Migraine


登校初日。
ミサトさんの「今日は送っていくから」の一言に逆らえず、本日も朝から恐怖のアルピーヌ・ルノーに揺られている。
第3新東京市立第壱中学校。たどり着いた校門には、そう書かれていた。

第参話:戦う意味

突き刺さる棘


車を降りると、ミサトさんも一緒に降りてきた。
なにやら手続きがあるらしく、それで送ってきたのだと納得する。

通常の登校時間より少し早いためか、まだ生徒の数はまばらだ。
来客用の下駄箱を使い、職員室へ向かう……と、通り過ぎた。
そのまま先にある校長室でとまる。

ミサトさんが扉にノックする。

「ネルフ作戦部長の葛城ミサトです、失礼します」

――あれ?

なぜ、ここでネルフの肩書きが出てくるのだろうか。
もしかしたら、この学校もネルフの福利施設なのだろうか。
それにしては市立と言うのは変だけれど。

まあ町全体が要塞のようなものだ、不思議は無いか。

ある意味で当を得た、そんなことを考えつつ、ミサトさんに続いて部屋に入る。

そこにはデスクの向こうに座る、校長らしき初老の人物と、その前に立つ、定年間近のような老教師がいた。

「今回の転校処理の書類です、ご確認を」

そういいながらミサトさんが校長らしき人に書類を渡している。
彼はしばらく書類を確認した後、頷き、こちらを見た。

「碇シンジさんですね」
「はい」

落ち着いた物腰の声が僕の名前を呼ぶ。

「今日からあなたはこの第3新東京市立第壱中学の生徒です」
「ぜひとも学業に励み、学校生活を楽しんでください」
「それでは、よろしくお願いしますね」

儀礼的だけれど柔らかな態度でそう言われた。
わかりました、と答えると、もう一言追加される。

「ネルフでの仕事に関係した休学、遅刻、早退等は優先的に配慮されますので、安心してください」

つまり、先ほどのネルフとの繋がりという考えは、間違っていないのだろう。
まあ、パイロット業のせいで留年しました、のような心配はあまりしなくてよさそうだ。

「君のクラスは私が担任をする2-Aになります」

そう言うのは静かに立っていた老教師。
どうやら担任の先生だったようだ。
ふと視線があい、久々に大き目の頭痛が頭の奥で疼く。

一緒にわきあがってきた感情は……。え?眠気?

いや確かにいかにも退屈そうな人ではあったのだが。
初対面でそれは無いだろう。
脈絡の無い感情に思わず突っ込みを入れる。

その時、丁度チャイムがなった。

「それでは、このまま2-Aに向かいますから、ついてきてください」

そういって出て行く彼の後に続く。

「それじゃミサトさん、また」
「はーい、がんばってねえ」

何をがんばるのかはわからないが、まあがんばろう。



階段を上り、教室へ。
2-A。そう書かれたプレートのある、扉の前。

「少ししたら呼びますから、そしたら出てきてください」

一緒に入ってもよさそうなものだが、ひとつのパターンなのだろう。

『えー、皆さん、お静かに』

がやがやと騒がしかった室内が、ほんの少しだけ音量を下げる。

『今日は転校生を紹介します。入ってきてください』

その一言で静まり返る教室。

僕は、期待と、ほんの少しのためらいを感じながら、扉を開ける。
台上で手招きしている老教師に従い、中央へと進んだ。

少し高くなったそこから、教室の中央へ振り向く。

初めて会う他人を値踏みする、クラスメイトの奇異の視線が僕に突き刺さる。
その感覚は少なからず僕を怯えさせ、緊張させる。
でも、まずは自己紹介。勇気を振り絞り、声を絞り出す。

「碇、シンジです。よろしくお願いします」



相田ケンスケは混乱していた。
転校生が来ることで動揺していたわけではない。
彼は独自の情報網により、すでに転校生が来ることは知っていた。

いや、だからこそ、他の人間よりもはるかに動揺したのかもしれない。

彼の親のPCを盗み見たときになぜか出てきた、転校生の情報。
その碇シンジという名前から、彼は大いなる勘違いの元、少々落胆していたのだ。

彼の趣味のひとつは写真撮影である。
だが転校生といってもわざわざ男を被写体にすることは無い。

つまりは彼も、転校生は美少女、を夢見る一男子学生だった。

事前情報により諦めの境地にいた彼の。
その目に飛び込んできたのは、あまりにも予想外な容姿。

壱中の女子制服を身に着けた、華奢な体。
その体と同じように線の細いつくりの顔は平均点を十分に上回っていた。
だがその中にある大きな違和感。
ショートカットにした頭には包帯が一巻きされており。
右の瞳だけが紅く輝き、黒い左目と合わさって異様なアンバランスさを醸し出している。

その表情は、視線は、かすかに怯えを含み、宙を彷徨う。
しかし意を決したように引き締まると、一言、名前を言ってお辞儀した。

深々としたお辞儀のあと、顔を上げ。
戸惑いを含みつつもにっこりと微笑んだその表情に。

一瞬、時が静止し。

次の瞬間、教室内は歓声と質問の渦で満たされた。


その中で、はじめから時間に取り残されていた彼が、ようやく気がつく。

「……あ、撮り忘れた……」

相田ケンスケ、一生の不覚であった。



一種異様な熱気の中、僕は早くも窮地に立たされていた。

「どこから来たの?」
「何で引っ越してきたの?」
「ご趣味は何ですか?」

転校生に対する当然の質問から、

「付き合ってる人とかいたりするの?」
「スリーサイズ教えてください!」
「ぜひ僕を彼氏に!」

ちょっと困った質問に、

「その頭、大丈夫?」
「何で右目だけ紅いの?コンタクト?」
「左手にも包帯してるよね、何かあったの?」

怪我や右目についての質問も。

いっせいに押し寄せた質問で、僕の頭は一瞬でパンクしてしまった。

「あの、その、ええと……」

あまりの状況に、ほとんど何も答えられずおろおろとしていると。
先生から助け舟が出された。

「はいはい、皆さん。気持ちはわかりますがもう授業が始まります」
「続きは休み時間にお願いできますか」

そういって質問の嵐を打ち切ってくれた。

「それでは、碇さんは2列目の……そう、後ろから2番目の席に座ってもらえますか」

そういわれ、促された先。
その窓側の隣の席に、見知った人物を発見した。
綾波レイ。
いたるところに包帯を巻いているが、最後に病院であったときよりは幾分かましな姿で、彼女は座っていた。
何か言う様子も無い彼女の視線は、しかし、常に僕に向けられている。

僕に気をかけてくれている。

そう思えて、少し嬉しくなった。

自分の席まで行き、座る前に彼女に挨拶する。

「おはよう、綾波さん」
「おはよう、碇さん」

病院のときと変わらない答えが返ってくる。
それに満足し、席についた。のだが。

また、教室の雰囲気が変わった。
ざわつき方の方向が変わったのだ。

なぜだろう?と考えるが、理由は思いつかない。
だが、その鍵となりそうなことは、すぐに起こった。

授業用の端末を開いてすぐに来た質問。

『碇さんて、綾波さんと知り合いなの?』

複数の人から同様の質問が飛んできていた。
こんなことがなぜ今までのほかの質問を押しのけて、真っ先に聞かれるのか。
大いに疑問ではあったが素直に答える。

『うん、病院で知り合ったの』

答えはしたが、疑問は残る。
思い切ってこちらから訊ねようと思った時には。
恐るべき勢いで質問のログが流れる。
ただいま2.4kbpsでオートクロール中、といった風情で、大昔のパソコン通信のごとくログが流れていく。
その文字列をリアルタイムで生み出している熱気は驚嘆に値するものだった。
当然その速度に一人の人間が太刀打ちできるはずも無く。
さっさとすべてに回答するのは諦めた。

質問をパターンに整理し分類。
質問をパターンに整理し分類。
質問をパターンに……。

大量の質問といっても、各個人から同じような質問が繰り返されるからそうなるだけだ。
質問をひとつにまとめて、数が多く無難なものからオープンチャットで回答していく。

『Q.どこに住んでいたのか』
『A.第2新東京市』
『Q.なぜ引っ越してきたのか』
『A.親の都合で』
『Q.スリーサイズは』
『A.ノーコメント』

………

『Q.頭の怪我はどうしたのか』
『A.3週間前に事故で』
『Q.右目だけなぜ紅いのか』
『A.事故でこうなった。コンタクトじゃありません』

………

『Q.付き合っている人はいるのか』
『A.いません』

なぜか歓声が上がったので。

『A.募集もしていません』

即座に追加。落胆の声が聞こえた気がする。

『Q.趣味は何か』
『A.特にありません』

この質問は答えようが無かった。
まだ本当に趣味といえるものなど見つけていないのだから。

『Q.友達になってくれますか?』

……

『A.喜んで。こちらこそ、よろしくお願いします』

これもオープンチャットで返す。
教室の騒がしさが増し、また、ログが高速で流れる。
今度は大量の自己紹介。
その数、21件。
思わず教室を見回し、人数を数える。
クラスメイトは22人、つまり、一人以外は全員が自己紹介を送ってくれたことになる。
なんとなく見当がつくその一人。

……やはり、綾波さんの名前は無かった。

そういえば、見回して気がついたが、かなり空席が目立つ。
35組ある机。クラスの人数は23人。
気になって、今度こそこちらから質問してみた。

『みんな疎開していったの、例の騒ぎのせいで』

使徒と呼ばれるあの化け物。あれが来た後、みな逃げていったのだ。
建物など石ころか何かと同じように無視して、紙くずのように破壊していく。
あれで、逃げるなというほうが無理だろう。

だが、知り合いが、友達がいなくなったのも事実。

つまり皆、寂しかったのだ。
幸か不幸か、そこに転校してきたからこそ、こうしてすぐに受け入れられたのかもしれない。などと考えた。

ふと、顔を上げる。
そういえば授業中なのだ。
だが、担任の先生は数学の授業を中断して何かを語っている。
セカンドインパクトのときの話だろうか。

なんというか、生徒も授業をそっちのけならば先生も授業そっちのけ。
こんなのでいいのかなあ?
などと考えて、ある疑問に気がついた。

――あれ?

『ねえ』

『あの先生、なんて名前なの?』

……回答結果総合。

知らない……11
根府川?……4
セカンドインパクトの人……3

………
……


なんとも微妙な空気の中、根府川?先生の授業はチャイムとともに終了した。



授業の合間の休み時間。

チャットでの質問は粗方答えたとはいえ、やはり人間。
皆、直接話そうとやってくる。
気がつけば僕の机の周りには巨大な人だかりができていた。

このクラスは女子が多いのか、周りにいるのは皆女の子だ。
男子生徒はそれを遠巻きに見ているようだが、さすがにクラスの女子の大半が集まっている中に割って入ってくる勇気はないようだった。

「でも本当に不思議な瞳ねえ」
「やっぱり、変かな?」

面と向かって話すと、やはりこの話が真っ先に出てくる。

「ううん、そんなことない。すごくきれいだよ」
「ん、ありがとう」
「でも事故でなったって書いてたけど、何でそうなっちゃったの?」
「うーん、僕も詳しいことは覚えて無くて……」

同じ年の子達とこうやって話をするのはとても楽しかった。
こんなに集まるのは今だけだとは思うけれど、それでもみんなと仲良くなれたようで、嬉しかった。

そんな中で、教室の扉が開く音がした。
遅刻してきたのだろうか。なぜかジャージを着込んだ男子生徒が入ってきた。

向こうでカメラを構えていた男の子となにやら話しているようだったが、回りのお喋りのせいか会話の内容は聞こえてこない。

僕の見ている先に気がついたのだろうか。
女子生徒の一人が彼のことを教えてくれた。

「あのジャージのは鈴原トウジ。んでとなりのが相田ケンスケよ」

何か余り友好的でないのは気のせいだろうか。

「変人盗撮魔とガサツ朴念仁の大馬鹿コンビ。なーにかんがえてるんだか」

別方向から横槍が。
……なんとなく女子には嫌われそうな人たちだとはわかった。

気がつくと向こうの二人もこちらを見ている。
だが、その視線は好意的といえるものではなかった。
特に鈴原君からは睨みつけられている。
ずくりと、頭の奥に痛みが走った。

チャイムが鳴り、先生が入ってきた。

しぶしぶといった感じで周りにいた子達が自分の席へ戻っていく。
すると鈴原君がこちらへ向かってくる。
視線は僕を睨みつけたまま。
なにか、彼の気に触ることがあったのか。
が、彼は何も言わずそのまま僕の後ろの机へ向かう。
そこが彼の席だったらしい。

――僕の勘違い?単にああいう目つきなのか?

違う。
彼が怒気を含み僕を睨みつけているのがひしひしと感じられる。
その感覚は、僕の心を激しくかき乱す。

結局、彼の視線から開放されたのは、昼休み。
二人に強引に連れ出されるまで続いていた。



「おい、ちょいと顔かしてくれへんか」

他の人が集まる前に、そういって教室から連れ出された。
その後ろから相田君がついてきていた。

連れてこられたのは、体育館の横。
建物に挟まれた空間だった。

なんというか、いじめの定番スポットという感じの場所に連れてこられて、僕は相当あせっていた。
途中逃げようにも、相田君もいるし、がっちり掴まれた腕は振りほどけそうに無く、引かれるままにここまで来てしまった。

「おい、転校生、われがあのロボットのパイロットちゅうんはほんまか?」
「え、なんでそれを?」

誰にも話してはいないはず。質問された覚えも無い。

「俺の親父、ネルフに勤めててさ、それでちょっと、ね」

つまり、相田君が教えたということか。

「こういうんは趣味や無いけどな」

鈴原君がぼそりといった。その直後。
僕は殴り飛ばされた。

転倒し、背中と頭をしたたかに打ちつける。
それが頭の傷に響く。それに顔をしかめると、殴られた頬からの激しい痛み。
口の中に血の味が広がっていた。

「は、うっ、ひっ……」

思考がまとまらない。視界がぼやける。

「お、おい!トウジ!なにやってるんだ!」
「うるさい!こうせえへんと、わしの気がおさまらんのや!」

二人が何か言い争っている。

「こいつの、こいつのせいでうちの妹は!瓦礫の下敷きになったんやで!」

……え?

「何とか命は助かったけどな、ずっと病院や!」
「歩かれへんねん、動かれへんねん、もしかしたら一生、ずっとや!」

……僕は、みんなを。

「だからっておまえ、相手は女の子だぞ!」
「関係あらへん!こいつがもっとうまくやっとれば、助かったんや!」

……守れたんじゃ、無かったの?

「ふん、これに懲りたら、次はせいぜい壊さんように戦うんやな」

……僕が、壊したの?

「おい、待てよ、トウジ……。ったく。しょうがないな……」
「碇さん、大丈夫……なわけないか。今起こすから」

相田君が助け起こしてくれたが、今の僕には立ち上がるだけの気力も無くて。
すとんと、座り込んでしまう。

鈴原君の放った言葉は、彼の放った拳よりも、何倍も重くて、痛くて、苦しくて。

「……ぼ、くは、まもれな、かった、の?」

心を映した言葉が、漏れる。

「おい?碇さん?おい!ちょっとしっかり!」

頭の奥が疼く。押さえつけるようにして、うずくまる。

意識が、闇に飲み込まれる。
絶望という闇。
そのすべてが黒く染まりそうになった、その時。

鋭い電子音。携帯端末からの緊急招集。
それが、僕の意識をつなぎとめた。

「……いかなきゃ」
「え?」
「使徒が、来てる。いかなきゃ、守れない」

そうだ、たとえ守りきれないとしても。
ここにいたら、初めから、何も守れない。
だから、いかなきゃ。

「碇さん、それって」
「みんなに避難するように言って。僕は、ネルフに行くから」
「大丈夫、みんなは、僕が守るから」

血の味のする唾液を吐き捨て、駆け出す。
体の痛みも、心の痛みも押さえ込み、走る。

もう何も失いたくなんて無い。
まだ一日だけど、僕の中にできたたくさんの絆。
それを、消させなんて、絶対にさせない。

そのための力を、エヴァンゲリオンを求めて。
僕は、ネルフ本部へ、向かう。