Migraine


第壱中学の指定シェルター。
あの転校生を殴り飛ばしてから程なく、避難命令が出た。
有事の際の避難場所は、経路まで含めて徹底されている。
自分とケンスケも、それにしたがってここに避難していた。

「あー、だめだ」
「何や、また文字だけかいな」

隣で膨れるケンスケに合いの手を入れる。
報道管制。地上の出来事は一般人には伝わらない。
前回もそうだった。

彼は写真マニアなだけでなく、ミリタリーマニアでもある。
それもかなり重度の。
おそらく今地上で繰り広げられているであろう戦闘は、彼にとっては垂涎物なのだろう。

しかし自分は戦闘に興味など無かった。
妹はそれに巻き込まれ、重傷を負ったのだ。
同じように巻き添えになる人間がいるのかと思うと、嫌な気分にしかならない。
ふと、右手に視線を移す。

――あいつが、戦うのだろうか。

理不尽なのはわかっていた。
それでも殴らねば、気がすまなかった。
殴れば、少しは気が晴れると思っていた。

だが、残ったのは嫌な感触と、罪悪感のみ。
気分は晴れるどころか最悪だった。

「なあ、ちょっと話があるんだけどさ」

唐突に、ケンスケから話しかけられる。
少々むっとしつつ、返事を返す。

「なんやい」
「ちょっと、ここじゃ、な?」

何か、悪巧みでもしているのだろう。
一応これでも親友といえる間柄だ。そのぐらいはわかる。
だが、こんなところで溜め込んでいるよりはいい。
それこそ、少しは気が晴れるかもしれない。

「しゃあない……おおい、いいんちょ」
「なによ?」
「わしら二人、便所や」

先に済ませときなさいよ、などというのを聞きながら、トイレへと連れ立つ。
実際、出したい状態でもあったのだ。
用を足しつつ話の続きをはじめた。

「そんで何や、話って」

彼の口から出たのは、予定通りの、だが予想外の、悪巧み。

「なあ……外、出てみないか?」

第参話:戦う意味

裸のハリネズミ


『シンジちゃん、出撃、いける?』
「はい、大丈夫です」

初号機、エントリープラグ内。
LCLに包まれて、僕は出撃を待っていた。

『ごめんね、結局、ほとんど訓練もできずに実戦になるわ』

パイロットとして正式契約してから、まだ三日。
訓練といえるようなものは何もできていない。

――だけど、前回とは違う。

あの時は、朦朧として何もわからないまま、気がつくと病院にいた。
どうやって使徒を倒したのかすら、覚えていなかった。

今度は違う。
僕は僕の意思を持っている。意識もはっきりしている。
だから、今度こそ。

――うまく、やれるはず。

それに、初号機も前回とは違う。

『パレットガン使用時のインダクション・モードの使い方、覚えた?』
「はい、とりあえず、射撃はできそうです」

そう、前回はまだ配備されていなかった、射撃武器。
別系統の操作なのがややこしいが、赤木さんが出撃待機の間簡易シミュレータを動かしてくれたおかげで、とりあえず撃ち方だけは覚えた。

『目標はATフィールドを展開していて、現在通常火器は一切効果が認められないわ』
『必ず、相手のATフィールドを中和してから攻撃して』

ATフィールド。何物をも通さない見えない壁。
エヴァだけがこれを中和し、無効化できる。そのためのエヴァ。

そうはいってもこれもぶっつけ本番だ。
しかし前回のときは中和できていたという。
なら今回もやれるはず。

『本当はもっと準備したかったところだけれど、時間が無いの』
『可能な限りサポートするから、臨機応変に対応して』

まず、打って出る。後は状況次第。作戦とはいえない。
だけど一人で戦うわけじゃない。
ミサトさんが、赤木さんが、ネルフの人々が、僕を支えてくれる。

『エヴァ初号機、発進!』

ミサトさんの号令とともに、強烈な加速度。
僕はあっという間に、地上へとたどり着いた。



目標まで1kmほど。
それなりの距離のようでその実、初号機の大きさからすればほんのすぐそこという感じだ。
ロックボルトが外れる、開放感。
この感覚は覚えていた。

『目標は警戒態勢に移行してるわ。まだ気づかれてはいないみたいだけれど』

エヴァは丁度カタパルトに身を隠すようにして、使徒と対峙していた。
いまのうちに、ATフィールドの展開を行ってみる。

『大丈夫、展開は成功しているわ』
『目標のATフィールドを中和、建物の陰から出てパレットガンで一斉射』
『状況の如何によらず、その後いったん退避。これを1行動として攻撃。いいわね』
「はい」

相手のATフィールドを確認する。
人には知覚できないそれも、初号機の感覚は捉え、視覚化する。
同時に自分のATフィールドを相手の領域に重ね、中和。
同化といってもいいかもしれないその行為で、目標もこちらに気がつく。

先手必勝。
カタパルトから飛び出し、使徒を視界に捉える。
僕の視界の中で照準が移動し、目標を中央にロックしたその瞬間、引き金を引く。
パレットガンを保持する右腕が僕の意思から離れ、対象を狙い。
大質量の弾丸が一気に吐き出される。

一瞬、空のほうへずれた火線。しかしすぐに補正され相手の中心に正確に叩き込まれる。
劣化ウランでできた弾丸の嵐が使徒にぶつかり、盛大にはじけ飛ぶ。
ほんの4秒ほどの間の狂乱。
即座にまたカタパルトの裏に隠れる。

『目標、健在。効果確認できません』
『粉塵により視界悪化、注意してください』

中和し切れていないのか、それとも異様に外殻が硬いのか。
大した損害は与えられていないらしい。

『シンジちゃん、もう一度』
「でも、効いてないんじゃあ」
『次は兵装ビルからの複数種攻撃を同時に加えるわ、やれるだけ、やってみないと』
「わかりました、いきます……っ?」

初号機の感覚が、危険を伝えていた。
とっさに飛びのく。
隠れていた空間ごと、カタパルトが袈裟懸けに切り落とされた。

崩れ落ちた向こう側に見える、光る鞭のようなもの。
肩のように左右に張り出した部分から、それぞれにそれが形成されていた。

ATフィールドは中和したまま。相手のATフィールドを中和している間は、自分のATフィールドも中和されている。
離れてATフィールドを展開すれば防御はできるかもしれない。
だが、それではこちらの攻撃も不可能だった。

――中和を、やめるわけにはいかない。

『兵装ビル起動、目標の背面を狙って、援護急いで!』

砲撃と誘導弾の飛翔音が響き、爆音が周辺を包む。
背面方向の起動可能な兵装ビルすべてによる一斉攻撃。
だが通常兵器による最大火力を集中した、その攻撃すら、目標の姿勢を崩すことしかできなかった。

――なんて装甲!

バランスを崩した目標にパレットガンを叩き込む。
だがやはり何の効果も無く、銃弾はむなしく弾け飛ぶ。

爆炎の続く中、目標が姿勢を立て直す。
と、その軟体生物を思わせる体が伸び上がり。
光の鞭が左右に、波打ちながら伸びる。

次の瞬間、その周囲の建物は、粉々に粉砕されていた。
使徒の周囲にできた、半径700mの瓦礫。
鞭をのたうち回しながら、バレエダンサー宜しく旋回したのだ。

「っ!そんな、街が!」

一瞬で作られた円形の廃墟。
その光景が、僕の心を揺さぶった。

――せいぜい壊さんように戦うんやな

鈴原トウジの言葉が、蘇る。

――こいつのせいでうちの妹は!瓦礫の下敷きに!

また、僕はうまくやれなかったのか?
また、彼の妹と同じような人が、でてしまったのか?
焦りと恐怖が、心を支配する。

その動揺が、初号機を立ち尽くさせた。

『シンジちゃん、避けて!』
「……え?」

その声に我に返ったときには、既に左足を絡めとられていた。
一瞬の焼けるような痛み。
だがそれは続かず。

代わりに僕は、空中へと投げ飛ばされた。



「いけない!」

発令所に、叫び声が響く。
ディスプレイには跳ね上げられ、山腹へ叩きつけられた初号機の姿があった。

「アンビリカルケーブル断線、内蔵電源に切り替わります」
「初号機、活動限界まで後4分53秒」
「パイロット、意識レベル正常」
「心理グラフに乱れ。操縦には問題ありません」

状況を伝える報告が次々と入る。
戦闘継続は可能。だが、活動可能な時間は短い。

「シンジちゃん、起き上がって。体勢を立て直すわよ」

そう指示するが、返ってきたのは返事ではなった。

『あれは、相田君、鈴原君!?』

誰かいる?
初号機からの映像データ、左手の下に映る二人の人影。
即座にMAGIがデータを照合、パーソナルデータを添えた。

「……シンジちゃんのクラスメイト!?なんでこんなところに」

警告音。
体勢を立て直す前に、使徒が初号機の目前に迫っていた。

両腕の鞭が振りぬかれる。
甲高い干渉音が聞こえた。
とっさに張ったのであろうATフィールドをも引き裂き、鞭が初号機を打ち据える。

『くう、ああ!』

碇シンジから漏れる苦痛に満ちた声。
モニタには170%という驚異的なシンクロ率が見えている。
その高さが、彼女に現実と同じ痛みを与えている。

それでも彼女は動かない、いや、動けないのか。
おそらくは地上にいるクラスメイトのせいで。

――どうする?

次に打つべき手を捜し、逡巡する。
と、状況に変化が生まれた。

初号機が相手の鞭を両の手で捕まえたのだ。
振り回そうとする使徒を相手に、鞭の動きを抑え込む。
一時の膠着状態。

今しかなかった。

「シンジちゃん、地上の二人をエントリープラグに回収して」
「葛城一尉!?許可の無い一般人を乗せるわけには行かないわ」

リツコからの抗議。

「私が許可します」

実際にはその権限は私には無い。
だが指揮官は私だ、強引に押し通せばいい。

「それでは越権行為よ。……許可は私が出します」
「リツコ?」

予想外の答え。
確かに彼女は佐官クラスであり、それが可能な人物ではある。
だが、猛反対されると踏んでいただけに、思わず間抜けな声が出る。

「あなたのためではないわ。彼女の心理状態を加味した上での判断よ」
「今後を考えれば、ここで彼女の精神を破壊する行為はできません」

……以前彼女の深層心理を忠告してくれたのはリツコだった。
彼女がそう分析したというなら、許可の理由としても使えるだけの根拠、というわけか。

「副司令、よろしいですね?」
「ああ、かまわんよ、好きにやりたまえ」

丁度出張で不在の司令に代えて、副司令が受け答えする。

「リツコ、挙動制御を」
「ええ、初号機を現行モードでホールド、その後エントリープラグを一時排出」

現状を維持しつつ二人を回収するための制御をリツコに任せ、次の手を考える。
内蔵電源は3分を切っている。
鞭を掴んだ両手も装甲は既に融解し、焼け始めていた。

「二人の回収を確認」
「ハーモニクスに誤差、神経系統に異常発生」
「シンクロ率、101%まで低下」

本来存在しないものを二つ放り込んだ対価。
シンクロ率がそれでも100%を超えているのは驚異だが、ハーモニクスにも誤差が生じている。

――現状のまま戦闘継続は無理か。

画面では初号機が目標を投げ飛ばしていた。
間合いもできた。丁度いい。

「シンジちゃん、一旦退却するわ。34番の回収ルートに向かって」
『だめだ!』

――え?

『今倒さないと、もっと、壊されてしまう!』

明らかに切羽詰った様子の声。

「シンジちゃん?止まって、退却よ!命令を聞きなさい!」

必死に制止命令を送るが、それを完全に無視している。

焼けた手にプログレッシブナイフを握り締め。
初号機が、使徒に向かって突進した。



――ああ、神様仏様。もう悪さはしませんからお助けください!

不気味な液体に包まれたそこで、祈るように命乞いした。
悪友の口車に乗せられたことを激しく後悔する。

そもそもケンスケが戦闘を見ようなどと言い出したからこんなことになったのだ。
あの時のそこの阿呆の口上を思い出す。

「おまえ、あの後見てないだろ、あいつ、ひどい状態だったんだぜ?」
「それでもあいつ、俺たちのこと守るっていったんだ」
「あんなことを言ってぶん殴ったからには、お前には戦いを見届ける責任があるんじゃないか?」

考えれば理由にもなっていないすり替えだが、自分はそれに納得してしまった。
殴ってしまったが、なんとも後味が悪くて。
その場にいられなくなって、捨て台詞を吐いて立ち去ってしまった。

だから、思わず釣られてしまい、二人してシェルターを抜け出してきた。
これはその報いだとでも言うのか?

イカの化け物が、人型の化け物と対峙していて。
普段とはまるで様子の異なる第3新東京市のビルが火を吹き、なぎ倒され。
気がついたときには、紫色の巨大な塊が降ってきたのだ。

あれで生きていられたのも信じられないが、今自分達はその紫の化け物の中にいる。
現実感などというものはとうにどこかへいってしまった。

自分たちの前にもう一人、乗っている人間がいた。
パイロットスーツらしきものを着た、華奢な女の子。
碇シンジ。あの転校生だった。

「くっ!」

短く漏れた声とともに、相手の化け物が投げ飛ばされた。
スピーカーから、退却するように指示が飛んでいる。

――はあ、これで助かる……

涙腺を緩ませながら弛緩した体は、次の叫び声により一気に硬直する。

「だめだ!」

転校生が、叫んでいた。

「今、倒さないと!」
「もっと、壊されてしまう!」

――彼女の叫びは、自分の捨て台詞を映していた。

「お、おい、転校生、退却や、ろ……?」

そういっても、彼女は聞いていないのか、何かを取る動作をして。

「はあああああああああ!」

掛け声とともに機体が加速し、化け物に急接近した。

「うわああああああああああああ!」

こちらは掛け声ではなく、二人分の悲鳴。
相手から何か光る鞭のようなものがこちらに向かって伸びてくる。

ボゴンと、鈍い音とともに衝撃が走る。
どこかが破壊されたのだろうか。

「ぐふっ!」

転校生が呻いた。
前方の液体が、吐き出されるたびに赤く染まっていく。
液体から感じる血のにおいが、濃くなっていく。
明らかな異常事態。

「転校生?大丈夫なんか!?」

その問いかけにも反応せず、突き刺すような動作をする彼女。
見ると、外では化け物の玉のような部分に、ナイフが突き刺さっていた。
そのナイフに伸びる腕が、彼女の腕と同じ動きをする。

「あああぁああああああああああぁあぁあああ!」

彼女が叫び声とも、悲鳴ともつかぬ、すべてを吐き出すような声を上げ続けている。
ケンスケが隣でパニックになりもがいている。

なんだ、これは。
こんなのが、現実だというのか。
血のにおい。
液体の中。
化け物の中。

あまりにも非現実的な世界。

画面に映る化け物の玉がパキンと割れる。
同時にモニターが消え、室内が薄暗くなる。
彼女の声が、止まった。

一時の静寂。その支配を破ったのも、彼女。
転校生がシートに倒れこみ、こちらを振り向いた。

「大丈夫、だった?」

そういって、微笑んだその笑顔はあまりにも壮絶。

ごぽりと血の色の液体を吐き出し、そのまま彼女は気を失った。



「もう、十日か」
「俺らがこってりと絞られてからか?」
「……わかっとるやろが、ボケんなや」

あの転校生と会って、シェルターを抜け出し、ロボットに放り込まれ、それはもう完膚なきまでに叱られて。
あれから十日が過ぎた。
彼女はまだ戻ってこない。

「一日だけの、幻の転校生か」
「おい、不吉なことゆうんやないで」

あの日以来戻ってこない彼女。当然何かあったと考えるクラスメイトの噂話も、既にあまり聞かれなくなった。
今は昼休み。
大食いだったはずの自分が、あの日以来食が進んでいない。
いままでなら真っ先に購買へと駆け出したであろうこの時間も、なんとなく気だるい。
ケンスケの机に突っ伏して、ぼけっとしていた。

ガラガラッと教室の扉が開く。
何気なくそちらを見て、目を見開いた。

碇シンジがいた。

既に頭の包帯はしていない。
代わりに両手に白い手袋をしていた。

軽く左足をかばうようにして、自分の席まで歩いていく。
同じく包帯の減った綾波に挨拶してから、席についた。

クラスに残っていた女子生徒がいっせいに彼女の周りに集まる。
何事があったのかと話をしているようだったが、既に頭の中はその会話を理解するだけの処理能力を持っていなかった。

ふらりと立ち上がり、気がつくと他の生徒を押しのけ、彼女の横に来ていた。

「お、い、ちょいと顔かしてくれへん、か」
「うん?いいよ?」

彼女の返事。
周りがなにやら不平不満を漏らしているが、それもまともに聞こえてはいない。
立ち上がった彼女の手を取り、ゆっくりと教室を出る。

後ろから、苦笑しながらケンスケがついてきていた。



また、鈴原君に連れ出された。
時間も同じ、お昼休み。
後ろから相田君がついてきている。これも同じ。

だけど僕を引くその手の握りは優しくて。
僕の歩みにあわせてゆっくりと移動してくれていた。
こちらを見てくれないので表情はわからないけれど。

そうして連れてこられたのは、やっぱり体育館の脇の空間。

と、彼は壁際に置かれていたものの中から何かを取り出し、設置した。
いわゆるディレクターチェアと呼ばれる折りたたみ式の椅子。

「おう、まあ座れや」

何でそんなものがここにあるのかと思いながらも、お言葉に甘え座る。

「な、なあ?」
「何?」

聞き返すが、返事が返ってこない。

「何なの?」
「あ、ああ、ええと……」

「そや、怪我、大丈夫なんか?血、吐いとったやないけ」

そう聞かれた。
実際のところ、大丈夫とはいえない。だが無理を言って出てきてしまった。
それでも無理が通ったのだから、一応は大丈夫ともいえるのだろうけど。

「ん、大丈夫。肺に傷はあったらしいけど、ほんの小さい穴だったって」

これは嘘ではない。
あの時は確かに、大穴が開いていた。
だがそれは初号機とつながった精神が作り出した、虚像の傷。
比較的低かったシンクロ率のおかげで傷自体はそれほど大きくなかった。

「んじゃあ、その手袋は?」

横から相田君が指摘してきた。

「ん、こっちはちょっとね、色が」

そういって、片方をはずしてみせる。
火傷により移植されたそこの皮膚は、明らかに異質だった。

「まあ、せっかくみんなと知り合ったのに、ずっと会えないのも寂しかったからさ」
「さっさと退院してきちゃった」
「さ、さよか……」

あはは、とごまかし笑いをした。

だが、そこから会話が進まない。
何もしゃべらない二人。
なんとなく居心地が悪くなって。

「じゃ、じゃあ、先に教室に戻るから」

そんなことを口走った。
立ち上がり、教室へ向かおうとした、その直後、鈴原君から呼び止められた。

「ま、まってくれ」
「ん?」

振り向くと、彼は真剣な表情でこちらを見ていた。
そして。

「殴ってすまんかった、このとおりや」

そういって、思い切り頭を下げる。
謝られる、という事態を想定していなかった僕は、思い切り狼狽する。

「え、いや、その」

キッと頭を上げた彼は、更にとんでもないことを言い出した。

「転校生。わいを殴れ!」
「……はい?」

その言葉が、混乱に拍車をかける。
既に彼は、後ろ手を組み、仁王立ちしていた。

「ちょっと、そんなこと、できないよ」
「いや、これはわいなりのけじめや!」
「そういわれても……僕は殴りたくなんかないし」

そう、別に殴られたことを責めるつもりなど無かった。
それよりここで彼を殴る罪悪感のほうがはるかに大きい。

そんなやり取りに横槍が入る。

「その手、大丈夫なんだよな?」
「え、あ、うん」
「なら悪いけど、殴ってやってくれよ。どうにも堅物な奴でさ」

いや悪いけど本当に冗談じゃないです。

「相田君まで……」
「ああなると聞かないぜ?あいつ」
「それで気が済むってなら、殴ってやってくれよ。気にする必要ないさ」
「……はぁ」

思わずため息が漏れる。
確かに何を言っても聞きそうに無い。
そう信じたら、どこまでも行動する、そういう人のようだった。

「……わかった、じゃあ一発だけ」
「おう、こい!」

拳を作って、顔面をめがけ。

「……手加減はなしやで!」

加減するつもりだった拳が空中を泳いだ。
こちらを見つめる真剣な眼差し。

覚悟を決めた。

「本当に、加減なしでいくよ」

右手を大きく振りかぶって、踏み込み、渾身の一撃。
ペチンと見事に顔面にヒットする。
だが彼はその場から動かない。
拳を当てた右肘が曲がる。
体重を乗せたためにバランスを崩し、僕は彼のほうにもたれかかってしまった。
それでも彼は動かなかった。

「……今のが本気やな?」
「え、うん」
「そうか……」

彼が、拳の当たった辺りをさすっている。

「痛いわ。ごっつう痛いわ……」
「ご、ごめん」
「あやまるなや!……そんな必要あらへん」
「あやまらなあかんのは、わしのほうやろが」

そういうと、彼は。
僕を抱きしめてきた。

「え、ちょ、ちょっと」

突然のことに身動きができなかった。

「……なんで、こんな……」
「ほそっこくて、かるうて、ちいさくて」
「やわいパンチしか打てん様な奴が……」
「必死に、ワイらを守って、戦っとるんや……?」

気がつくと、彼の声は上ずっていた。
その様子に、やっぱり動けなくて。

「……守ったる。おまえはわいが守ったる」
「誰にもお前にちょっかい出させへん。わるういわせへん」
「そんな連中、わいがしばき倒したる」
「だから、安心せい」
「お前は好きにやればええ。怖がらんでええ」
「ええんや……」

「……うん、ありがとう」

その気持ちが嬉しくて、暖かくて。
思わず僕は、彼を抱きしめ返していた。



「あー、コホン」

どれくらい経っただろうか、横からわざとらしい咳が聞こえた。
ふとみると、相田君がこちらを困ったように見ている。

……それで、今どういう状態なのか気がついた。

あわてて彼から離れる。

「あ、あの、ごめんなさい」
「い、いや、あやまらんでええ、悪いのはわいや」

二人して赤くなっていた。

「うーん、青春してるねえ」
「うっさいわ、ボケ」

彼の年寄りめいた感想が、二人の赤さを加速させる。

「おかげでこっちはタイミングがなくなっちゃったじゃないか」

そういいつつこっちを見た彼は、深々と頭を下げた。

「悪かったな。俺がこいつに話さなきゃ、こんなことにはならなかっただろうし」
「え、あの」
「そや、元はといえばお前のせいやんけ、シェルターでたんも!」
「でも結局殴ったのはトウジだし、協力したのもトウジだぜ?共犯だよ」
「ぐっ」

あやまられたはいいが、そんなやり取りを続ける彼らの会話に割り込めない。
少し困っておろおろしていると、また、相田君が話しかけてきた。

「まあ、ひどい目にあわせちゃって言うのもなんだけどさ」
「友達に、なってくれないか?碇さん」

そういって、彼は右手を差し出してきた。
迷わず、その手を握り返す。

「うん、喜んで」

そういってにっこりと微笑む。
ちょっと相田君が赤くなっている、照れたのだろうか。

「ちょ、ちょっとまてや、わいも、わいも友達や。な?」

そういって握手の上から両手をかぶせてくる彼が可笑しくて。
思わずくすくすと笑いながら、こう返す。

「うん、そうだね」


こうして、新たな絆が、僕の中にできた。
友情という絆が、確かに僕の心を、支えなおした。