Migraine


「知らない天井……のはずなんだけど」

どこかの病室のようだった。
病室の天井なんて、知っているはずがない。
なのに、何度も見たことがあるような気がする。

回りを確認しようと体を起こそうとしたとき、右目から鋭い痛みが走った。
思わず右目を押さえ込む。

息を吐き、痛みをこらえる。

ようやく落ち着いて、ふと入り口を見る。

見つめ返された。

――赤と黒の瞳。

鈍痛を感じ、意識がまた闇に沈む。

それが何かと認識したときにはすでに、意識は闇に閉ざされていた。

そこにあったのは――鏡だった。

第壱話:使徒襲来

無自覚


ストレッチャーから起こされ、エントリープラグに乗せられた。
そのうちに、内部に液体が満たされ始めた。

「暖かい……」

奇妙な安堵感。

「それはLCLよ。肺の中に満たされれば直接酸素を取り込んでくれるわ」

赤木さんの説明がプラグ内に響く。
だけど説明を受ける前に、僕はLCLで肺を満たしていた。

重たいものが外れる音が聞こえる。
音がするたびに開放されていくような感覚。

また、どこからか声がした。

「エヴァンゲリオン初号機、発進!」



そのころ、発令所。

「第二次コンタクトにに入ります。A10神経接続異常なし」
「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス」
「初期コンタクト、すべて問題なし」
「双方向回線開きます」

「シンクロ率……123.9%!?」
「ハーモニクスはすべて正常値です。誤差計測範囲未満!」

発令所内に動揺が広がる。
100%を超える。有り得ない訳ではない。100%の基準は便宜的に定められているに過ぎない。
しかし、人の認識力は100%を超えるようにはできていないはずだった。

「……出撃だ」
「司令!?ですがパイロットに精神汚染の危険が!」
「かまわん。出せ」

乗っているのは実の娘だというのに……。
私は碇に対し、不審の目を投げかけた。

「いいのか?碇」
「どのみちここで負ければ未来はない。選択肢はない」

冬月副司令の言葉にもこう答え、司令はディスプレイを睨んでいた。

ミサトが決心したようだ。正面を見据える。

「分かりました。エヴァンゲリオン初号機、発進!」

リニアカタパルトに接続された初号機が一気に地上へと駆け上がる。
最終ロックボルト解除。


人のつくりし異形が大地に立ち、神のつくりし異形に対峙した。



ガシュッ

軽い衝撃とともにリニアカタパルトが停止した。
傷が疼いたように感じる。

プシュ

空気が抜けるような音とともに、全身に開放感が広がる。
ロックボルトが外れたのだ。

大地に立っている感覚。
自分は今、巨人になっている。そう思えた。

「シンジちゃん、まずは歩くことだけ考えて」

歩くことを”考える”?
分からない。
だけどとりあえず、足を前に出し、歩き始めた。
だがすぐにその歩みを止める。

目の前に自分と同じく巨大な生き物が佇んでいる。

「どうすれば?」

だがその返答がある前に、相手が動いた。
一気に間合いをつめ、掴み掛かってきた。

予想外のすばやい動きに、だが初号機もまた反応していた。
相手の右手を振り払い、強引に回避する。

体中が軋み、痛む。肉体からのフィードバックだった。

一瞬、動きが止まる。

気が付いたときには左手首をつかまれていた。

ミシッ

いやな音がして、手首が握りつぶされる。

「うぐ、く!」

骨ごと手首を砕かれる痛みに声が漏れる。
一瞬意識が吹き飛ばされた。

逆の手が初号機の頭部をつかみ、持ち上げる。

ドフッ

そのまま、腕からパイルが打ち出され、頭部を強打する。

「くふ、ぐああ!!?」

頭に強烈な衝撃。

ドフッ
ドフッ
ドフッ
バキンッ!!

頭部装甲が砕け、ついにパイルが生身の初号機に到達する。

ドジュウ!

パイルは初号機の右目ごと、後頭部まで打ち抜いた。

「ひっ」

もうまともに声も出ない。
眼球が潰れ、脳がえぐれる。その尋常ならざる痛みと感触に、僕はついに意識を失った。



「シンジちゃん!」

発令所に葛城一尉の悲鳴のような叫び声が響く。
当然か。
人類最後の希望、エヴァンゲリオン。
それが頭を貫かれ、磔にされているのだから。

そもそも彼女はこの戦いのシナリオを知らされてはいない。
知っているものは、”今の”初号機に期待などしてはいない。

だがそうであっても目を背けたくなるような光景であった。
そもそものシナリオ自体が藁をもつかむようなひどいものである。
そんなものに人類の未来を賭けている自分たちを、心の中で自嘲する。

また発令所が騒がしくなる。
どうやら賭けは成功したようだった。

「勝ったな」

冬月の呟きが聞こえる。
言うまでもない。
すでにディスプレイには、驚異的な速度で再生した初号機が第3使徒のATフィールドを食い破り。
そのコアにヒビを入れていた。

最後の反撃か、使徒が初号機に張り付き、盛大に爆発した。
ディスプレイが乱れる。
天まで届くその爆発はしかし、地上に届くこともなく初号機のATフィールドに遮られていた。

一瞬視線を逸らす、その先にはパイロットモニタ。
暴走前の損傷から先、初号機内部のモニタリングは途絶えたままだ。


「エヴァ初号機停止、状態、回復します」
「パイロット生存確認」

――もうここに用はない。

「冬月、後は頼む」

そういい残し、司令室へと引き上げる。

後ろから、声をかけられた。

「碇、包帯は替えておけよ」
「ふん、問題ない」
「……お前も人の子か」

苦笑交じりの冬月の言葉は無視して、今度こそ司令室に入る。
いまだに解けない握り拳を強引に伸ばしながら。



「病室の天井、か」

再び僕は意識を取り戻した。
右目の痛みももう、それほどひどくはない。
前に起きたときからどのくらいたったのだろうか。

それにしても……。

「何がどうなればこうなるんだろう?」

すっかり意味の分からなくなった言葉をつぶやく。

備えられていた鏡を覗き込む。

……僕の右の瞳はなぜか紅くなっていた。

ちょっと首を傾げてみる。
鏡の向こうで、線の細い少女が同じように首を傾げる。

――強烈な違和感を感じた。

「なに?なにかへんだ」

確かに黒と赤の瞳は恐ろしくアンバランスで、不可思議なものだったが。

そんなことじゃない。

しょうじょ?
おんなのこ?

あれ?

体を弄ってみる。
――うん、膨らみ始めた胸の感触。柔らかなライン。
確かに自分は女の子のはずだ。

これが男の子のわけがない。

体が、自分は女だと主張している。
理性も女だと感じている。
なのに、それに違和感を感じる。

――なんで?

――これが僕じゃないなら、僕は何なんだ?

そう考えて、しかし僕は硬直した。

「……僕って、誰だ?」



「記憶喪失ぅ!?」
「ええ、精密検査はまだだけれど、その疑いがあるわ」

意識の回復した碇シンジの状態について、リツコがミサトに報告していた。

「やっぱり、精神汚染?」
「いいえ、ネルフに来てからのことは多少の混乱はあるけど覚えているわ」
「え?」
「彼女の話からすると、新箱根湯本駅から以前の記憶が失われています」
「……ええと、それって……」
「ええ、爆発で吹き飛ばされたとき、頭部を打ったのが原因と思われるわ」

冷ややかに侮蔑の視線を送りながらにっこりと笑うリツコ。

「でもリツコあの時は怪我は心配ないって……」
「あくまでも怪我のみの話よ、それも簡易検査だし」
「それにあれは不測の事態なわけで……」
「事前にガードの一人でも送っておけばこんなことにはならなかったわ」
「……ということはやっぱり?」
「あなたの責任ね」

ばっさりと切り捨てた。
まあ、減給は確定だろう。降格もありえるかもしれない。

「……この件についてこれ以上責める気はないわ。彼女には現在もうひとつ問題があるのよ」
「まさか半身不随にでもなってるとか?」
「……彼女は精神汚染こそ免れているけど、肉体的にエヴァの浸食を受けているの」
「面会謝絶だったからあなたも会えていないでしょう?写真を見ればすぐ分かるわ」

そういって渡された彼女の写真は、右の瞳だけが紅く輝いていた。
右目……初号機が貫かれた場所。

「初号機の自己修復の際、彼女自身の肉体もそれに近い修復を受けたと考えるしかないわね」
「そんなことありえるわけ?そもそも彼女自身は怪我した訳じゃないんだから、修復って言うのも変じゃない?」
「それが……LCLの流体解析結果から、彼女自身も右目に何らかのダメージを受けていた公算が高いの」
「ここから先は技術部もお手上げというところだけれど、おそらく初号機からのフィードバックで」
「フィードバックって、神経系だけで、肉体に影響は出ないんじゃなかったの!?」
「だからお手上げだといっているでしょう。そもそも100%を超えるシンクロ率なんて、完全に想定外なのよ」


「……そんなわけの分からないものを使って、わけの分からないものを倒してるってわけか……」
「そうね、そしてそんなものに私たちは彼女を乗せているのよ」
「……」



碇シンジは大いに悩んでいた。
そもそも自分が碇シンジなのだろうか?と考えてみると、これはどうもそのようだという気がする。
だがそれ以外のことについて、どうにもしっくりとこない。

まず過去の出来事がきれいさっぱり思い出せない。
ここに来ることになった手紙すら覚えていなかった。

知り合いのものらしい写真を見てもまったく思い出せなかった。
いろいろな景色の写真やビデオも見せられたが、何一つ思い当たらない。
見事なまでにきれいさっぱり、この第3新東京市以前のことを忘れてしまっていた。

学力テストも受けさせられて、これは中学二年生程度だと判定された……ほとんど答えられなかった気がしたんだけれども。
年齢は14歳らしいから、まあ、妥当なところなのだろう。

困ったのは自分の何気ない行動だ。
さきほども、着替えよぅと自分の荷物から服を取り出し、着替え終わって鏡でチェックを入れて……固まった。

そこにいたのはかわいらしいワンピースを着た少女。
それは当然だ。自分は少女なのだから。
だけどその自分の姿にどきりとするなんてのは、当然じゃないと思う。

ふと、襟元を引っ張り胸を覗いてみる。

当然そこには白いブラが覗いていて、自分のふくらみを覆っている。
なのにごくりと喉が鳴るのはなぜだろう。
いやそもそも着替えているからにはその時にこんな気分になってもおかしくないのに、なぜ今頃になってそういう気分になるのだろう。

「う〜……」

悶々としつつそんなことを考えていたら。
何かが動いた気がして、視線を上げる……と。

隣にあった扉がいつの間にか開かれ、髭を生やした男性がこちらを見ていた。

………

……




「……えーと」
「……問題ない」

バタン。

思考停止。

………

……



――問題、あるよねえ……?










「きゃあああああああああああああああああ!?」

今度は一転、少女らしい金切り声を上げて、真っ赤になりながらベッドに飛び込んだ。



詳細検査の結果を眺める。
ミサトにも、彼女自身にも見せていない詳細データ。

「何らかの外的要因による擬似人格の疑いあり、か」

さすがに、自分が実は偽者かも、なんてことを書かれたものを見せるわけにもいかない。

次は深層心理の調査結果。

「孤立に対する脅迫的とも言える恐怖感と……この絵か」

赤と、黒と、白。抽象画か下手な国旗のようなそれ。彼女の描いたらしいこの絵がその脅迫感の元となっている事象ではないかとまとめられている。

もう一方の報告書は彼女の肉体に起こった変化について記されていた。

基本的なデータは14歳の平均をやや下回る程度。

ただし復元されたと思われる左手首は組織の白化、および痛覚への反応の鈍さと握力の低下が指摘されている。

また右目の検査の結果、現状の視力は0.1程度に低下しているが、人間の可視域を超える範囲の光を認識しているらしい。

さらにDNA検査。事前採取した本人のDNAと比較して約99.9%一致。
約0.1%において初号機による侵食が指摘されていた。

「99.89%……偶然ではないわね」

人造人間エヴァンゲリオン。これもまたヒトなのだ。構成パターンの99.89%は人のDNAと一致する。

ふう。

燃え落ちそうになっているタバコを吸い、吐き出す。

高すぎるシンクロ率、肉体へのフィードバック、さらに彼女自身の存在――
ただでさえ時間はないというのに……

「私を睡眠不足で殺す気かしら?」

すでに3日目になろうかという徹夜で暴走しそうな脳内から、一言あふれ出た。