Migraine


第六話:理性と感情の狭間で

不和


追いかけなければ。
そう考えるより早く、体は動いていた。
それでもドアを開けたときにはアスカの背中はもう大分遠ざかっていた。
全力で走っているであろうその速度に、僕の足ではついていくことが出来ない。
それでも後を追う。
幾つもの角を曲がり、ネルフ本部の入り口につく頃には彼女の姿を見失っていたけれど。
きっと外に出たのだと、そう思う。

ネルフ本部は、広大な地下空間の中央部に存在する。
ジオフロント。
直径6kmという円形の土地は、その多くが緑で覆われている。
森の中を通る整備された道路に湖すら存在する、さながら自然公園の様相を呈しているのだ。
もちろん、ただの地下空間に、”地上の自然”が存在できるはずは無い。
それが保たれているのは、科学の力だ。
気象すらも完全に管理された、密閉空間。
だが人工的に作られた自然であっても、苛立ちから逃げ込むには悪くない、緑の世界だった。

どちらへ走っていったのか。
見渡すと、湖畔へと続く道で人影が見えた、気がした。
他人かもしれない、などと考える余裕は無かった。
ただ、それをアスカと信じ、精一杯の速さでひた走る。

ようやく回復してきたといっても、肉体の回復に体力の回復は追いついていない。
心臓は激しく脈打ち、呼吸は乱れ、太股が悲鳴を上げる。
胸が、喉が痛い。足の裏から振動が響く。
止まりそうになる己の肉体を叱咤し、筋肉を酷使して、アスカを捜す。

どれだけ走りつづけたのか。
実際にはそれほど長い時間ではないと思う。
遠景にピラミッドのようなネルフ本部を臨む、地底の湖畔。
設置された木造のベンチに、すぐそれとわかる金色の髪の少女が座っていた。

見つけられたことに安堵し、だけど止まろうとして僕の足は意思に反して縺れ。
何とかバランスを取り直して停止したそこは、もうベンチの後ろ。
乱れたままの呼吸で顔を上げると、アスカの視線とぶつかった。

心に、何の準備もしないままに。



「アス……っ!」

彼女の名前を呼ぼうとして、だが途中で咳き込んだ。
回復の途上にあった体が突然の酷使に苦情を漏らしていた。
激しい咳が止まらず、体を丸めるようにして膝をつく。
それでもなかなか終わらないそれに、喉が酷く痛む。
呼気が擦れるような音を立てていた。

「……なにやってんのよ、あんたは」

気がつくと、アスカが背中をさすってくれていた。
みればやはり呆れ顔。
僕よりはるかに速く走っていたはずなのに、まったくそんな様子も見せない。

「そんなとこでへたり込んでないで、座ったら?」
「……うん」

ようやく一声出すと、促されるままベンチに座る。
いつのまにやら来たときとは逆の体勢になっていた。

「……で、なにしにきたの?」
「え?」

その問いかけに、収まり始めていた心音が、またどくんと高鳴る。

飛び出した彼女を、夢中で追いかけてきた。
だけど、追いかけて、僕はどうしたかったのだろう。

何をすればいいのだろう。
何を言えばいいのだろう。

何も、考えていなかった。
かけるべき言葉が、自分の内に見つからなかった。

そして出てきたのは、ありきたりな、意味の無い一言。

「ごめんね、アスカ」

当然、自分が、その言葉が、引き金を引いたことに気付くはずもなく。



何よそれ。

「何であんたが謝ってるのよ」

シンジは選ばれた。
私は選ばれなかった。
それだけだ。

なのに何故謝るのか。

あんたが勝ったから?

――ふざけるな。

あんたが勝つことに、そんなに問題があるというのか。
私が謝られなくちゃならないほど、あんたが私に酷いことをしたというのか。
謝らなくちゃならないほど、悪いことをしたとでも思っているのか。

勝ったのが悪いとでも思っているのか。
ああそうだ、私にとっては非常に都合が悪い。
だけどあんたは悪くないだろう。

それともその言葉は、ただの憐れみか?
勝者から敗者への。
だとしたら。

「冗談じゃないわ」

見下すにもほどがある。
大体、私は護られる立場なんかじゃない。
それはシンジ、あんたのほうだ。
私が守護者で、あんたが庇護者。
戦闘の知識も技術も無いただの素人。
エヴァの損傷で自分も怪我を負う、危なっかしい存在。
今だってこの程度の距離を走っただけでフラフラの、軟弱な奴。

そんな人間に憐れまれるほど、私は落ちぶれてはいない。
選ばれなかったのも、パイロットとしての能力が原因じゃない。
ただ、作戦と相性が悪かっただけだ。
決して、私がこいつより劣っていたわけじゃない。

「思い上がるのもほどほどにして」

そもそもなんでこんな奴がパイロットになれたのか。
マルドゥック機関の選出というけれど、こいつは碇司令の娘だという。
いくらなんでも出来すぎている。

「所詮あんたなんか親の七光りで選ばれた素人パイロットなのよ」

そういえばドイツ支部ですら流れていた噂。
あの鉄面皮の髭親父についての下世話なゴシップ。

「妻殺しのゲンドウだったかしら。そんなのでも子供には甘いのかしら?」

……あれ。私は何を言っているのだろう。

「訓練もろくにしていないただの一般人がパイロットぶったりして、迷惑なのよ」

何故私はこいつを扱下ろしているのだろう。

「わかる、要するに邪魔なのよ、あなたは」

こんなのは、私のすることじゃないだろう。
冷静になれ、アスカ。

「追いかけてきて、私を慰めようとでも思ったのかしら?」

この子は、そういうことを考えて行動する子じゃないだろう。

「それとも友達だから、助けようと思ったとか?」

そんなこと関係なく、ただ心配しただけなのだろうに。

「私と対等になれたとでも思っているの?」

きっとうまくやっていける、そう思っていたのに。

「普段うじうじしているくせに」

でも、戦うと決めたときの意思はすごく強い奴で。

「はっきり言って目ざわりよ。今はあんたの顔もみたくない。どっかに消えて!」

そうじゃない。
そうじゃない。

ただ私は、悔しくて。
これはただの、八つ当たりじゃないか。

自分が何をしているのか認識して。
また私は、逃げ出した。

シンジは、追いかけてこなかった。



「何やってるんだろ、私」

ジオフロント壁面に即した、地上との連絡駅。
無様にも逃げ出してしまった。
そうしないと、自分の感情を止められそうに無くて。
私らしからぬ、醜態を晒してしまった。

あれからもう、二時間以上経つだろうか。
結局シンジはここまではこなかった。
私を見失ったのだろうか。
そして、諦めて帰ったのか。
それとも、怒って帰ったのか。

<<現在、ジオフロント内は人工降雨中です。終了までは……>>

駅構内に定期的に流れるアナウンス。
スケジュールに管理された、情緒も何もない人工の雨だ。
尤も、急に飛び出してしまった私には何の備えもなく、こんなところで雨宿りをせざるを得なかったのだけれど。
後一時間もすればこの雨も終わる。
その後は、どうしようか。

このまま地上に出てしまうか、それとも自室に帰るか。
ミサトのところへはちょっと戻りづらい。

――戻る必要も、ないか。

どうせ、今回の作戦に私は必要ないのだ。
戦わないパイロットなど、一般人と大差は無い。
腹いせにぶちまけた自分の言葉。

――邪魔なのは、迷惑なのは、私のほうか。

雨に霞む窓ガラスの向こうを見つつ、自嘲した。
逃げ出して、癇癪を起こして、また逃げ出して。
馬鹿みたいだ。

あいつらがすごかったわけじゃない。
ただ、自分がだめだった。
そんなことはとっくに理解はしていたのだ。
それでも、負けた自分を、だめだった自分を、認めるわけには行かなかった。
エースパイロットとしての意地と誇りが、それを許さなかった。

――エースパイロット?

その言葉に、ふと、馬鹿馬鹿しくなった。
何がエースなのだろう。
第六使徒殲滅、エヴァ弐号機小破。
それだけだ。
それも、ミサトの作戦に従って、シンジと協力して。

訓練も、学歴も、実戦結果の前では何の意味ももたない。
結果的に、すべての使徒戦に関与したシンジと比べて、なんと薄っぺらい事か。

実力を示さねばならないのに、舞台にすら上がれなかった。
出遅れている、という自覚が、焦りとなっていた。

あの二人は今日から作戦準備でかかりきりになり、私は一人、通常訓練。
すぐ目と鼻の先に使徒がいるというのに、こんなところで私は、何をやっているのか。
心が翳り、色濃くなっていく。
外で降りしきる雨は人工のものだというのに。
その雰囲気は、まるで私の心に共感しているようだった。

私を空虚さが支配していく。
その最中。

携帯端末が耳障りな音を立てて、私を呼び出す。
気が乗らず放っておいても鳴り続けるそれを、苛立ちながらも手にとる。
ミサトからだった。
わざわざ心配でもしてくれているのか。

『アスカ、シンジちゃん、一緒じゃない?』
「え?」

そうではなかった。

『飛び出していった後、戻ってこないし、携帯も繋がらないし』
『アスカのところにいるんじゃないかと思ったんだけど……』

あの馬鹿、まさかまだ私を捜しているのか。
見つけられずに、この雨の中を彷徨っているのだろうか。
そんなことをしている場合じゃないだろうに。
私など気にせず、使徒を倒す準備をすすめるべきだというのに。

『とにかく、見かけたら連絡ちょうだい』
「わかったわ」
『……アスカ』
「なによ?」
『心配してるわけじゃないけど、今回の人選は適正の問題よ』
「そんなこと、わかってるわよ」
『そう、それじゃ、お願いね』

まったく、ミサトはいつも一言多いのだから。
だが自分のことよりも、シンジのことのほうが問題だった。
どうやら立場が逆になったようだ。
ミイラ取りがミイラとはよく言ったものだ。

――本当に、馬鹿なんだから。

やっぱり、ここは私が面倒を見てやらないと、ね。



――とりあえず、あそこに戻ってみよう。

そう考えて、いまだ降り止まない雨の中を走る。
私を捜しているなら、もう移動していて当たり前だ。
あの場所にはもういないだろう。

そう考えていた。

だが、湖畔のベンチには、人影が、二つ。
傘を差した、蒼い髪が、ベンチに近づき。
黒髪の少女は、いまだそこから動いていなかった。

――この雨の中、何してんのよあいつは!

まさか、あれからずっとここにいたというのか。
ファーストが彼女を傘の下に入れようとしていた。
その場に、思わず私も駆け寄る。

「ここで何してんのよ!」

だけどシンジは。
私の怒鳴り声にも、反応は薄く。
ただ、こちらを見上げて。

その瞳の色が、私の嫌な記憶を刺激する。
光の無い、壊れた人形。
髪も服も、びしょびしょに濡れたままで、何も映していない瞳。
そんな表情などみたくは無かった。

「なんて顔してんのよ!」

勢いに任せてまくし立てる。
そうせずにはいられなかった。

「あんたは、エヴァのパイロットでしょう!」
「使徒を倒すのが、あんたの役目でしょう!」
「こんなところで油を売ってて、いいわけないでしょうが!」

そうだ、仮にも私に勝った人間が。
こんな姿でいいはずが無い。

「だから……しゃきっとしなさい!」

そこに、追い討ちのように、パシンと濡れた頬を叩く音。

私ではない。
ファースト、綾波レイだった。
思わず絶句して見る。

「……前も、こうしたら気がついたわ」

似たようなことが以前にもあったのか。
だがともかく、どちらの行為が効いたのかは定かではないが、彼女の瞳に光が戻ってきていた。

「アスカ、綾波さんも……」

ようやくまともな反応をした彼女だったが、私のほうを見て、戸惑ったような表情を見せる。
そういえば、殆ど喧嘩したような状態で別れたのだった。

「ごめん、アスカ」
「僕は、どうしたら良いのかな」

この期に及んでのこの発言に、怒るより先に呆れてしまった。
どこまでも内罰的な子だ。

「……あー、もう。私のことを気にしてる場合じゃないでしょ!」

戸惑う彼女を強引に立たせ、ファーストに押し付ける。

「ほら、さっさと訓練に行きなさい」
「う、うん」

そう答え、歩き出した彼女を見守る。
まったく、人選から漏れるわ、びしょぬれになるわ、今日は厄日だろうか。
何かもうどっと疲れてしまった。
なにかもう、どうでもいい。

――帰ってシャワーでも浴びよう。

そんなことを考え、私も歩き始めた、その時だった。
今日の運勢の悪さは、格別なのか。

シンジが、ふらつき、そして、倒れた。



「碇さんに、なにをしたの?」

シンジの運び込まれた病室の外で、ファーストが尋ねてきた。

シンジは風邪による高熱に、肺炎を併発していた。
雨の中、あれだけ長く濡れていたのだ、ある意味当然ともいえた。

――本当に、馬鹿な子だ。

しばらくは絶対安静。
奇しくも、というべきか、代わりに私が作戦参加となった。
他人の脱落による出番。
嬉しさよりも、虚しさが上回っていた。

「何もしてないわよ。……ちょっと、喧嘩しただけ」

確か少々きついことをいった気はするけど。

「そう。それじゃあ、何を言ったの?」

少しだけ質問が変化した。

「そんなの細かく覚えてるわけ無いじゃない」
「答えて」

更に詰め寄るファーストの表情は、いつもと変わらないようで、違う。
明らかにそれとわかる怒気を含んでいる。
その静かな迫力に、気圧された。

「えっと、司令の悪口とか、邪魔だとか……あー、もう、大人気ないわね、私も」

思い出すだけで、少々恥ずかしくなる。
勢いとはいえ、プライドも何もあったものではない内容。
だが、そんな気分に染まる間もなく、左頬に衝撃が走った。
ファーストの右手が、既に振りぬかれていた。

「あの人から、絆を奪わないで」

抗議の声を上げる前に、そう言われる。

「あんた、何言って……?」
「碇さんは過去の記憶を失っているわ」

初めて聞いた、事実。

「碇司令のことも知らない。他のことも何も覚えてはいない」
「だけどあの人は私にやさしくしてくれる。私を求めてくれる」
「私だけじゃない。出会った皆に優しくしている。皆を求めている」

そう言うファーストの表情が、少し翳ったように見えた。

「そして、とても脆い人。絆を失うのを、極端に怖がる人」
「そんな人に、あなたは何を言ったの?」

あまりにも真剣に詰め寄るその姿に、私は言い返すことが出来なかった。
そのまま病室に去っていく彼女を、黙って見つめていた。


――シンジを壊したのは、私か。

そうして壊しておいて、代わりに私が出撃するのだ。
私が、あの子を貶めたのだ。

私らしくない行い、私らしくない手段。
エースと名乗る資格すら失ってしまった、そんな感覚。

いつまでたっても、それは消えなかった。

再度の使徒迎撃を行う、その日になってすら、だ。