Migraine


一台の特殊車両が停車する。
ターミナルドグマへと続く、巨大な通路への入り口。
監視カメラに映るそこには零号機がすでに待機していた。

「ロンギヌスの槍、か」

長大なトレーラーに積まれていたのは、二重螺旋によって形作られた恐ろしく巨大な二又の槍だった。
不毛の地と化した南極から極秘裏に回収され、運び込まれたそれを、零号機が受け取り、さらに最深部へと歩を進めている。
この槍の存在を知るものは極めて少ない。
このネルフ本部内でも、碇のやつと赤木君、それに現在作業中のレイくらいなものだろう。

ふと、視線を隣でレイの様子を監視している碇に向ける。
いつからだろうか、この男がレイとの会話を避けるようになったのは。
モニター越しでしか姿を見ることすらしなくなったのは。

そうしておいて、しかし以前よりもさらに執着しているようにも見える。
逆にレイ自身は碇以外の存在に目が向き始めている。
特に、奴の娘への思慕はかなり強いものになっているようだ。

――まさか、だからこそ逃げているのかね。

だとしたらユイ君、こいつはかわいいというよりはただの大馬鹿者だぞ。
レイを支配下に置く重要性を忘れたわけでも無かろうに。

――どうするつもりだ、碇。

「なにがだ、冬月。……計画は順調だ」
「そうだとよいがな」

いつの間にやら声が漏れていたらしい。

まあ、実際のところおれにとってはどうでもいいのだ。
もちろん成功してほしいのは確かだ。
また、君に会えるのならば。

だがそれは結果の有り様としての話だ。
真実を知り、欲望に負けたあのときから、既に自分自身の望みなど失ってしまっていた。
今こうしているのはただ、君のためになら悪魔すら出し抜こうとする愚直な男の行く末を見届ける、余興のようなもの、酔狂な余生だ。

そんな自分の厭世的な思いに、自嘲する。

――こんなおれを、君は笑うだろうかな、ユイ君。


第九話:心の距離は

日常


耳障りな電子音があたりに響き渡っている。
それを遮ろうと布団の中にもぐりこんでも、完全には遮断できず、かえって微妙に覚醒してしまい苛立ちが募るばかり。

「あー、もう、うっるさい、わかったわ、っよ!」

体を起こし勢いに任せて目覚し時計をひっぱたく。
そうしてまだ重たい瞼を軽く開け、周りを見渡して。
そこが自分の部屋でないことに気がついた。

――……ああ、引っ越したんだっけ。

いつもより一段低い視界。
床に布団を敷くというのはいまいち慣れない。
まあ、ベッドを入れてしまえば必要はなくなるのだろうけど。

そのまま視線を横に移す。
となりには初めから備え付けてあったベッド。
そう、ここはもともとシンジの部屋だ。
ほかに部屋が無いから、という理由で、無理をいって私が転がり込んだのだ。

「しんじー、おはよー、って、あれ?」

元の部屋主が寝ているはずの場所にふくらみは既に無かった。
先に起きていたのだろうか。
布団の乱れが直されている辺りに彼女の几帳面さが垣間見えた。

それにしても、なんだろうか、この不安感は。
彼女が寝ていないのは、既におきているのに決まっているのだ。
消えうせてしまったとか、そんなことはあるはずが無い。
けれど戦闘のたびにぼろぼろになる彼女を見ていると、いつかいなくなるんじゃないかという思いが強くなる。
その戦いに赴く姿勢は、あまりに儚い。

嫌な感覚を振り払うように飛び起き、部屋を出る。
果たしてそこには朝食のものと思われる良い香りが漂っていた。
誘われるようにダイニングのほうへ向かい、そこで目的の人物を発見した。
シンジは台所に立っていた。

「なんで?」
「あ、アスカ、おはよう」

第一声が、それになった。
だっておかしいじゃない。
あいつは退院したばかりで、しかも完治したわけじゃなく、いろんなところが不自由で、歩くのだってやっとで。
何でそいつがいの一番に朝の支度をしているのか。

「何であんたが料理してんのよ」
「だって、誰かが作らないとだめだし」
「ミサトにでもやらせりゃいいでしょうが、病み上がりなんだし」
「そ、それはやめておいたほうがいいと思う」

ミサトの名前を出した時に明らかに顔色が変わったが、どういうことだろうか。
あいつも少しは料理くらい出来るって言ってたと思うのだけれど。

「とにかく、そんな体で無理しないでよ。こっちがひやひやするわ」
「大丈夫だよ。それに、今日は調子いいから」

そういいつつも、シンジは盛り付けを進めていた。
実際のところ、もう殆ど作り終わっていたのだ。
卵焼きに、湯掻いたほうれん草とお味噌汁。

「あっ」
「ん、どしたの?」
「アスカ、日本食って大丈夫?」

彼女の妙な気配りに脱力する。
シンジがまともに動かない足で、立ちっぱなしで何かしていたというだけでもこちらは心配だというのに。

「平気よ。それより運ぶくらい私にも出来るんだから、あんたは座ってなさいって」
「ん、ありがと」

そういって素直に席に向かう彼女を見て、内心ほっとしていた。
ご飯と汁物を装い、おかずを運びつつ、自分の心理に苦笑する。
自分がここまで他人を心配するとは。
何かが吹っ切れていた。
おそらくはそう、昨日の夜、ドサクサ紛れに一言つぶやいた時から。

思えばシンジには何度も負い目を感じていたのだ。
私はうまくやれなくて、そのたびにシンジは傷ついていた。
それでもこいつは私を責めることなんて無かった。
自分が酷い目にあっているのに、他人の心配ばかりして。

「あら、アスカ、シンちゃん、おはよう。早いわねえ」
「あんたが遅いのよ!」

そうこうしているうちにのっそりと起きだしてきたミサトを怒鳴る。
昨日酔いつぶれたそのままのよれよれの格好で出てきたその姿はいかにもだらしない。

大体引越しのために乗り込んだ時のこの部屋の様子も酷い有様だった。
自分だって綺麗にしていたとはいいがたいが、ごみを散乱させたままほうっておくことはさすがに出来ない。
玄関に引越しの荷物がまだ積み上げられたままになっているのも、あまりの散らかりように先に片付けていて時間が足りなかったからだ。
頼りにならない保護者の様子に、今後のことを考えて憂鬱になる。

「まあまあ、いっただきまーっすと。うん、相変わらずおいしいわあ」
「どういたしまして」

一番遅く起きてきたくせに一番はじめに箸を動かし始めたミサトに少々呆れながら、自分も食事をはじめる。

「……あ、おいしい」

軽々と箸で切れるのに崩れない絶妙の焼き加減にしっかりとダシの効いた味。
だし巻きというのだろうか、するりと腹に消えてしまったその出来栄えに感心する。
おもえば、一人で暮らしていた頃は店の出来あわせだったり、コンビニ弁当だったり、そうでなければネルフの食堂で済ませたりしていたので、きちんとした手料理を食べたのは本当に久々だった。

一気にかき込んでいるミサトとは対照的に、黙々と食事をつづける作った張本人を見て、しばらくは料理は任せようかしら……、などと思う自分が情けないやら悔しいやら。
エヴァのパイロットとしてだけでなく、他にも勝てそうに無いものを見つけてしまったようだった。

「あ、ミサトさん、きちんと部屋の掃除くらいしてくださいね」
「いやー、ごみん、ここのところ忙しくって」
「いつもそういってますよ」

毎度交わしているであろう会話に小さくなっているミサト。

「どっちが保護者かわからないわね……」

思わず、そうつぶやかずにいられなかった。



久々の登校だった。
使徒と戦うたびに数週間の入院を繰り返しているために、きちんと出席できている日数は悲しいことになっている。
肝心の学業のほうはといえば入院中課題をこなしてはいるもののやはり芳しくなかったりする。

この状況について初めの頃は嘆いたものだったけれど、もうさすがに最近は諦めてしまっていた。

「シンジ、大丈夫?」
「ちょっと疲れただけだよ」

何とか自分の席にたどり着き、呼吸を整えていた僕を、アスカが心配そうに見ている。
退院してから、アスカは妙に僕に優しかった。
それが嫌なわけじゃない。
ただ、僕は彼女を怒らせてばかりいた気がするのに、この間までは避けられてすらいたようだったのに、こういう態度なのが不思議だった。

「ん?私の顔に何かついてる?」
「ううん、なんでもない」
「なによそれ、気になるじゃないの」

何気なく見つめていたのに気づいたけれど、なぜやさしくしてくれるのか、なんて聞く勇気は無かった。
理由はわからなくても、こうやって一緒にいられるのだから。
理由のわからないことで、彼女を不機嫌にしたくもない。

「本当になんでもないから。それよりちょっと早かったかな?」

今の不自由な状態で歩いて登校するために早めに出たのだけれど、少々余裕をみすぎたみたいだった。
外を見ればようやく騒がしくなり始めていて、この教室には僕とアスカだけ。
みんなが下校した後の静けさとはまた違う空気が不思議な感じだった。

そこへ僕たちに続く3人目が教室のドアを開けた。
色素の抜けた体、静かな足音。
間違えようも無い。
綾波さんだ。

「おはよう、碇さん」
「おはよう、綾波さん。いつもこんなに早いの?」

そういえば、朝からいるときは必ず彼女は先に席についていた。

「ええ、習慣だもの」

そっけなくそう答えた後、彼女が問い返してきた。

「碇さん、体の調子は、どう?」
「元気元気、ここまでちゃんと歩いてこれたし」
「そう……無理はしないで」
「うん、大丈夫」

綾波さんが心配してくれているのはいつものことだったけれど、初めの頃の彼女の様子を思い出して、ふと笑みが漏れる。

「どうしたの?」
「いや、ずいぶん変わったなと思って」
「……そう?」

怪訝な顔をしたままの彼女に、こちらも笑ったまま答える。

「うん、よくしゃべるようになったし」
「この程度でよくしゃべるように、って昔どんだけしゃべらなかったのよ?」

思わず突っ込まずにはいられなかったらしいアスカが横槍を入れてきた。
どれだけ、といわれてもまさしくまったくしゃべろうとはしなかったのだ。
まして自分から話し掛けてくるなど。
0から1になったとき、増加率はどう表現すればいいのだろうか?
彼女の問いかけに、僕は表情を苦笑交じりのそれに変えるくらいしか出来なかった。

「碇さん、おはよー」

そんなことをしているうちに洞木さんが入ってきた。
廊下も騒がしさを増し、多くの人が登校して来始めたようだ。

一瞬見えた綾波さんの顔にくすりと笑っているような表情を見つけて、僕は、やっぱりずいぶん変わったな、などと想っていた。



「碇さん、今度はどこ怪我したの?」
「今度は、って、酷いなあもう」

僕が毎回入院して、怪我をして帰ってくるというのはもういつものことだった。
退院したその日に何人かから囲まれるのもいつものこと。
そして、帰ってくるたびにまた何人かが疎開して、いなくなっている。それもいつものことだ。
僕が入院するということは、僕が使徒と戦ったということで、それはなにかしらが破壊され、人々がこの街を去る理由でもあった。
このクラスも、もう空いていない席のほうが少ないのだ。
使徒と戦うための要塞都市、第3新東京市。
戦えない人々は自然といなくなり、街はその規模に反して極端に人口が少なくなっていた。

無邪気に容態を尋ねてくる彼女達には曖昧に、大丈夫と答える。
問い詰められれば答えてしまうだろう。
下肢がまともに動かないことを。
そうでなくても、既に知っている人から聞いてしまえばばれてしまうだろう。

だけど、隠し切れないと、そう思っていても。
本当のことを言うのは躊躇われた。
そうするには、もう心が苦しすぎた。

僕を囲む輪の中に、真実を知っている子はいなかった。
知っている人たちの、気遣うような視線がつらかった。
どういえばいいかわからない、そんな戸惑いの視線が痛かった。
ただそれだけのことで、僕との距離が、絆が離れたような気がしてしまう。

だから僕はいえなかった。
温もりを知ってしまった僕は、器を満たされつつある僕は、その形を変えることが怖かった。

「ん、ふいとかないと」

何気無く動かした掌。
机にうっすらと積もった埃が、手にざらついた感触を残していた。



老教師がまたいつものセカンドインパクトの思い出話に入った。
それでまた私は先ほどの思考に舞い戻る。

――ずいぶん変わったね。

碇さんはそういっていた。

私は変わったのだろうか。
過去の自分を思い出す。
司令に従う自分。
LCLに浮かぶ自分。
エヴァに乗る自分。
記憶はある。

だけど何かが違う。
今の記憶と、過去の記憶。
彼女がいる記憶、彼女がいない記憶。

そして気がついた。

――色が、ない。

過去の記憶、そこは白と黒で構成された、モノクロの世界。
まるで自分の体と同じように、脱色され薄れた世界。
だけど彼女が、碇さんが、その世界を変えた。

記憶の中で彼女は強烈な色彩を放っていた。
その体が、その瞳が、その想いが。
彼女の喜び、悲しみ、怒り、微笑み、感情と呼ばれるそれらが、私の世界を彩る。
濃淡の中を染め上げ、犯していく。
事象しか残っていなかった記憶は、気がつけば人の感情までもを色付かせ、留めたものにかわっていた。

私は確かに変わったのだ。
少なくとも記憶が色づく程度には。
彼女を大切だと思える程度には。

人でありたいと、望む程度には。



「綾波さん、はい、これ」
「何?」

昼休みの教室で、隣に座る碇さんからひとつの包みを渡された。

「お弁当、よかったら食べてよ」
「ありがとう」
「気にしないで、あまっちゃったから作っただけだし」

彼女は私だけでなくアスカにも同じ包みを渡していた。
そして当然、自分の分も取り出す。

「朝ごはんだけじゃなくて、こんなもんまで先に作ってたわけ?」
「だって、この方が安上がりだし」
「その年で所帯じみてるのも哀れね……」

二人と、葛城三佐は昨日から一緒に暮している。
さすがに3人分も4人分も、手間は変わらないということだろうか。
彼女たちの問答を聞きながら、もらった弁当をあけてみる。
ご飯とかまぼこにブロッコリーと。
豚肉の生姜焼き。
メインであろうそれに顔をしかめた。
普段から粗食と栄養剤で過ごしているし、食事を重要と思っているわけじゃない。
しかしそれでも、好き嫌いというものはある。
特に肉類は、受け付けなかった。

「あれ、綾波さん、どうしたの?」

箸をつけようとしない私に気がついたのか、碇さんが尋ねてきた。
彼女の好意を無駄にはしたくなかったのだけれど。

「ごめんなさい。肉は苦手だから」
「あ、どうしよ、ごめん」

彼女は悪いわけではない。
知らなかったこと、教えていなかったこと、仕方ないことだ。
試しにひとかけら、その肉を口に含んでみる。
独特の油のにおいが広がり、吐き出しそうになるのを何とか飲み込んだ。

「ちょ、ちょっと、無理しないで」

相当に酷い顔をしたらしい。
だけど小さなかけらを飲み込んだというだけで、胃の中が重たい。

「ごめんなさい。やっぱり、食べられそうにないわ」
「いいってば。思い付きで持ってきちゃったのは僕のほうなんだし」
「あんたらお互いに気を使いすぎなのよ。食べないなら私がもらうわ」
「アスカ、食べ過ぎると太るよ?」
「その分動けばいーの」

そういいつつあっさりと私の弁当から肉だけを自分のほうに移してしまった。
その分がすっきりと空いてしまった弁当の中身は少々バランスが悪い。
と、そこへもう一度彼女の箸が伸びる。

「代わりにかまぼこあげるから。これは食べれるんでしょ?」
「……ええ」

何故だろう。
こんなたわいの無いやり取りが楽しいと感じてしまうのは。
他者など、私には必要なかったはずなのに。
このように思うこと自体が不要だったはずなのに。

碇さんが他人を求める気持ちが、少しわかった気がする。
一人では決して感じえないだろうこの感覚は、悪いものじゃないと思う。

すっかりかまぼこ弁当となってしまった私の弁当。
もらったそれを一口食べる。

「おいしい。……ありがとう」

この言葉を気負いなく使えている自分に、驚いた。