Migraine


第四話:寄り添う、ココロ

レイ


白い蛍光灯の光が目に入った。
見上げた天井は、見慣れた病院のもの。

「なにがあったんだっけ?」

自分が何故ここで寝ているのか、思い出せない。
何かが怖かったのだ、それは覚えているのだが。
何が、何故怖かったのか。
軽い頭痛と靄のかかったような感覚に、閉ざされてしまっていた。

いつも通り、病室は広く、静かだった。

そこへ、珍しくどたばたと音を立てて、移動する気配。
扉が大きく開け放たれて、誰かが同じ病室に運び込まれてきた。
並べられたベッド、その先から見える蒼い髪。

綾波さんだった。

「綾波さん!一体どうして?」

何があるのだったか。
そう、零号機の再起動実験。
まさか、実験に失敗したのだろうか。
彼女に何かあったのだろうか。

だがその考えは、更に悪い方向に裏切られる。

「使徒の攻撃でダメージを受けたの。今は一時撤退、戦闘は小康状態よ」

後から入ってきたのは赤木さんだった。

「使徒!?じゃあ零号機は……」
「零号機は起動には成功したけれどまだ出撃できない状態だった」
「出したのは初号機よ」

それでは、初号機がダメージを受けたということ。
それを考えたとき、恐怖が襲う。
まさか、破壊されたのか。
戦えないのだろうか。

――僕は、守ることが出来ないのか?

僕の表情が曇ったのを見たのか、赤木さんが続けて言った。

「大丈夫、胸部第三装甲版まで融解しているけれど、中枢はやられていないわ」
「換装が終わり次第、出撃になります」
「……わかりました」

僕はまた戦うことが出来る。そういうことだ。
だけど、綾波さんはやられてしまった。
隣で眠る彼女を見る。外傷はなさそうだけど、どうなったのだろうか。

「あの、綾波さんは……」
「レイなら大丈夫。後は目が醒めるのを待つだけだから」

赤木さんはそう言ってから、僕に書類を手渡した。

「それが今回の作戦案よ、よく読んでおいて。それじゃ」

そのまま彼女は病室を後にした。



渡された作戦案。
それはまったく予想だにしない攻撃だった。

非常に、そう、非常に単純に言えば、狙撃だった。
遠距離から、相手に気付かれずに攻撃し、倒す。

ある意味で常套手段であり、方法論だけなら至極単純なもの。
だがこの作戦の場合、その規模の、桁が違いすぎた。

ポジトロン・スナイパーライフル。
生成された陽電子を吐き出し、対象を対消滅させて破壊するという、N2兵器に並ぶ人類最強の砲撃。
それに日本中の電力を掻き集め、最高の威力でもって使徒のATフィールドごと貫き、殲滅する。
人類史上最大の一点突破攻撃だった。

”ヤシマ作戦”と銘打たれたこの作戦案には、今後の行動予定が示されている。
午後六時にエヴァでの活動開始、作戦地点にて待機。
午前零時に作戦決行、使徒を殲滅する。

今までと大きく違うのは使用する兵装だけではない。
稼動可能になった零号機、これも作戦に参加する。
万一の反撃に備えての防御担当とされていた。

まだ目覚めてはいないけれど、綾波さんも、一緒に戦う。
僕と彼女の、初めての共同作戦。
隣で眠る彼女を見る。

綾波さんの体に怪我をした様子はない。
作戦案の書類にあった使徒の攻撃。
加粒子砲と呼ばれる高エネルギー兵器での敵性勢力の狙撃、排除行動。
それをまともに受けて、”釜茹で”にされたのだ。

本来なら目標のATフィールドを中和し、近接攻撃をかけるのが最も効率が良いはずだった。
しかしそれを行わないということは、それが不可能と判断された、ということだ。
それほどの攻撃能力。

もし――自分が出撃していたら、どうなっていただろうか。
初号機の体温上昇とプラグ内のLCL温度の上昇。そして胸部に突き刺さる加粒子の奔流。
100%を超えるシンクロ率でそれを受けたとき、はたして生きていられただろうか。

そう考えるとぞっとする。
綾波さんだから生き延びられた、そう考えようとして。

――それすら、偶然かもしれない。

嫌な考えは途切れなかった。
そうだ、彼女にしても、後数秒戻るのが遅ければ。
死んで、いたかも、しれない。

確かにそこにいるはずの彼女が、なぜか儚くみえて。
思わずその頬に触れる。

アルビノの白い肌から感じる温もり。
それに触れて、安堵する。

――そうだ、彼女はちゃんと生きている。

綾波さんに触れて思い出す。
彼女にずっと縋り付いていた事を。
何が怖かったのかはいまだに思い出せない。
でも、彼女がその恐怖から僕を守ってくれていた、それだけはわかった。

長い間触れていたからだろうか、彼女が身動ぎして。
瞼が開き、その紅の瞳が僕を捉えた。

「綾波さん、大丈夫?」
「……ええ」

相変わらず表情を変えずに答える彼女。
なのに何故だろうか、涙が溢れる。

「何故泣いているの?」

彼女の疑問の声。
そうだ、この人は、きっと知らないのだ、こういうことを。

「安心したから。君が無事で、本当に良かったと、そう思ったから」

そういって、何とか笑顔が出てくる。
僕が泣いているせいで彼女に心配などさせたくない。
でもそれだけなんかではなく。
心からの安堵の笑顔だった。

「ごめん、今日はずっと迷惑ばかりかけてる」
「そうね」
「本当にごめんね」
「気にしてはいないわ」

きっとどちらも彼女の本当の気持ちなのだ。
隠すことも、隠す必要も、きっと知らない、そういう人だから。

だからこそ、そういう人でも、嬉しかった。



双子山山中。
エヴァンゲリオン初号機および零号機はケイジからそこへ移動していた。
使徒を狙撃するための最高の条件がそろったこの場所が、今回の戦いの舞台だ。

僕たちが仮設ドッグに到着したときには、既に現場は喧騒の真っ只中だった。
日本中から伝達される電力を集約するための様々な設備。
のたくり回る極太の電線。立ち並ぶ変電設備に冷却用のシステム。
そして作戦の目玉、エヴァ専用改造陽電子砲。

戦略自衛隊が開発中だったものを今回のために徴発、改造を加えたものだという。
試作段階で野戦向きとはとても言えないデリケートな武装だ。
未だその各ブロックで作業中の多数の人々。
作戦時間ぎりぎりまで可能な限り調整を行うつもりらしい。

一撃必殺の兵装。とはいえ、これほどの大出力での試射などされたことは当然あるわけがない。
その一撃を確実に発射するために、そこで作業する人々。
大声で指示を飛ばし、走り回り、微妙な調整を汗を拭きながら行い、巨大なコンテナが轟音とともに降ろされる。
そこに様々な機械音が加わったその様は、さながら祭りのようでもあった。

そう、祭りだ。人類の未来を賭けた、盛大な花火を打ち上げるための儀式。
そのためにここにいる皆が、自分の持つすべての技能を駆使して、形を作り上げている。

戦っているのは自分たちだけではなかった。
今までだってわかってはいた。ネルフの皆が、ミサトさんが、赤木さんが、きっとお父さんだって、必死に戦い、僕たちをサポートしてくれていた。
でも彼らだけじゃない。これほど多くの人達がこの作戦を、僕たちを支えてくれている。
それを目の当たりにして、皆を守ろうという僕の想いは一層強くなる。

――皆を、絶対に消させなんてしない。

彼らから受け取る力の結晶は、必ず使徒を打ち倒せる。
なぜかそんな確信が、心をよぎった。



時刻は午後6時30分。
作戦開始まで後5時間30分だ。

パイロットはしばらく楽にしているように言われ、綾波さんと二人で仮設の休憩室にいた。
彼女との二人の空間は、いつでも静寂が支配する。
僕のほうから話し掛けない限り、この静寂がいつまでも続く。

続くはずだったのだけれど。

「ねえ」
「え?」

綾波さんからこの静寂を破る声が発せられた。

「その手、火傷したの?」

普段、エヴァに関係することくらいしか話をしてこない彼女が、ある意味普通の事を疑問にした。
そのことに少々驚きながらも答える。

「ん、この間の使徒との戦いでね、聞いていない?」
「いいえ」

そういうことはわざわざ教えたりしないのだろうか。

「エヴァがどうにかなると、僕の体も同じようになっちゃうんだって」
「それで、初号機の手が焼けたときに、僕のほうも、ね」
「でももうずいぶん経つし、色はともかく殆ど馴染んでるよ」
「そう……」

でもなぜ彼女がこんなことを聞いてくるのか。
私自身ももう気にしなくなっていた事柄だ。

「……碇司令と、同じ」

――え?

どういうことだろうか。
彼女の話はたまに一気に内容が飛んでいく。

「お父さんと同じって?」
「碇司令も手のひらを火傷しているわ。同じ傷跡」

火傷するようなことが、何か起こったのか?

「零号機の前の起動実験が失敗したとき、碇司令が助けてくれた」
「高温になったプラグを強引に開けて、私を心配してくれた」
「手のひらの火傷はその時の物」
「あの人が、私を助けてくれた証」

僕がこちらにくる前の頃の話だ。
そんなことがあったのか。
お父さんは、綾波さんを心配してくれている。
……僕のことも、心配してくれているだろうか。

「それは、絆ではないの?」
「え?」

綾波さんの唐突な一言。

「あなたは前に言ったわ。私の目とあなたの目は同じだと」
「それは繋がりなのでしょう?」

肉体的特長の一致。
それが絆とは思えないが、同じ物を持っているという認識はお互いを近づける。
あの時はそう考えた。
いまでも、彼女と同じ瞳であることは繋がりだと思っている。
お互いにそう気付いていれば、意味は、ある。

そう考えて気が付く。

――お父さんも、この火傷を知っているだろうか?

知っているかもしれない。総司令なのだから。
知らないかもしれない。些細なことなのだから。
わざわざ確かめるには気恥ずかしい、そんな事柄。

「綾波さんは、なんでこんなこと気にしてくれたの?」

やはり、お父さんと同じ、だからだろうか。
彼女にとって唯一の大事な人。
その人と同じだから、気になったのだろうか。
でもその答えは少々趣を異にしていた。

「あなた、碇司令との絆がないと、言っていたから」
「それは悲しいことなのでしょう?」

――ああ、この人は。

僕のことを、心配してくれていたのだ。
お父さんと僕との絆を、見つけようとしてくれたのだ。
彼女の中に、僕がいる。
それを感じられて、とても嬉しくて。

「うん、そうだね、ありがとう」

たとえこの火傷が絆でなかったとしても。
彼女との絆は、確かに出来ていると、そう思えた。



「陽電子は地球の自転、磁場、重力の影響を受けて直進しません」
「その誤差を修正するのを忘れないで」

赤木さんが作戦の最終説明をしていた。
作戦案通り、僕が砲手を担当。綾波さんは防御担当だ。

「大丈夫、テキスト通りやって、真中のマークがそろったらスイッチを押せばいいわ」
「後は機械がやってくれる」

つまり、僕は相手のコア中心を正確に狙う。
そうすれば命中する。

「冷却や再充填、ヒューズの交換で次に撃てるまでに時間がかかるから、注意して」
「どのくらい、ですか?」
「そうね、大体20秒ほどだと思うけれど、気にしないで」
「一撃で撃破することだけを考えなさい」

そうだ、一撃で決めればいい。
そうしないと、綾波さんが敵の攻撃に晒されることになる。
超電磁コーティングのシールドがあるとはいえ、耐え切れる保証はなかった。

「私は、碇さんを守ればいいのね?」
「ええ、そうよ」

綾波さんが僕を守ってくれる。
なら僕は、使徒を倒して、綾波さんを守る。

「それじゃ二人とも、出撃よ」

ミサトさんの一声とともに、僕たちはエヴァへと向かう。

「綾波さん、必ず使徒を倒して、生きて帰ろう」
「そうね」
「それじゃ、また後で」

そういって僕は初号機へ、綾波さんは零号機へ。

「ええ、じゃ、さようなら」

彼女の別れ際の一言が、なぜかとても悲しく感じたけれど。



モニタのデジタル表示が、午前零時ちょうどを示した。
作戦開始時間。

「シンジちゃん、日本中のエネルギー、あなたに預けるわ、がんばってね」
「はい」

ミサトさんの激励に答える。
ポジトロン・スナイパーライフルのエネルギー供給状況を示す表示が、変化をはじめた。

第一次接続完了。
冷却器が唸りを上げ始め、変圧設備が独特の音色を奏ではじめた。
初号機の、僕の知覚がそれを捉える。

そして、陽電子加速器が活動をはじめる。
超高エネルギー状態となったそれが充填されていく。

『撃鉄起こせ!』

オペレータの日向さんからの指示に従い、操作を行う。
この巨大兵装に似合わぬ、日本伝統の火装の文字が作業の完了を伝えた。

専用の狙撃用ディスプレイが照準を僕の瞳に網膜投射する。
その視覚と、初号機の視覚が一つになり、目標のコアを捉える。
正確に正確を重ね、照準が徐々に使徒のコアに近づいていく。

その最中。
僕の視界の中で恐れていた変化が発生した。

使徒の内部で円盤状の光。
放出されるエネルギーを、初号機の感覚はすぐに察知した。

『7、6、5、4、3、……』

正確に行われているはずのカウントダウンがひどくゆっくりと感じる。

――早く!撃たれる前に!

『2、1……』
『発射!』

その号令とほぼ同時に思い切り引き金を引く。

――間に合え!

日本全土の電気エネルギーを力に変換した、光の槍。
その通る道に在るすべてのものを無に帰さんと、大気を燃やし、突き進む。
一分の狂いも無く正確に、使徒のコアへ向かって。

だがその最強の矛は、もう一つの最強の矛によって捻じ曲げられた。

一瞬の差で目標から放たれた加粒子砲。
これもまた、寸分の狂いも無く初号機へと向かって放たれ。
正確に同じ道をたどった両者は、干渉し、そのどちらもが大きく軌道を外れ、地上に大穴を開けた。

「そんな!はずれた!?」
『第二射、急いで!』

驚いている暇は無い。急いでヒューズを交換する。
排出され焼けきったヒューズが地面を焦がした。

発射まで、約20秒。

――お願い、撃ってこないで!

その願いも虚しく、使徒はあっという間にエネルギーを収束し。
向こうからの第二射が、今度こそ一直線に初号機を狙う。

だがその射軸上に踊り出た零号機が、装備した巨大なシールドでそのエネルギーの塊を受け止めた。
驚異的な出力のそれが、シールドに阻まれ周辺に弾け飛ぶ。
だが……。

『そんな、盾が持たない!』

見る見るうちにシールドが溶け消えてゆく。

「綾波さん!」

こちらの再充填は遅々として進まない。
この速さでは、確実にシールドは破壊され、零号機も溶かされてしまう。
綾波さんが、死んでしまう。

――守ると、決めていたのに。

僕は、彼女を守れないのか。

使徒の吐き出すエネルギーの奔流は止まる気配も無く、シールドはどんどん限界に近づいていく。

――嫌だ!

絶対に、守る!

どうやってでも、守ってみせる!

だから……

――お願い、力を貸して!

僕の願いが、初号機に届き。

初号機は、その願いに応えた。



その異変に初めに気が付いたのは、システムの状態管理をしていたマヤだった。

「っ?初号機の動作モードが切り替わって……?」

通常モードで動作していた初号機が、突如として内蔵電源モードに切り替わったのだ。
だが状況を把握するより早く、大量の異常が報告される。

「初号機、シンクロ率300%を突破!」
「初号機電源ライン、何者かに乗っ取られています……加速器に直結しました!」
「内蔵電源が逆流しています。残時間48、29、15……」

初号機の内部電源をも電力源として使おうとしているのか。
確かにエヴァの動作用のエネルギーは莫大だ。
だが、日本全国から集めた電力の前には雀の涙ほどの効果しかないはず。
しかし次の報告がその予測を裏切る。

「加速器エネルギー流入量増大、相対比133%です!」
「なんですって!」

たかが内部電源一つで日本全体の1/3に匹敵する出力など出せるはずが無い。
システムの表示を見て、更なる異変に気が付く。

「ゲインモード用の回生発動機が……?」

内蔵電源時のゲインモード。
エヴァ自体の動作時の運動エネルギーを電気エネルギーに変換し直し、稼働時間を延長するためのシステムだ。
だがこれは、今の状態は。
動作するための電力量をはるかに上回るエネルギーが還元され、アンビリカルケーブルを通してポジトロン・スナイパーライフルに流入していた。

「生体部品に異常発生、質量低下しています」
「自らの体を直接エネルギーに変えているの!?」

生体部品をエネルギー源として稼動する。
あれもヒトなのだ、不可能というわけではない。
だが、脂肪に当たる部分など殆ど存在しないエヴァにとって、それはまさしく身を削ること。

「陽電子再充填完了します!」
「冷却システムに過負荷。限界です!」

想定された限界を超えた影響で、システムの各所に負荷がかかっている。
陽電子のチャージも照準補正も終了している。
だが、この状態で果たして発射できるのか。

「撃ちなさい!」

ミサトの一喝が移動発令所に、そしてスピーカー越しに、響き渡る。

判断に逡巡する間もなく、即断されたその命令。

それに従い、ポジトロン・スナイパーライフルのトリガーが引かれる。
その破壊の牙が、二度目の閃光を迸らせた。



体が、熱い。

胸が、痛い。

血が、滾る。

僕の願いに応え、エネルギーを全力供給する初号機。
そのための、命を磨り減らす業。
初号機の筋肉が、心臓が、血液が、鳴動する。
全身で巻き起こる運動作用が莫大なエネルギーを生み出し、人類の力を後押しする。
その肉を糧として、その血を熱に変えて。

その活動は、高まったシンクロ率と相まって自身の肉体をも蝕んでいた。

通常ならば有得ない筋肉の運動が全身を軋ませる。
筋繊維は必要とされた栄養を自らを消費することで賄い、崩壊していく。
鼓動は数えるのも難しいほどに、恐ろしい速さのリズムを刻む。

その熱に、痛みに、視界がぼうっと白く染まる。
意識が混濁する。
だがそれでも、トリガーにかかる右手は硬く握られていた。
網膜を踊る照準と浮かび上がる使徒のコアのみが妙に明るく認識される。

どの位経ったのだろうか。
数秒?それとも、もっと長いのか、短いのか。

自らの所業に、初号機が、僕の体が、限界を伝え悲鳴を上げている。

危うく飛びそうになる意識を、歯を食いしばり繋ぎ止める。

再充填はまだ終わらないのか?
綾波さんは持ちこたえているだろうか?
もう他のことに気を回す余裕などありはしない。

――目標をセンターに入れて、スイッチ。

相手を捉える事。
トリガーを引くこと。

既にそれ以上のことを考える能力は無かった。

ピピピと電子音がして、照準のカーソルが中央に重なる。
充填状態のゲージが最大値を伝える。

『撃ちなさい!』

その声に反射的に反応し、トリガーを引き絞る。

拡散する加粒子砲を突き抜け、光の矢が使徒のコアを貫くのを初号機の視覚で感じた。


後方で何かの爆発音。

体の右側に痛みを感じる。

だがその感覚すら既に遠く。

――綾波さん、無事だったかな。

そう考えたのを最後に、意識を手放した。



超電磁コーティングのシールドが崩れ始める。
ATフィールドを併用しての防御体勢ですら、この加粒子砲の連続照射に長時間対抗することは出来ない。
現状のシールドの耐久状況から防御可能な残り時間の予測が表示されている。

カウンターは既に残り3秒。
シールドが完全に破壊されてしまえば、残りはATフィールドと零号機の特殊装甲のみ。
それもほんの数秒しかもたないだろう。
少なくとも自分が生きている間は。

耐久値を視覚化したグラフの残りが殆ど無くなった。
残り時間は2秒を切っている。

すぐにくるであろう灼熱の感覚に耐えるため、体に力を入れる。

――碇さんは、私が守る。

自分がどうなろうとも。
それが自分に与えられた命令。
全うすべき使命だから。

――それだけの理由?

一瞬、別の考えが頭をよぎる。が、そんなことに気を回している場合ではなかった。

残り1秒。シールドが、溶ける。

そう思い、身構えた瞬間だった。

零号機の機体の真横を新たな光が走り、加粒子の光の幕を貫いていった。

同時にその光の幕も消滅する。
その向こう側には、中心を貫かれ墜落する正八面体の姿があった。

――使徒を、倒せた。

零号機が身動ぎすると、ごとりと、元の形状がわからないまでに溶けたシールドがひび割れ、崩れ去った。
その音とともに緊張が解け、体の力が抜ける。

死を覚悟していた。
だが、自分は生き延びた。

その安堵感から、シートにもたれかかろうとして。

背後から響いた爆発音と干渉音に、思わず振り向いた。

そこに見えたのは、弾け飛ぶポジトロン・スナイパーライフルの残骸。

あまりの過負荷に耐えられず、冷却システムが放電しながら停止し、陽電子加速器が大爆発を起こした。
残留していた陽電子が周辺に飛び散り、いたるところで対消滅を起こす。
その熱と衝撃に冷却剤が燃焼し、銃身が捻じ曲がり、砕け散る。

加速器を背負うようにライフルを抱えていた初号機。
支えていた右腕が奇妙に曲がり、爆風に煽られている。
陽電子の残滓が特殊装甲の表面を侵食し、融解する。
爆発を背に受け、崩れるように倒れていく。

――碇さんが!?

私が、彼女を守らなければならないはずだった。

――何から?

そう、使徒の攻撃から。
ならばそれはやり遂げたはず。
私は彼女を守ったはず。

これは事故だ。
これは私の責任じゃない。
これは私には関係ない。

それなのに。

何故私は彼女の所に向かっているの?
何故私は焦っているの?
何故これほど心が苦しいの?

そう考える間にも、零号機は歩を進め、未だ爆発の続く陽電子砲の残骸から初号機を庇うように抱え込む。
緊急脱出機構が作動していない。
アンビリカルケーブルは半ばで溶け、断線していた。

――碇さん!

強引に頸部装甲を引き剥がし、エントリープラグを引き抜いた。
地上に降ろす時間ももどかしく、自らもプラグから出て彼女のプラグに駆け寄る。

――碇さん!

ハッチの緊急手動開放機構をつかみ、引き上げる。
加熱したエントリープラグの熱が両の掌を焼くが、それすら気にならない。
その熱さが、胸の苦しさを更に強くする。

――碇さん!

そのままバーを回す。
力いっぱいまわしても、少しずつしか開かないそれに苛立つ。

――碇さん!
――碇さん!
――碇さん!

突然ごとりと音がして、ハッチが完全開放され外れ落ちる。

「碇さん!」

叫びながら飛び込んだエントリープラグ内。
碇さんはシートにぐったりと倒れこんでいた。
右腕が、初号機と同じように奇妙に曲がっている。
華奢な彼女が、更に小さく見える。

「碇さん、しっかり!」

もう一度呼びかける。
ぴくりと、彼女の体が動いた。

「うっ」と言う声とともに、彼女の目が軽く開かれ、こちらを見た。
それを見た瞬間、今までの胸の苦しさがすっと軽くなる。

「綾波、さん?」

彼女の、微かな声。

「何故、泣いているの?」

そういわれて気が付いた。
私は、泣いていた。

――何故泣いているの?

自問自答する。

わからない、そう答えようとして。
思い出した。彼女の言葉。

「安心したから。あなたが無事で、本当に良かった、そう、思ったから」

そうだ、この気持ちは。
私は安心したのだ。

彼女が生きていて。
彼女がいなくならなくて。
彼女が死んでしまわないかと心配で。

――何故?

それは彼女が重要だから。
それは彼女が必要だから。
それは彼女が大切だから。

私にとって、碇さんは特別な人になっていたから。

それを理解したとき、私の心には喜びが、平穏が広がった。

「ありがとう」

苦しそうにしながらもそういった彼女の表情。

碇さんは微笑んでいた。

それに答えた私は。

どんな顔をしていただろうか。