Migraine


第九話:心の距離は

発端


「アスカのシンクロ率、ようやく戻ってきたわね」
「そうね、でもまだ不安定よ」

この前の事件で大きく落ち込んでいた彼女のシンクロ率がようやく回復してきていた。
だが、ある程度以上から先、伸びてこない。
いや、それ以上伸びるのを拒否しているようだった。

「100%を超えることを無意識に拒絶しているのね」
「気持ちはわかるけどねえ……」

同情するように言うミサトを横目に、ほかのチルドレンの様子を見る。
ここのところ、レイのシンクロ率も不安定だ。
悪くなっているわけではないが、以前と比べると上下が激しい。
どちらかというと以前が安定しすぎていたのだろうけれども。

そして、いつまでたっても解決しない目下の問題。

「……だめね、下がってくれないわ」

われわれ技術部の妨害工作もむなしく、シンジさんのシンクロ率は上昇を続けていた。
本来なら相当鈍いリンクしかできない程度のプロテクトをかけているというのに、あっさりとシンクロしてしまう。
もともとの彼女の資質もあるだろうが、これはそれだけで説明できるものじゃない。
やはり、初号機が積極的に彼女とシンクロしようとしているとしか考えられない。
そう、まるで彼女を取り込もうとしているかのように。

「タンデムプラグの完成品、まだ出来ないわけ?」
「前回の戦闘データのおかげで目処は立ったけど、問題はほかにあるわ」
「なによ?」

そう訊ねる彼女のほうを、今度は真っ直ぐ見据える。

「わかっているでしょう?現状ではコパイロットがいないということ」
「それは……」
「作戦指揮を取るべきあなたは本来乗り込むべきではないし、なによりチルドレンたる資格なしにはシンクロ率をコントロールすることもできないわ」

皮肉にも、前回彼女が乗り込んだデータがそれを証明していた。
拒絶し、距離を保つことを知っている大人ではだめなのだ。
それでは突き放すことしかできない。

「予備チルドレンの選出を催促するしか無いかしら」
「できるだけ急がせて。いつくるかわからないんだから」

何が、とは愚問だろう。
今のところある程度の間隔をあけて襲来しているが、次にいつ使徒が来るか、正確に予測するのは不可能だった。
けれどもある事実が少々気を重くする。
いまだミサトは知りえず、深く関ってしまっている私は知っている事実。

――それが、彼女にとって良いことと言えるのかしら?

柄にも無いことを考えつつ、テストを終了し退出する彼女らを何とはなしに眺めていた。



「赤木博士、よろしいですか?」
「なにかしら?」

シンクロテストの終了後、意外な人物が私を引き止めた。
綾波レイである。
最近、彼女はまともな感情を表現するようになってきていた。
不要なものとして切り捨てていたはずの、切り捨てさせていたはずの行為。
それがどうだ。
今もまた、戸惑いという感情を露わにしている。

「どうしたの?早く言いなさい」
「……あの、碇さんと」

そこでまた言いよどむが、その言葉だけで何を言いたいのか、予測がついてしまった。

「私も、碇さんと一緒に住むことは出来ませんか?」

やはりそうか。
今までのレイの行動からすれば、その考えにいたっても不思議ではないのだ。
セカンドチルドレンが同居し始めたことで強く意識するようになったのだろう。

「……だめよ、わかっているでしょう」
「……はい」

少し考えた後、私は彼女の要望を却下した。
諭すような言い方になったが、なんのことはない。
本当のところは私自身が恐れたからだ。
レイがこれ以上人に近づいてしまうのを。
彼女が今以上に予測できない存在となってしまうのを。

だがこうも思うのだ。
もしレイが自分の判断を優先し、人として生きるようになるならばと。

――そうすれば、碇司令はレイを捨てるだろうか?

女としての私はそんな希望的な打算をしてもいたのだ。
まったく、ロジックではないのだ、男と女というものは。

肩を落とし退出するレイを見つつ、こう付け足す。

「そして、人の心も、ね」

こっそりと呟いていた。



「ふぅ、疲れるなあ」

休憩所の備え付けのベンチに座りながら、思わず息を吐いた。
シンクロテスト自体が、では無い。
確かにあれは精神的に疲れるけれど、問題は終わった後だった。

錯覚が残るのだ。
シンクロしたときのエヴァの体の、有り得ない感覚が。
失われて久しい左足で踏みしめる重さが。
右足が思い通りに動かせる感覚が。
軽々と持ち上げられる右腕の感触が。
二度と戻らないはずのそれらがシンクロを解いた後もまだ残っているような感覚が、僕にもどかしい思いをさせていた。

「やあ、お疲れ様、お嬢さん」
「あ、こんにちわ」

そんなところへやってきたのは、加持さんだった。
ネルフ指定の制服をきているけれど、いつも通りの無精髭に緊張感を感じさせない笑顔。

「ジュースでも奢るよ、どれがいい?」
「そんな、別にいいですよ」

そういって自動販売機に近づいていく彼を慌てて引きとめようとして。

――あ、まずい。

そう思ったときには遅かった。
反射的に立ち上がろうとした体は、でも左足を置き去りにして、僕は妙な体勢で椅子からずり落ちるように倒れていた。
ずいぶん慣れたと思っていても、シンクロテストの後はこうなってしまう。
無意識に昔と同じ動きをしてしまう。

一度バランスを崩せば、立て直すことなど出来ない。
体を硬くして、襲ってくるであろう痛みと衝撃に備える。
だけど思ったような痛さはやってこなくて。

「おいおい、大丈夫かい?」

加持さんが、片腕で僕が倒れるのを防いでくれていた。
片手とはいえ、よくも間に合ったものだ。
おかげで支えられたところが少し痛いけれど、事なきを得た。

「あ、ありがとう、ございます」
「その体で無理をするもんじゃないぞ」
「わかってはいるんですけど……つい」

いつになったら、この体に慣れることができるだろうか。
受け入れるしかなくても、はやりどこかでそれを拒否しているのかもしれない。

「……そうか、すまなかったな」

察してくれたのだろうか、そういいながら僕を座りなおさせてくれた。

「まあ奢らせてくれ、な?」
「……はい」

今度はさすがに止める気にはならず、素直に従うことにしたのだった。



「そういえば、君は明日はどうするんだい?」
「明日?なにかあるんですか?」

奢ってもらったココアの缶を両手で持ちつつ、聞き返した。
今は加持さんも隣に座っていて、少し雑談をした後のことだった。

「……うーん、もしかして何も聞いていないのかい?」

すると彼は少し難しそうな顔をして、頭を掻きつつ、そう言って来た。

「ええ、そういえば明日はお休みみたいですけど」
「君達だけじゃないさ。大部分のネルフの職員は明日は休みになっているはずさ」
「……何かの記念日とかですか?」
「まあ、似たようなものだな」

少し困ったような様子でそんな受け答えをしていたのだけれど。
そこで会話が切れて。
加持さんが、珍しくとても真剣な目でこちらを見てきた。

「……君には真実を知る権利があると、俺は思っている」
「え?」
「大部分のネルフの人間よりも、君にとって大事な日だろう」

突然、要領を得ない、しかし力強い口調で、何を言われているのか。

「しかしそれが君にとっていいことであるかは俺にはわからない」

それは、どういう意味なのか。

「だからこうしよう。もし本当に知りたければ、碇司令か、周りの人間に聞いてみればいい」
「あの、それって」
「知りたくなければ、それもいいだろう。君が選べばいい。どうするのか」

しばらく、そのまましっかりとこちらを見据えられた。
お父さんの名前が出てくるということは、きっと僕の過去について。
僕にも、お父さんにも大事なことが、なにかあったのだ。
そしてそれが悲しいことであろうことも想像がついた。

僕の過去。
記憶をなくして、それは切望していたもの。
どんなにつらいことでも、求めてやまないものだった。
だけど。

何時からだろうか。
僕が、過去を顧みなくなったのは。
過去を、見ようとしなくなったのは。

今、僕はこの第3新東京市で、僕として生きていた。
ここでの数ヶ月が、今の僕そのものだった。

――ああ、この人は、気付いているんだ。

昔の僕は何も無かった。だから過去を求めた。
今の僕は満たされていた。だから過去が怖かった。

知ってしまうと、自分が自分でなくなりそうで。
思い出せば、僕が消えてしまいそうで。
それでも真実を知る覚悟があるのかと、そう問われているのだ。

彼の強い、無言の問いかけに、僕は視線を泳がせて、一度目を閉じた。
そして、もう一度、今度はまっすぐと見つめ返した。

「……そうか、強いな、君は」
「そんなこと、ありません」

もう逃げないと決めていた。
どんなことでも、逃げない。
その決意に従っただけなのかもしれない。
そう、逃げるという選択肢から、逃げているだけなのかもしれないのだから。

こちらを見ていた視線が、ふっと緩んだ。
そして、おもむろに立ち上がった加持さん。

「すまなかったな、変な話をしてしまって」
「いえ……」
「悪いけど、俺は大多数のネルフの職員に含まれなかったほうでね、これからちょいと野暮用なのさ」
「出張ですか?」
「ま、そんなところかな」

いつもの飄々とした雰囲気に戻った彼は、軽くウインクをして。

「帰ったら、君がどうしたのか教えてもらいたいな。できれば、なにがあったかも、な」
「……想像ついてるくせに」
「ははは、それじゃ、またな」

そういって立ち去っていった。



「シンジ、待った?」
「ん、ちょっとね。でも、加持さんにおごってもらっちゃった」
「えぇ!いたの?加持さん」

訓練を終えたアスカがやってきた。
僕と比べて、彼女の訓練プログラムは長く、より内容も多かった。
それは僕の体があまり強くないのもあるけれど、彼女自身が望んだことだとも言う。
自ら高いレベルの訓練を受けようという彼女に、僕は素直に感心していた。

「いいなあ、最近忙しいのか、ぜんぜん連絡取れないのよね」
「そうなんだ。今日もこれから出張らしいよ」
「ちぇ。ねえ、何話してたの?」
「うーん、いろいろ。明日の休み、どうするのかとか」

そう答えると、今まで不満たらたらという感じで話していた彼女が、こちらを思いっきりジト目で見てきた。

「……まさか、デートに誘われたとか言わないでしょうね?」
「そ、そんなわけないじゃない。大体出張だって言ったでしょ」
「それもそうか。そもそも加持さんがあんたを相手するとも思えないしねえ」
「……そういわれるとちょっと複雑な気分なんだけど」

誘われたいと思っているわけじゃないけど、誘われないといわれるのは少々悲しい、そんな心境だ。
それにしても、アスカはあの人のどこに惹かれているのだろうか。
先ほど見た加持さんの真剣な表情。
雲をつかむかのような普段の態度とはうって変わって、心の奥底まで見透かされているような、恐ろしく静かで、まっすぐな視線だった。

アスカがすきなのは、普段の雰囲気の彼なのか。
それとも、垣間見せたもうひとつの顔のほうなのか。

「なに?深刻な顔しちゃって」

ずいぶんと考え込んでしまっていたのか。
いや、それだけじゃない。
それと同時に、僕は覚悟を決めていた。
真実を知る覚悟を。

「ん、なんでもない。僕、ちょっとほかにも用事があるから」
「なに?ついていこうか?」
「一人で大丈夫だから。先帰ってて」

そういって立ち上がり、アスカとは別方向へ歩き出す。
いまだ知らない自分の過去を、彼女に知られるのは怖かった。
できた覚悟なんて、その程度のもの。
それでも。

僕は、知らなければならない、そんな気がしていた。



「それで、私のところへ来たというわけかね」

自分の執務室に直接たずねてきた珍しい客人。
それがサードチルドレン、碇シンジだとわかったとき、なぜかおれは彼女を招きいれていた。

――しかしあの男、この子を直接けしかけてくるとはな。

加持リョウジ。
有能だが、非常に特殊かつ複雑な立場にある人物だ。
利用価値はあるために好きに泳がせていたが、彼女をつかってくるとは。

「はい。……明日はいったい、何があるんですか?」

そう尋ねる彼女をまじまじと観察する。
緊張しているのか、表情は硬く、声も少し上ずり気味だ。
華奢な体つきの小柄な子である。
映像ではよくみているが、こうやって二人きりで直に会うのは初めてかもしれない。
まだまだ未成熟で、短く切り詰めた黒髪もあっていかにも年相応か、それ以下の少女の雰囲気だが、その整った顔立ちは将来美人になるであろうと思わせるに十分なものだ。

――ふむ、やはり似てきたな。

彼女にとって幸いというべきだろうか、その容姿に関して父親より母親のそれを多く受け継いでいるようだ。
輪郭や口元など、碇ユイを思い出させるところが幾つもある。
様子をうかがうようにしている色の異なる双眸は、常に自信をたたえていた彼女とは異なるが、しかしそのひたむきさは、やはり同じ物を感じさせた。

「……とりあえず、掛けたまえ」
「あ、ど、どうも」

最近、今もそうであるが、彼女は私服の時ロングのスカートをはいていることが多いようだ。
それが、女らしくなどという発想からではないことはすぐに察せられる。
少しでも隠したいのだ、その足の異常を、つけている装具を。
目立ちはしないが服の右肩の部分もボタン止めにしてある。
そのような服なのか、本人があつらえたのかは知らないが、サポーターをつけ、動きの制限された状態でも何とか普通でいようとする努力なのだろう。
右の瞳の色も含めて、そのすべてがエヴァでの戦闘による負傷といっていい。

こんな子供を、しかもユイ君の娘を、生き残るために、計画のために、戦わせて、そしてそのたびに彼女は壊れてゆく。
この行いをユイ君が知れば、おそらく許してはもらえまい。
いや、もしかしたらとっくに知っているかもしれない。
それでも計画を進めている自分たちが、少々馬鹿らしくなる。

「あの……」
「ああ、そうだったね」

さて、どうするか。
そもそも、明日のことをこの子が知らない、というそのこと自体が一つのアクシデントだ。
エヴァに乗る、チルドレンたる資格あるものとして作為的に育てられたはずの彼女が、使徒との戦いの直前に記憶を失うなど誰が予想しただろうか。

――まあ、支障はあるまいて。

少なくとも、彼女がエヴァに乗ることにおいて問題は出ないだろう。

「実は、明日は君の母上の命日にあたるのだよ」
「お母さんの、ですか?」
「そうだ、何も聞かされていないかね?」
「……はい」

そう小さく答え、暗くなる彼女。
こんな所業をしている自分にも多少罪悪感でもあるのか、それともやはり彼女がユイ君の娘だからだろうか。
少しくらいは話をしてやっても良い気になった。

「君の母上の碇ユイ君は、もともとは私の研究室の学生でね」
「え?」

突然昔話をはじめた私に驚いたような顔を向けてきた。

「ふふ、これでも昔は大学で教鞭をとっていたのだよ」
「じゃあ、学者さんだったんですか?」
「変わり者扱いだったがな」

形而上生物学などという物の研究をしていたのだから当たり前といえば当たり前か。
そしてそんなところにわざわざやってきたユイ君も相当なものだったのだろうが。

「碇の奴と知り合ったのも大学だよ」
「じゃあもしかして、二人が出会ったのって冬月副司令が?」
「ふん、私は話のだしに使われただけだと思うがね。ま、そんなことはいい」

後々はともかく、碇の奴がはじめにおれに近づいたのはユイ君とのつながりを手に入れたかったのだと、今でもそう考えているが、そんな話はする必要も無いし、したくもなかった。

「ユイ君は聡明な子でね。彼女の論文は独創的かつ素晴らしいものだった」
「すごかったんですね、お母さんって」
「ああ。エヴァの基礎理論も彼女の功績が大きいのだよ」
「じゃあお母さんもネルフに?」
「その前身の組織で働いていた。だが不幸な事故によって彼女は消えてしまった……」

そして、この子もそれを見ていたはずなのだが。
思えば、ユイ君が消えてしまったあの時から、この娘は不幸な人生を設定されてしまったのだ。
それも実の父親の手によって。
そうして、すべてを切り捨て、非情になってまで計画を進めている男。

――まあ、おれも同罪だがな。しかし、それにしても……

最近の碇は少々おかしい。
所々の判断と行動にずれが見えるのだ。

先ほどの話で、少し悲しそうな顔をしている奴の娘を見やる。

――まさかいまさら迷っているわけではあるまいな。

ひとたび立ち止まれば、ゼーレの老人どものいいようにされるだけだ。
ここらで、奴の本心を引き出しておいても良いかもしれないな。

「ふむ。せっかくだ。君も墓参りにくるといい」
「お母さんの、ですか?」
「そうだ。墓地までは私が送ってあげよう」

わざわざけしかけてきてくれたのだ、おれも乗るとしよう。
どう転ぶかまるでわからんが、結果など些細なことだ。
所詮道楽のような余生、せいぜい主役には踊ってもらわんと、な。