Migraine



「ただいま」
「お帰り、シンジ、用事ってなんだったの?」

その日の夜、家に着くとアスカが早速訊ねてきた。
だけどその質問に、一瞬戸惑ってしまう。
冬月副司令が教えてくれたこと。
加持さんの深刻そうな言い方の割にはある意味真っ当なものだったけれど。

「明日ね……」
「ん、何?」

どうしても暗くなってしまう僕の声に、アスカの声のトーンも少し下がる。

「明日、お母さんの、命日なんだって」

そう、明日は僕のお母さんが亡くなった日だと、そう教えられた。
僕がまだ小さいころに、実験中の事故で死んでしまったのだという。
どんな人だったのだろうか。
名前は碇ユイというらしい、これも今日はじめて知ったこと。
とてもすごい学者さんだったということだけれど。
もしかしたらリツコさんのような人だったのだろうか。
僕の家族だった人の話なのに、僕は本当に何も知らなかった。
何も覚えていなかった。

「それでね、明日は、お墓参りに行ってくるんだ」
「ふーん」
「冬月副司令がね、連れて行ってくれるって」
「あの爺さんがねえ」

アスカの言い方に苦笑したけれど、僕だって今日まではあの人のことはその程度の認識しかしていなかった。
副司令と言うのだから偉い人なのはわかっていたけれど、大学で教授をやっていたとか、お父さんとの関係だとか、今日少し話しただけでこの人の印象は変わっていた。
そもそも僕は、他人のことを詳しく訊ねたりしたことはほとんどなかった。
それはきっと僕自身が過去を持っていないから。
同じ質問が自分に帰ってくるのが怖かったから。

「アスカのお母さんは……どんな人なの?」

けれど。
今このときだけは、知りたいと思う心が勝っていたのだろう。
気がつけばそんなことを聞いていた。

「私のママもしんじゃったわ」
「あ、ごめん」

彼女の言葉に僕は反射的に謝っていたのだけれど。
そんなことを聞いてしまったのを激しく後悔していた。

「いいわよ。あんただって似たようなもんなんだし」
「でも……」

境遇が同じだからといって、気にしなくていいことではないと思うのだけれど。
けれど次の彼女の一言が、僕を別の思考に誘った。

「それに、わたしは、一人でもやっていける」

そういう彼女は、いつもの自信に満ちた雰囲気ではなかった。
ただ、そう信じようとする頑なな決意にその瞳はとらわれているようだった。

たまに思う事がある。
アスカは、ただ格好良い人じゃないのじゃないかと。
格好良く生きようとしている人なのではないかと。
それはすごいことだけれど、とても疲れるのじゃないかと。
もちろん、そんなことを彼女に言うことなどできはしないのだけれど。



「じゃあ、明日はやっぱ私が行くしかないかなあ」
「え?何の話?」

唐突に彼女がそんなことを言うので、思わず聞き返した。

「ヒカリからね、デートの相手してやってくれって頼まれちゃってて」
「あんまり乗り気しないから、暇なら押し付けちゃおうかなあ、とか思ってたんだけど」
「酷いなあ……って、そもそも僕だってそんなの行きたくないよ」
「やっぱり?どうせだから二人で行って奢らせようかとかも思ったんだけどねー」
「……本当に酷いなあ……」

はっきりと物をいう態度が気に入ったのだろうか、意外にもアスカと洞木さんは親友と呼べる間柄らしい。
そしてこれも意外であるが、アスカは約束事にはそこそこ律儀であるのだった。
もっとも、今の彼女の態度が律儀といえるかははなはだ疑問だけれど。

「そういえば、ミサトさんも明日は結婚式だとか言ってたっけ」
「それじゃ、明日は全員ばらばらにお出かけかあ」

そういいながらアスカは小部屋へと入って、ごそごそとなにやらやっている。
この部屋はもともと物置のようなものだったが、アスカが引っ越してきてからはそのスペースのほとんどが彼女の私物で占められていた。

「どれを着ていこうかなあ」
「あんまり気乗りしないんでしょ?」
「そうだけどね、私の格を下げる訳にもいかないじゃない?」

そういいながらクローゼットの一画で物色を続けている。
しかし普通の女の子というのは、これほどの服を持っているものなのだろうか。
僕なんかは部屋に備え付けの棚だけで十分だというのに。

「あんたは明日どんなの着ていくつもり?」

まだ服選びを続けながら、アスカが聞いてきた。

「せっかくだから良いの着ていきなさいよ」
「……お墓参りなんだし、そう言うのはちょっと……」

わざわざ着飾っていく場ではないと思う。
亡くなった人に会いにいく場なのは確かなのだろうけれど。

「じゃ、なに着ていくの?」
「普通に制服でいいんじゃないかな、喪服なんて持ってないし」

そう答えたのだけれど、彼女は納得しなかったらしい。

「うーん……じゃ、私の貸してあげるわ」
「え、そんな。いいよ」
「なにいってんのよ。……黒けりゃいいでしょ、ほら、これ」

そういって渡されたのは黒を基調とした落ち着いた雰囲気の一着だった。
生地の感じやつくりから相当に高いものだとわかる。
少なくとも自分の持っている服のどれよりも高いのは確かだと思えた。

「だ、だめだよ、こんな高そうなの。もし汚しちゃったりしたら……」
「だからあんたはいつも気にしすぎなのよ。そんときは洗えばいいだけじゃないの」
「でも……」
「ほらまた。そんなに気になるなら、あんたにあげてもいいのよ、その服」
「ええ!?それこそだめだよ!」

必死になって止めたのでこの服が僕のものになることは無かったけれど、どうやら明日着ていく服には決まってしまったようだった。



次の日の朝。

「アスカ、どこかへんなところ、無い?」
「……うん、大丈夫。どっからみても完璧よ」

結局、僕はあの服を着ている。
僕よりも大きいアスカの服だったけれど、見た目にはそれほど問題ないようだった。
着替えるときにはアスカが手伝ってくれた。
思うとおりに動かせない僕の代わりに、そっと袖を通してくれた。
本当にアスカには世話になりっぱなしだ。
そのことを申し訳なく思っていると、彼女はすぐにこういうのだ。
「その体で家事をこなしてるあんたのほうがよっぽど大変でしょ」などと。

確かに大変だったけれど、僕にとってそれは今までどおりでいたいという願望、僕のわがままだった。
だからそれをひきあいに出されるのは何か違うと思うのだけれど。
僕はこの人ほど強くは無くて、それで結局、反論なんてできないのだった。

「あら、ずいぶんかわいくなったじゃない」
「あ、ミサトさん。そっちも似合ってますよ」

今日のために新しく買ったというドレスは普段よりはるかに彼女の大人の魅力を引き立てていた。
強調された胸を見ると、自分もいつかああいう感じになるのかなど思うのだけれど、将来の自分がグラマラスになっている想像などは失敗に終わることになった。
自分で言うのもなんだけれど、そこがそんなに成長するとは思えないのだから。

「あ、ミサト、その香水私にも貸してよ」
「だめ、子供にはまだ早いわ」
「なによー、これからデートなんだからいいでしょ?」

そんなことを言っているアスカも散々選んだ後に決めた緑色のワンピースを着ている。
女性的な曲線を見せている彼女は、やっぱり同じ年齢とは思えなかった。
すばらしいプロポーションの二人と暮していると、気にしていないといってもやっぱりコンプレックスを感じてしまう時があるのだ。

「それじゃ、いってきます」

普段よりすこし浮き足立って、玄関を出て行く僕たちを、ペンペンが見送ってくれていた。
一階で、ミサトさんは駐車場へ、アスカは駅のほうへ。
そして僕は、目の前に止まっている黒いネルフの公用車へ。
冬月副司令が、既に迎えに来てくれていた。


第九話:心の距離は

家族



「何故、ここにいる?」

思わず、そう訊ねてしまった。

「私とて、ユイ君の墓参りくらいしても良かろう?」
「そうではない。何故つれてきた?」

冬月のことではない。
その隣に立っている人物のことだ。

碇シンジ。

私の娘が、そこにいた。

「自分の母親の命日だろう。問題あるまい?」
「……」

そう答える冬月の隣で、シンジは不安そうな顔でこちらをうかがっている。
プライベートでこのように会うのは、久々だった。
当然だ。元々わざと遠ざけてきたのだから。
冬月もそれはわかっているはずだし、今日の私の予定も知っているはずだ。
つまり。

――わざと、連れてきたのか?

そういうことになる。
冬月は私の計画を知っている数少ない賛同者であるが、盲目的に従うだけの能の無い男ではない。
今でこそ物静かに見えはするものの、実際は行動力の伴う辣腕家だ。
私自身よりはまともな人付き合いというものができる男でもある。
野心と策謀以外の面において、彼は押し並べて私より有能といえるのだ。
そんな人物のこの行動の意味するところ。

――私を試しているということか。

やはり、見透かされているのか。
私の内面の葛藤を。
碇シンジという存在が私の心を揺さぶっていることを。

「あの、お父さん……」

わかっている。
シンジを遠ざけたのは、計画のためだけではない。
自分自身が折れてしまいそうだったからでもあるのだ。

この子は外見はユイに似てきていた。
だがユイとは違う。
レイのように、近すぎる物ではない。
だからこそ私は迷う。
これが私とユイの子であるという証明のようなものなのだから。

そして内面、この子の精神的なものこそが大いに問題だった。
自ら疎んじ、遠ざけて育てた存在。
私を恐れ、しかし愛情に飢えて育つようしむけていた。
そのような心の欠損はエヴァに乗るための条件であり、そしてまた私に近づくことを拒絶する、絶好の理由でもあった。

ここにシンジを呼んだとき、既に覚悟は出来ていた。
恐れられることも、憎まれることも。
どのように責められようとも、私の決意は揺るがないはずだった。

だが、ただ一つの出来事が、すべてを覆してしまった。
事故によりすべての記憶を失い、すべてが狂った。

その事実は、私を動揺させた。
シンジが私に向けてきた視線は、恐怖でも戸惑いでもなかった。
知らない他人を見る瞳。
この子は、私が父であるということも含め、本当にすべてを忘れてしまっていた。
そして、私が父だとわかった後の彼女が私に向ける視線は、やはり期待していたものとは異なっていた。
憎しみも恐れもない、ただ戸惑いのみが含まれたもの。
その純粋な視線は常に私を射抜き、逸らされることは無かった。
その色違いの瞳で見つめられるたびに、私が築き上げてきたはずの城壁はあっさりと崩れ去っていくのだ。

正直に言おう。
私は怖かった。
この感覚が自分を狂わせていくのが。
すべての歯車がかみ合わなくなっていくのが。
ともすれば目的を違えそうになる自分自身が。

「あの、お花、お供えしてもいいですか?」
「……ああ」

そう答えると、シンジは墓のほうへ歩み寄っていく。
左足が動かないせいでいかにも不安定な動きだが、ゆっくりとそちらへ移動していく。
その黒でそろえられた服は小柄なシンジの落ち着いた、しかし儚げな美しさを引き出している。
もう何年かすれば、美しく育つであろう、そんなことを考えている自分がいた。
それに気がつき、詮無きことと自嘲しかかった。
だがその瞬間、私の目に映った光景はそんな思考をする余裕を無くさせていた。
躓いたのか、それともどこか引っかかったのだろうか。
シンジは明らかにバランスを崩していた。
その時にはすでに、反射的に体が動いていた。

サングラスが外れ落ちていた。



我が子とこのように触れ合ったのはいつ以来だろうか。
少なくともユイが消えてからは記憶に無かったことだ。

「……無理をするな」
「あ、ありがとうございます」

彼女の返答は、まだ私がこの子にとって他人である証だ。
そして私にとってもシンジは他人であるべきだった。他人であるはずだった。
だがそう強く否定すればするほど、これが自分の子であるということがより大きく認識されるようだった。

「あ、お花が……」

思わず手放したのであろう、地面に放り出された花束は、少々散ってしまっていた。
だが今はそんなものはどうでもよかった。
先ほどまで、私は何を見ていたのか。
この子を観察していたようで、その実視線が合うのを避けていたのだ。
だから今までその表情すら見てはいなかった。
だから今この距離で、ようやく気がついたのだ。
シンジが無理をしているであろうことに。
隠そうとしても隠し切れない、つらそうに顔をしかめる瞬間に。

「冬月、貴様気がついていただろう?」
「さてね、私は彼女の意志を優先しただけだよ」

そもそもここまでどうやってきたのか、考えればわかりそうなことだ。
この広い共同墓地、駐車場からきたとしてもかなりの距離を歩かねばならない。
完全に整備されているとはいえない土地を、不自由な足で歩きつづけ、今まで休むこともせず立っていたのだ。
本来なら車椅子でも使ったほうがよほど楽だろうに。

「……少し座って休め」
「大丈夫です、これくらいなら」
「大丈夫なわけが無かろう」

いまだ私に支えられたまま、立てずにいるというのに。

「でも、この服も借り物だし、地面に座るのはちょっと……」

自分の体よりそんなことが先に立つか。
このあたりはある意味予想された性格のままなのだがな。
だがこのままというわけにもいかない。
仕方なく、ポケットからハンカチを取り出して地面に広げる。

「これでいいだろう。無いよりはましだ」
「え、でも……」
「さっさと腰をおろせ」

そういいながら、強引に座らせる。
まったく、私は何をしているのだろうか。
ふと見れば、冬月が必死で笑いをこらえている。

「……冬月」
「ククッ、いや、気にするな。まったく、おまえも人の子だな」

幼少の頃のすべてを捨てさせ、あまつさえ名前すら捨てさせ、切り離してきたはずだというのに、しかし完全に他人となることを恐れていたのはほかならぬ私自身だった。
私にもこの子との絆が必要だったのだ。
他人行儀な親しみの念などではない。
怒りでも、憎しみでもいい、生々しくぶつけられる情念さえあればそれでよかった。
それらがあったからこそ、私は親としての自分に背くことが出来たのだ。
私は結局、これの親であることを捨てることは出来なかった。

――未だに愛していると、わかってはいるのだがな。

座らせたシンジの隣に、私もそのまま座り込む。
今回は冬月に見事に嵌められたようだった。

「私に気を使うことはない。実際、親らしいことは何もしてこなかったのだからな」
「そう言うことはわかりません。でも、お父さんなんでしょう?」
「ああ。だが、おまえを他所に預け遠ざけたのも、おまえから母親を奪ったのも、私だ」

いまさら、言い訳じみたことを語っている。
納得させたいのではなく、納得したいだけなのだが。

「お母さんは実験中の事故だったって……」
「実験の責任者は私だ。安全に疑問の残る実験を止めなかった責は私にある」
「でも、そうなるなんて予想は……」
「なんにせよ自分の妻を実験台にした事実は変わらない」

彼女の肉体が消えうせた時、その事実を突きつけられた。
例えどれほど強く要望されようとも、それを認め、行ったのは私だったのだから。

――そして、娘を決戦兵器などに乗せているのもな。

少なくとも、世の中の親のうちで、悪い側から数えたほうが早い人間なのは確かだ。

「こんな男を、親と慕わなくていい。おまえはもう親など必要ないだろう?」
「……やっぱり、わかりません。でも」
「わざわざ、他人だなんて思いたくはありません」

歪みの無い、だがまだ一歩踏み込めていない、そんなむず痒さ。
私のほうから踏み込めば、この子は答えてくれるだろうか。

――何を馬鹿な。

今の人は、決して分かり合えることなど無いはずではないか。
たとえ親と子に戻れたとしても、それに何の意味がある。

「そういえば、はじめてみました。サングラスを外した素顔」
「……そうか」

そういえば、人前では久しく外していなかった。
私は感情を殺せていただろうか。

遠くから、しかしすぐに轟音となって、VTOL機がすぐ横に着陸しようとしていた。

「時間だ」
「はい。……あの」
「なんだ?」
「また、お話できますか?」

なんと答えるべきか。
私には否定も、肯定も出来なかった。
しばしの間、耳障りなエンジン音だけが世界を支配した。

「ふむ、もう少し時間をあげようか」
「え?」

冬月め、今度は何を言い出す気だ。

「半病人を置いていく気かね?乗せるスペースくらいあるだろう」
「……冬月、送っていけというのか?」
「なに、私も便乗したくてね。少々用事も出来たようだしな」
「……仕方ないな」

驚いたような顔をしたままのシンジに、手を差し出し、無言で肩を貸す。
この場はどうやら完全に私の負けのようだ。
どうするのか、考えなければならない。
止まることは出来ない。
だがこのまま進められるのか。
既に修正は容易ではない。

もう、時間はあまり残されてはいないのだから。



「お帰り、ミサト……と、加持さん?」
「よう、アスカ。葛城がみてのとおりなんでな」
「へっへー、ただいまー」

おちゃらけた調子の声で、酔っ払った風を装う。
いや、もちろん酔っ払ってはいるのだけれど。
アスカは人間関係には聡い。
私と加持君の間で何かあったと気付かれるのも時間の問題だろうけれど。

結婚式の帰り、飲み屋を梯子して大いに酔っ払った勢いに任せて、私は加持君に苛立ちをぶつけ、思いをぶちまけ、縋った。
そんな私でも、加持君は受け入れてくれた。

少し違うか。
受け入れてくれるとわかっていながら、嫌われようとしたのかもしれない。
加持君に父の影を見て逃げ出して、加持君に父を求める。
私はあの頃と変われていない。

「あれ?シンちゃんは?」
「ん、もう寝てる。ちょっと痛むんだって」
「そっか、じゃあ起こしちゃ悪いわね」

加持君に肩を借りながらも、自室へとそっと移動する。
シンちゃんは母親の墓参りだといっていた。
あの碇司令と会ったのだろうか。
記憶を失い、家族という枷すら失った彼女は、なくしてしまった絆を求めつづけている。
父親を失い、けれどその呪縛から逃れられない私と、真逆の境遇といえるのか。

「ああ、もうだめ、おやすみい……」
「だらしないわねえ」

そのままばたりと万年床へ。
フラフラの体とは裏腹に、頭の芯にはどこか冷め切って状況を見ている自分がいた。

「加持さんも泊まっていけばいいのに」
「おいおい、この格好で出勤したら笑われちまうよ」

とじられた襖の向こうから、アスカの甘えるような声が聞こえている。

――憧れの人、か。

現実には、私も加持君も大人といわれる人間に属していて、そちら側の世界の私たちをアスカは想像でしか知らない。
そういった面を知った時、彼女は幻滅するだろうか。

「えー、大丈夫よ、ねえ、加持さんったら……」

縋りつくような声が、突然小さくなった。
もしかして、もう気付かれてしまったのだろうか。
ふと、今朝の会話を思い出した。

――アスカ、私の香水知ってたっけ。

本当にだめだな、私。
ごまかすことも出来ないなんて。

二日酔いへの確かな予兆を感じながら、私は意識の瞼を閉じた。



まだ誰も起きてきていない早朝。
ようやく明るくなり始めた中、いつもより少し早いけど朝の支度。
お弁当は四人分、綾波さんの分はお肉抜きで。
お味噌汁の味は……うん、いい感じ。

そうこうしているうちに目覚し時計がなる音が聞こえてきて、しばらくすると叩きつけるような音が。
アスカが目を覚ましたんだろう。
もう一つ、少し遅れてなり始めた電子音はまだ止まらない。
ミサトさん、起きてこれるのかな?

「シンジ、おはよー。あんた今日も早いわねえ」
「昨日早く寝ちゃったから、目が醒めちゃって」
「いつも私より早いじゃない。足、だいじょぶ?」
「ん、薬ももらってるから」

そんなことを言いながら、アスカも台所へ。
作るのは僕で、運ぶのはアスカ、そんな分担が何時の間にか出来ていた。
そして準備が終わる頃にはミサトさんが起きて……うわ、酷い顔。

「シンちゃ〜ん、二日酔いの薬おねがーい」

普段アルコールを水と勘違いしてるかのように飲んでいる彼女が二日酔いなど、どれだけ飲んできたのだろうか。

「そんなの自分で取りなさいよ!」

だらしの無いミサトさんに、アスカの檄が飛ぶ。
それもいつものことだけれど、今日は少々アスカの調子がきつい気がする。
でもまあ、ミサトさんがあれじゃあ仕方ないか。

「あー、味噌汁が体にしみわたるわあ」
「ミサトも婆ね」
「まだ二十代よ、失礼な!」

アスカは妙に棘があって、ミサトさんはどうにもこうにもフラフラで、僕もちょっと調子は悪いけれど、いつもどおりの平日の朝。
戦闘の無い、ささやかで平凡な日常。
賑やかな二人に相槌を打って、ペンペンがそれを見つめている。
振り返る気にもならない、取り留めの無い時間、だけどとても大切な時間。
何とか築き上げてきた、何とか守り通してきた世界。

「いってきます」

全員の声が重なって、いつもの一日が始まった。