。9時48分であります。」
 軍用腕時計の盤面を見ての答えに、冬月の頭の中で閃くものがあった。
「(すぐには殺されそうもないと見て何処に運ぶかで犯人を特定したのか。悪い手では無いが、自分でやられるのは流石に気分が良く無いな。)……後はいつも通りに。」
「はっ!」
 そう言い残し、冬月は連れ込まれていたネルフ基地の地下深くにある一室を後にした。
 まるで特に何も無かったかのように。



 その頃、メルキオールとカスパー…マギを構成するうちの2台は通常業務のほとんどをバルタザールに委任し、世界各地からハッキングし放題で集めに集めた軍事情報や技術情報などの整理をやらかしていた。
《これは利用できそうですわね。》
 方々から集めた機械や兵器の構造図、電子回路の設計図などを検討して改良案を構築しようとしながら呟くメルキオール……碇ユイに、
《そうね。流石にNの製法とか他のネルフ支部の重要機密なんかの極秘情報はアクセスできなかったけど、色々と面白い情報が手に入ったわ。》
 カスパー……赤木ナオコが、同じデータからすぐに利用できそうな技術情報を抜き出して並べてゆく。
《でも、マギが関与してない秘密の施設があるらしいと言うのは面白いわね。》
 複雑怪奇に細分化された物資の流れから逆算してコンピューターネットとは繋がっていないネルフ……もしくはゼーレの施設の存在を見抜いたナオコではあったが、具体的な場所までは特定できなかった。
《加持さんでしたっけ? あの人が探り出した情報の裏付けになりますわね。》
 もっとも、それと同レベルの情報はドイツ時代の加持がアスカのガードを引き受けながら探り出しており、既にネルフ上層部へと提供されていた。
《ええ。でも……しばらくは探りに行って貰うのは無理そうね。彼の人脈と能力は、疎開中の本部職員の家族をガードするのに不可欠だわ。》
《そうですわね。……戦自から来た方々を含め、本部職員の家族をこっちに“疎開”させる事も検討した方が良いかもしれないですわね。》
《今回の事件を部外秘として全職員に周知して、後はそれぞれに決めさせるというのはどうかしら。》
《……とにかく提案してみましょう。私達は表向きはまだ只のコンピューターという事になっているのですから。》
 善後策を練り終えた2人は、再び己の思考へと戻って行った。
 それぞれになすべき事をなす為に……。



 学校帰りで買い物帰り。
「どうぞ、入って。」
 にわか雨に不意討ちされた僕は、雨宿りを兼ねて同行していたヒカリに誘われてヒカリの家にお邪魔することにした。
 ……天気予報じゃ晴れだったんだけどなぁ。
「お…お邪魔……します。」
 ATフィールドで雨を弾く事も出来ない事も無いけど、やっぱり目立ち過ぎるからってずぶ濡れになった僕は玄関から上に上がるのをどうしても躊躇してしまう。
「待ってて、今タオル持って来るから。」
 パタパタと奥に走って行ったヒカリが、すぐに戻って来て僕に大きめのタオルを渡してくれる。
「……その服、洗濯した方が良いわね。脱いでくれる? 今やっちゃうから。」
 え?
「ええっ!? そ、それってマズイんじゃ……」
 いつものコンフォート・マンションじゃなくって、ここ、ヒカリの家なんだよ?
 誰かに見られたりしたらと言う心配は、
「大丈夫。コダマお姉ちゃんは部活で遅いし、ノゾミは塾で帰りが遅いし、お父さんは出張で何日か帰れないって聞いてるから。」
 他ならぬヒカリの保証で別のものへと変質した。
「そそ…それって……2人っきりってこと?」
「うん……あ、服脱いだら荷物、冷蔵庫に入れといて良いよ。ウチの冷蔵庫、大きめだから。」
「うん。ありがとう。」
 何時の間にかビニール袋に溜まってた水を切って御言葉に甘える事にする。
 アイスとか牛乳のパックとか、色々と放置できないものもあるし。
 でも……知ってる人の家だとは言え、裸でってのは抵抗あり過ぎるなぁ……。
 それでも他に選択肢が無いので、仕方なく服を脱ぎ捨てる。
 下着までぐっしょりなのでパンツまで。
 ……いっそ、ATフィールド使っておけば良かったかな?
「あ、先にシャワ−使ってて。それとも……」
 口篭もるヒカリに、
「それとも……なに?」
 僕は問い返してしまった。
 訊いてはいけなかった事を。
「いっしょに、入る?」
 僕は見てしまった。
 鳥肌が立って微妙に震えてるヒカリを。
「ヒカリが先に入ったら? 風邪引いたら大変だし。」
 そういえば使徒能力者って風邪なんか引くのかな? とどうでも良い事に気を取られている隙に言われてしまった、とどめの台詞を。
「私といっしょじゃ…嫌なの?」
 豪雨の予感を秘めた潤んだ瞳で見詰められて。
「……いっしょに、入ろう。」
 僕には、これしか言える言葉が…選べる選択肢が無かったのだった……。

 ピチャ…チャプ…クチャ…チュプ…
 シャワーの水音に紛れ、粘つく音が風呂場に反響する。
 グチュッ…ヌチュッ…クチュッ…プチュッ…
 上の唇で絡み合う舌が、下の唇が咥え込む肉槍が、やらしく音を立て脳髄を蕩かす。
 僕の手の中で形を変える柔らかいお尻、胸に押しつけられ潰れているものの圧迫感、僕の太股と触れ合う太股の感触、僕の背中に回された腕も、どれもこれもが僕に我を失わせようと迫って来る。
 でも、僕は気付いていなかった。
 我を忘れていたのが僕だけじゃなかったって事に……。
 グッチュ…ヌッチュッ…クッチュ…プッチュッ…
 風呂場の壁にヒカリの背中を押しつけながら片足を脇に抱える様に持ち上げ、結合をより深くしてグラインドする。
「あ! ああっ! あああっ! ああっ! あっ!」
 動きを大きくしたせいで封をしていた唇が離れると、喘ぎ声が堰を切って溢れ出す。
 そろそろ限界かな?
 視線を宙にさ迷わせ、
 口から泡混じりのよだれを垂らし、
 普段の真面目さの欠片も無くギュッギュッとはしたなくも美味しそうに僕のものを締め上げるヒカリの中に、彼女の一番の好物をたっぷりと解き放ってあげる。
 ドピュッ…ドプッ…ピュッピュッ……
 泡雪の様に白く、魚の様に生臭く、苦味とエグみがあって、なおかつねっとりと甘い不思議なドロリとした液体を。
「……碇く…ん……」
 力が抜けた身体がくてっと僕にもたれかかってきたけど、何とか踏み止まる。
「っと、とと……身体、洗い直さないとね。」
 ……あれ?
 何か変だ。
 何か変な気がする。
 誰かの視線っていうか……気配が……
 え?
 お風呂場のドアが開いて…る?
 閉めていたはずだよね……って、いつのまにかATフィールド張っちゃってるし!
 無意識で垂れ流していたATフィールドの制御を取り戻すと、脱衣場に誰かがいるのが分かった。
 ……うわ、マズイ!
 どうやって言い訳…って、言い訳しようもないから開き直るしか……って、それも何か違うし!
 え?
 こっち来る?
 ま、拙いよ、それって!
「お、起きてよヒカリ。ねぇ、ねぇ。」
 余韻のまどろみのゆりかごから中々戻って来ないヒカリをゆさゆさ揺すっていると、緩んでいた花園が僕を逃がすまいとギュッと締めつけてくる。
 いや、そうじゃなくてっ!
 でも肝心の意識の方は回復してくれない。
 ガチャ
 首だけをギギィと回して後ろを横目でチラと見ると、そこにはヒカリに似た…でも、明らかに見た目からして違う女性が立っていた。
 健康的に日焼けした小麦色の肌、精悍さを少し感じる雰囲気、ヒカリとは違って後ろで一本にまとめた髪。
「コダマおねえちゃん…」
 ま、拙いってもんじゃないよ。
 今、ヒカリの中抉ったままの格好だし。
 しかも抜けないし!
 その『おねえちゃん』って呼ばれた人は自分が着ている服が流しっぱなしのシャワーで濡れるのも構わず近寄って来て……
 僕の背中にピトってくっついた。
 え?
「おねえちゃん…も?」
 僕の頭越しに交される会話は何かヤバイ気がする。
「いいの?」
 だけど、
「うん。」
 柔らかな女性の肉体にサンドイッチされた僕に発言権なんて無い。
 ……いや、こういう事では無いって言った方が良いのかな?
 何より心底嬉しそうに微笑んでるヒカリの期待を裏切るのが僕には耐えられない。
 ……不潔よって叫んでた頃のヒカリじゃなくなってきてるのかな?
 そんな風にしちゃったのは、やっぱり僕だよね?
「これからよろしくしてもらって良い、シンジ君?」
 ヒカリを変えてしまった僕には、否と言う事はできなかったのだった……。

『どうして、こんな事になっちゃったんだろう?』
 ベッドの上で僕に貫かれてよがっている女の子を見下ろしながら、シンジは自問する。
「あ、ああっ…あんっ…あっ! ……あんっ!」
 毛が生えてくるどころか、さっきまではピッタリと合わさった一本の線に過ぎなかったのに、今では痛々しいほどシンジのモノで押し広げられてはち切れそうなワレメ。
「やあっ、んっ!」
 そこから滴る破瓜の赤い血が混じったトロリとした牝汁。
 あんまりくびれていない腰つき。
 そして、僅かに膨らみ始めた萌え初めの乳房。
 クリクリッ
「お…おにいちゃ…んっ!」
 その先についてる敏感過ぎる桜色の快楽ボタン。
 幼児体型のつぼみから、ようやく女へと花開き始めた花園は、シンジの肉おしべを突き込まれて一足飛びに満開の花盛りを迎えていた。
「ノゾミちゃん……」
 シンジのモノを受け入れるにはサイズが足りないのか、それとも経験不足なのかギュッと絞めるだけの肉穴に肉槍を抜き差しすると、初めてだと言うのにノゾミの瞳が欲情と気持ち良さで細められる。
 ……シンジのATフィールドがもたらす魔力によって。
 ATフィールドで直接A10神経を刺激されて脳内麻薬が全開で垂れ流しになっている今のノゾミでは、例えプレス機で一寸刻みに押し潰されたとしても快感としか感じられないだろう。
 しかし、それだけではない。
 ATフィールドが触れ合う事で心が繋がり、受け入れられ、支えられる……いるべき場所にいると信じさせてくれる事でもたらされる安心感が快感に転化されてノゾミの幼い媚肉を翻弄していた。
 そして、悦楽に翻弄されているのはノゾミだけではない。
 彼女の3歳年上の姉と更にもう2歳年上の姉がタオルで目隠しされ、猿轡を噛まされ、両手両足を手拭いで縛られた格好で床に転がされ、送り込まれる強烈な快楽に悶え、のたうち、よがっていた。
 目元が隠れているせいか、とても良く似た……でも、姉の方の肌にくっきり残っている日焼けの跡が違いを醸し出している2人がくぐもった喘ぎと粘つく水音で息の合った二重奏を奏で続けているのもシンジの…そして、姉妹の理性を削ぎ落としていく。
『どうしよう……。また、やっちゃった。』
 向こうからシンジを求めてくるような場合だと、初めてだろうが何だろうが絶頂を極めさせ、欲情に溺れさせ、身体の感じる所の隅々まで探り当てて開発の糸口をつけるところまでやってしまえる自分の能力を、シンジは少しだけ疎ましく感じた。
『でもなぁ……』
 しかし、身体ごと心を預けてくれる気持ち良さには勝てず、たってお願いと迫られたら断る勇気さえシンジには無い。
『それに……断ったら泣かれるだけじゃ済まないだろうし。』
 おまけに、この頃ではたくさんの女の子と付き合っている事に目くじらを立てる女の子が皆無になってしまった事と周囲が積極的にサポートしてくれる事もあって、シンジの倫理観もゆっくりと麻痺…もしくは変質してきていた。
 自分を好きになってくれた人を、自分にできる限り幸せにしたい……と。
 想いながらも、シンジは幼い花園の上側に慎ましくついている肉の花芽を右手の人差し指の腹でツプンと撫でる。
「ああああっ!」
 このちっちゃな身体で一生懸命シンジを受け入れ、極みに堕ちてく娘にも溢れんばかりの愛しさを覚えた瞬間、肉槍から発射された白濁のマグマが年端もいかない少女を体内から灼き、蝕み、汚していった。
 一生消えない烙印を心と身体に刻み込むかの如くに……。


 その頃、コンフォート17マンションの一室にある鈴原家では、
「なんや、今日はヒカリが来とらんかいな。もう終わりでええっちゅう事かいのう。」
「おに…じゃなかった、おねえちゃんパンツみえてるよ。」
「あう、しもた……。」
 鈴原姉妹による漫才一歩手前の…本人達にしてみれば真面目な会話が繰り広げられていたのだった……。


「おねえちゃんばっかり、ズルイ!」
「半年もこんな気持ち良いこと隠してたなんて、ヒカリったらそういう子だったのね。」
 小一時間も何も無い虚空をぼーっと見て惚けていたヒカリの姉と妹が目出度く再起動を果たしてからほどなく、ヒカリは非難の集中砲火を浴びせ掛けられていた。
「ご、ごめん……」
 その2人に、矢面に立たされていないにも関らず代わりに頭を下げるシンジと、
「それじゃあ私に家事押し付けてるのはずるくないって言うの!?」
 開き直って喧嘩腰で応じるヒカリ。
 しかし、
「もしかして、ネルフの仕事だって言っといて逢引きしてたとか?」
 一触即発の空気は、
「うっ……それは……その……」
 妙な方向へと雪崩れだしつつあった。
「やっぱりズルイ〜! ノゾミもおにいちゃんといっしょが良い〜!」
 裸身に自分とシンジが出した諸々の体液をくっつけたままガバッと抱きついて来るノゾミを、シンジは姿勢を支えてあげるような感じで軽く抱き返す。
「「あ! ノゾミっ!」」
「へへ〜っ……おにいちゃんの匂いだぁ〜。」
 くんくんと鼻を鳴らし気持ち良さそうにシンジの胸に頬ずりするノゾミの姿に二人がキレかけるが、シンジの前なので自制して議論に戻る。
「コダマお姉ちゃんとノゾミの世話が無かったら、私だって私だって……」
 他の女の子達と同じように碇君と一つ屋根の下暮らせるのに…とブルーな溜息を吐いたところで、今まで足枷に感じていた姉が簡単で明瞭な解決策を提示してくれた。
「それなら皆で碇君のとこに行けば良いじゃない。そういう娘、多いんでしょ?」
「それよっ! ありがとう、お姉ちゃん! ノゾミもそれで良い?」
 険悪なムードが払底され、仕切り屋の本性を露わにしたヒカリが話をまとめ出す。
「うんっ!」
 実に嬉しそうに晴れ晴れとした笑みを浮かべる彼女達に、
「あ…あの……その……」
「碇君もそれで良い?」
 許可を貰えるものだと信じて疑わずにこやかな笑顔を向けてくれるヒカリに、
「う、うん……。」
 シンジが今更ノーと言う事は勿論できなかったのだった……。
 こうして半年以上に渡ったヒカリの通い妻生活にピリオドが打たれ、コンフォート17マンションに新たな住人が3人増えたのであった。
 一人の父親に深い慨嘆の溜息を吐かせて……。



 ネルフ技術部が偵察衛星の開発に乗り出して3日後、各国宇宙機関の極秘データをさんざん閲覧し、既存の偵察衛星の長所を数多く取り入れたネルフ初の偵察監視衛星がリツコの公言通り完成した。
 高い軌道変更能力に高解像度のカメラ、高性能のレーダーに自衛用のマイクロミサイルランチャー、基幹部分を覆う強固なハイパーチタニウム装甲、冗長性を重視した3系統の制御系……と豪華装備の偵察衛星であったが、2つだけ考慮されていない事があった。
 大きさと重量である。
「まずまずの出来ね。……1週間後までにあと5個できるかしら?」
 しかし、リツコはロケットでの打ち上げにとっては致命的なそれらの事柄をさらっと無視して、同じ物をあと5機ロールアウトするよう要求した。
「は、はい。……それは可能ですけど。1週間後に何か意味があるんですか、先輩?」
 敢えて期限を区切ったのに不自然さを感じたマヤが訊き返すと、
「太陽の活動が激しくなる兆候が観測されてるわ。それに乗じて打ち上げ終わらせちゃうから、夜の予定、開けといてね。」
 リツコは丁寧に理由を説明してくれた。
 ……ちなみに、普通は太陽放射線が激しい時にロケットを打ち上げるなんて無茶は緊急の人命救助でもなきゃやらないほど危険である。
「はい、先輩。」
 しかし、空を本領とするサハクィエルの使徒能力者であるマヤには、太陽放射線など何するものぞと言うぐらい顧慮に値しない条件であった。
「じゃ、後は頼むわよ。こっちはこっちで別の仕事があるから。」
 技術部の第3分室を後にしてリツコが向かったのは、より深層……かつては人工進化研究所と呼ばれていた区画のかなり深い階層であった。
「そろそろ着く頃ね。」
 何が……というと『チャーチヤードの住人』がである。
 予め用意していた200基の凍結保存カプセルの状態をもう一度確かめながら、大事な荷物…かつては人間だった物体…が無人のケーブルカーで運ばれてくるのを監視カメラの映像で眺める。
「無人……か。悪くは無いわね。良くも無いけど。」
 機密保持の為か随行の人員が皆無なのに溜息を吐きつつも、リツコは半自律型に改造した電動フォークリフトのスイッチをオンにした。
 せめて、搬送ぐらいはやらせる為に。
 このように秘密も仕事も一人で背負い込もうとしたリツコであったが、エヴァ実験の犠牲者の死体と言う事になっていた『チャーチヤードの住人』の身体に触れた時、何やら激しい違和感を覚えた。
「何、これ? どういうこと?」
 単なる物体では有り得ない気配。
 しかし、明らかに代謝活動が停止している冷たい身体。
 熱、電子、電磁波、化学エネルギー反応は無し。
 勿論S機関なんてモノも無い。
 だが、何かが潜んでいそうな、そんな気がする物体。
 ただ……
「……ユイさんなら何か知っているかもしれないわね。」
 それらに対する詮索は後回しにして、リツコは不向きな肉体労働に勤しんだのだった。
 ガラスの棺に納められるべきモノを安置する為に。
 一人一人の骸が同様な状態であると確認しながら……。



 一方その頃、とある古城の地下に12個の厚み:横幅:高さの比率が1:4:9の黒い直方体が輪になって会合を開いていた。
「冬月先生への協力要請は失敗した。」
 その議題は、失敗に終わった先の作戦についてであった。
「ハッ、あれが協力要請だと? 笑わせてくれる。君の国らしいやり口だ。」
「今回の失敗のおかげでネルフ本部に置いていた工作員の半数を失った。この損害は無視できんよ。」
 ゼーレの橋頭堡とも言うべき監査部に所属する秘密工作員12名は、今回の騒動の現場にいた所を現行犯で捕まってネルフ本部側で処断される事になってしまった。
 まさに無視できない損害ではあるが、さりとて副司令を拉致監禁するつもりだったと看破されてしまっては相手を非難する訳にもいかないのも事実であった。
 下手な事を言えば“自分達”が責任を被らなければならなくなるからである。
「“鈴”は無事だったようだがな。」
 ……どうやら、まだ加持の去就には気付いていないようだ。
 12使徒間で腹の探り合いをするのに力を割かれてるせいであろう。
「鳴らない“鈴”に意味は無い。」
「いや、“鈴”は鳴った。役に立たなかっただけだ。」
 ちなみに加持はネルフの諜報部が人質の救出に乗り出した事はゼーレに通報していた。
 ……そのネルフ諜報部を動かしたのが彼の提供した情報だとまでは知らせずに。
 その連絡でゼーレ側もネルフ側のエージェントの足止めを図るべく第3新東京を封鎖したのだが、どうやら第3新東京市以外で活動していた工作員が投入されたらしく、予想された経路上を通った人間全員を日本の警察に拘禁させたにも関らず見事に人質を救出されてしまったのだ。
 あまつさえ、拘禁した連中の中にネルフ本部側のエージェントはいなかった。
 いっそ清々しささえ感じる完全試合であった。
「ならば、どうしろと言うのだ。」
 指摘されて不快げに聞き返すモノリスの一つ。
「そもそも碇の真意を聞き出す必要があるのかね? 奴が何をしようが“槍”の制御さえ握っていれば、我らの最終的な勝利は動かん。」
 だが、別のモノリスが軽挙妄動せずとも大丈夫と発言すると、
「さよう。奴には使徒撃退と人類補完計画の下準備だけをやらせておけば良い。」
 場はその意見を是とする空気が支配的になった。
「もし我々に大人しく従うようなら、奴のようなサルでも天国の片隅にぐらいは存在を許されよう。新たなる楽園には棲めないだろうがな。」
「油断ならん奴だが、我々が命じた仕事は全てこなしている。今、奴を処理するのは得策ではあるまい。」
「ならば?」
「碇の消去は見送る。……今しばらくの間は、な。……異議は?」
 沈黙が流れる。
 誰もがゲンドウの代わりという面倒で困難極まりない仕事はやりたくないのだ。
「では、後はシナリオ通りに。」
 いつもの言葉を唱和し、黒い石版は暗い地下室の陰気な空間から消え去った。
 そして、ゲンドウを乗せて成層圏を飛ぶSSTOの為に用意されていた“事故”は、今回は起こらずに済んだのであった……。



 一人一人自分でチェックしていただけに間違いようは無い。
 惣流・キョウコ・ツェッペリン博士の遺体らしきものを選り分けたリツコは、マギと繋がっている各種計測機器で“それ”の調査を開始した。
《どう、ユイさん? それに母さん。》
 2台のマギに宿る意思の立ち合いの下で。
 しかし……
《ごめんなさい。ここからじゃ良く分からないわ。》
《センサーは現代科学の産物だから、その範疇外のことまでは分からないわね。》
 幾ら何でも限度とか限界と言うものが彼女らにも存在はした。
《そう。ロジックじゃないのね。》
 しかし、
《ところでリツコさん。キョウちゃんの身体、こっちに持って来てくれません?》
 無力と言うわけでも、手をこまねくつもりでもなかったようだ。
《何故です、ユイさん?》
《もしキョウちゃんの魂が未だそこにあるなら、バルタザールに移ってくる気になるかもしれないですもの。》
 死者に鞭打つ所業ではあったが、ユイはさらりと言ってのけた。
《では、私の能力でこの身体とバルタザールの直通回線を作ってみましょう。その方が単に身体をマギの近くに置くよりマシなはず。》
 そして、それは、リツコの方も似たようなものであった。
 すぐさま言った通りの事を準備し、警告する。
《どうなるか分からないから、バルタザールを切り離して業務を母さん達で代行して。》
《分かったわ、リツコ。》
 今までバルタザールに預けっぱなしだった業務負担がメルキオールとカスパーに振り分けられ、バルタザールの負担がいきなりほぼ0にまで落ちる。
《接続。》
 そのタイミングを見計らい、リツコはイロウルの能力を使ってバルタザールとキョウコの身体を直結する通信回線を開く。
 後は、見てるだけ……と言うところだ。
『これが、身体は死んでるのに魂はあるってことだと、ちょうどアレの逆よね。』
 そこまで思い至ったところで、リツコはゾッとする。
『拙いわ。この手が上手くいくとしたら早く処置しないと。』
 魂の無いレイのクローン体のように短時間で身体が崩壊してしまいかねない。
 リツコは応急処置としてLCLを満杯に入れたドラム缶を無人フォークリフトに持って来させた。
『後は内部環境を整えられる設備に運べば身体の崩壊は防げるはずよ。……レイと同じという条件ならね。』
 しかし、何が悪かったのか、なかなか変化は訪れない。
「ふう。失敗か。……アスカに何て言おうかしら(私やシンジ君の母親は意識だけでも助かってるのに、アスカのママだけ死んだままだなんて……)。」
 しかし、諦めて呟いた弱音が、引金となった。
 バシィィィィィィィン!
「な、何? 何なの、いったい!?」
 設定された回線を迸る計測不能のエネルギー。
「まさか、これが……魂……。」
 他の2台同様に覚醒してゆくマギ・バルタザールは、プログラム的に封鎖されている回線を力任せにぶち破ろうと暴れ出した。
「暴走!? なんてことなの!」
 こんな事になるならやるんじゃなかったと後悔しながらも、リツコは支配下に置いているマギのI/O装置内部にATフィールドを展開して第666プロテクトにも比肩し得るほどの強度を持つ絶対防衛線を構築する。
 ただ、この防衛線が第666プロテクト…Bダナン型防壁…と違うところは、
《リツコさん、この情報をプッシュしてみますわ。》
 反撃を一切妨害しないで防御ができる点にあった。
《なるほど、良い手ね。》
 圧縮データで叩き込まれた“それ”が何かと言うと……
 アスカの成長記録であった。
 データの波に載せられて送り込まれたそれは、送信者の意図通りにバルタザールの興味を引いたらしく、狂瀾怒涛の攻撃は鳴りをひそめた。
「上手くいったのかしら。」
《まだ予断は許さないわね。》
 赤木親娘の見守る中、
《大丈夫かしら、キョウちゃん……》
 碇ユイが見守る中、
 バルタザールに移植された人格データの記憶には無かった、辛い記録映像が改めて突き付けられた。
 いや、もしかしたら“キョウコ”としては初見かもしれない。
 未完成の人格データ転写装置と自分で改良調整してみたエヴァ弐号機を飲んだダブルパンチで精神が壊れた女は、本来のキョウコとは言い難いほどに変質してしまったからだ。
《アスカ…アスカちゃん……ごめ…ごめんなさ…い……》
 ただ、酷ではあった。
 研究三昧でなかなか構ってあげられなかったとはいえ愛する娘に自分の脱け殻がやらかした酷い所業を正視させるのは。
 そして、自分の死後、娘が歩んだ茨の道を見せられるのは。
《ああ……ああああっ……》
 目を逸らす事も耳を塞ぐ事もできない。
 突き付けられた事実を否定する事もできない。
 下手な拷問など問題にしないほどの精神的な苦痛がキョウコの自我を再び砕こうとした時、あるデータがそれを防ぎ止めた。
《え? ……笑って…る?》
 心の底から幸せそうに微笑んでいるアスカの画像データが。
《これ…いえ……彼……は?》
 そして、腕を組んでいる一人の男性の姿が。
《誰? ……碇シンジ……ユイとゲンドウさんの息子さんね。》
 危うく砕けかけた精神は急速に落ち着きを取り戻し、自我の欠けた部分をバックアップしていた人格データから補完してバルタザールの記憶領域内に惣流・キョウコ・ツェッペリンの意識が再構築されてゆく。
《おはよう、キョウちゃん。》
《おはよう、キョウコ。》
《グーテンモルゲン。》
 東方の三賢者の名を冠するに相応しい人類史上最強のコンピューターが誕生した、その瞬間であった。
《で……私はどうなった訳? あの後、マギに私が知らない改良でもしたの?》
《いえ、リツコのおかげよ。ユイは勝手に取り憑いたみたいだけど。》
《取り憑いたというなら、寧ろナオちゃんの方だと思うけど。こちらはリリスの力を借りただけですし。》
 人格の転写はともかく、ここまでの自律思考は想定外だった事に関して喧々諤々の争論が始まりそうになるが、ユイが咳払い…にも似たニュアンスの意志表示…をして議論を一時棚上げする。
《ところで、今後の事ですけど……私達に協力してくれませんか?》
 そして、誠意を込めてキョウコ…バルタザールに頼み込む。
 改めて戦列に参加してくれるように、と。
《ええ。改めて頼まれるまでも無いわ。》
 子供達の未来を切り開く為にというのもあるが、シンジにはアスカの事で返し切れないほどの恩がある。
 キョウコは、自分の持てる限りの力と知識を振り絞る事を心に誓った。
 アスカとシンジ…2人のチルドレンの為に。



 ゼルエル戦後から1週間が経った。
「まあ、こんなとこかしら……。」
 疲れ切ったヒカリの呟きに、
「うん。もうしょうがないよ……。」
 諦め切ったハルナが応える。
 何がと言うと、
「ほな、合格っちゅうことか?」
 見た目だけはお嬢様のカスミが、ようやく女性として致命的な醜態を晒さないように振舞えるようになった以上に上品な仕草を身に付けるのが無理そうだと匙を投げたのだ。
 いや、彼女らだからこそ、元来ガサツで男としての意識しか脳味噌に無かったカスミをここまで特訓できたのかもしれない。
「……そうね。」
 言葉少なく溜息を吐いたヒカリの通学許可を得て、カスミはソファーに座ったまま大きくガッツポーズを作った。
「よっしゃああ! これでセンセと学校に行けるわ! ホンマ楽しみやわ〜。」
 そんな嬉しそうな様子をチラリと見ながら、彼…いや、彼女の妹は天に流れる星に願いをかけずにはいられなかった。
「おにいちゃんがボロを出しませんように。
        おにいちゃんがボロを出しませんように。
               おにいちゃんがボロを出しませんように。」
 と。
 その流れ星がマヤが地上から持ち上げて軌道に乗せるべく加速中の偵察衛星だったとは気づかずに。



 翌日、第3新東京市立第壱中学校の2年A組に新たなる転校生がやってきた。
 見る者の目を奪う微笑みを元気と言う明るさで際立たせた美麗な少女は……
「鈴原カスミや。よろしゅう!」
 元が男だったと知っている者達にすら信じられないほど優雅に会釈したのだった。



福音という名の魔薬
第弐拾弐話 終幕



 ふう。ようやく終わった〜。でも、ゲンドウがセカンドインパクトを止めようとした側だってのは新しいかも。あと、ようやくマギ・オリジナルがスーパー化したのもポイントかな〜。その他にも今まで色々と張りまくっていた伏線をドバッと出せたので、ちょっち嬉しいですね。……新しいのも張ってしまってる気もしないでもないですが(苦笑)。
 今回の見直しと御意見協力は、きのとはじめさん、【ラグナロック】さん、峯田太郎さん、夢幻雲水さん、老幻さん…でした。皆様、大変有難うございました。


☆役に立たない(と思う)薬エヴァ豆知識
 第3新東京市立第壱中学校の防御設備(一部):全ての窓と玄関にはスイッチ一つで防弾対爆シャッターが下り、空調にはBC兵器対策が施され、要所に電磁バリアの発生装置が埋め込まれ、屋上にはイージス・システムを凌駕する性能を誇る火器管制装置と連動された20oバルカンの砲塔が4機と5.56oミニガンの砲塔8機が偽装された状態で設置されており、有事に備えている。
 また、一見して普通の木造建築物に見える建物にも難燃性処理と特殊鋼鈑の埋め込みなどの処置が施されており、まるで別物と言って良い堅牢さを誇っている。

 チルドレン選抜方法:マルドゥック機関(実際にはネルフ)が行なっているチルドレン選抜であるが、その候補者となるのは10年の月日をかけて探し出された者達である。
 第1次の調査は国連や各国政府が行なう各種伝染病の予防接種にLCLを主成分とした試薬を混ぜ、反応を医療センサーで簡易分析する事で行なう。この時に陽性反応が出た人間に再調査を行ない、今度は同じ状態になった時にATフィールドセンサーの針が動くかどうかのテストをネルフの施設でする。
 不幸にも第2次選抜にも残った人間はチルドレン候補となり、各国のネルフの監視下に置かれたり、実験に協力させられたりするのである。

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読んだ後は是非感想を!! 貴方の一言が作者を育て、また奮起させます