Migraine



なんだろう。
この間から少し気分が優れないとは思っていたのだけれど。
今日は朝から酷く調子が悪い。
体はだるい上におなかは痛むし、起き上がろうとしたら眩暈がする。

「あれ?大丈夫、シンジ?」

などと鬱陶しい目覚ましの音と一緒に起きてきたアスカが言うのだけれど。
……ああ、もうそんな時間か。
起きて、朝ご飯作らないと。

「……なんか、体がだるくて……」

どうにも起きる気力が出ない。
でも起きないと、二人ともまともなもの作れないし……。

「あんたが起きてこないなんて珍しいわね、相当酷い?」
「うー、風邪でも引いちゃった、かな」

思えばここのところの体調不良はその前兆だったのかもしれない。
自分の体が強いほうだとはとても思えないし、常夏に変わってしまったとはいえ体調が狂う要因はいくらでもある。

「はやく、朝ご飯の支度しないと」
「無理しないで。今日はとりあえずミサトに作らせ……」
「それはだめ!」

緊急事態に思わず叫び、それにあわせて吐き気がする。
顔をゆがめた僕にアスカが呆れ顔。
でもアスカは知らないからそんなことがいえるのだ。
あれは通常の生物が食べていい代物ではない。

「……ミサトってそんな酷いの?まあいいわ、有合わせで食べちゃうから」
「そうしておいて」

そういってキッチンへ向かう彼女を見てとりあえずは一安心したけれど、体を襲う不快感は消えない。
吐き気はいつまでもむかむかと残り、おなかのあたりの嫌な痛みも続いていた。
全身寝汗でぐっしょりとしていて、べたついた感触が更に気分を不快にさせた。

――とりあえず、着替えよう。

そう思い立つ。
本当はシャワーでも浴びたいところだけれど、風邪を拗らせたくは無かったので控えておく。
代わりにぬぐうように服を脱ぎ捨てる。
汗で濡れたからだが外気に触れて、ひやりと冷たい。
そのまま上着を着替えて、下も替えようとしたときに異変に気付いた。

――……これって。

ショーツを脱ごうとした時に感じた、寝汗とは違う気持ち悪さ。
見ると、そこには赤い染みがついていた。

それを見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
理解できないのではない。むしろすぐに状況は理解できたのだけれど、それを認めたくない自分がいた。
でもわかっている。
ここで無視しようとも無意味なことは。

――落ち着いて落ちつちておちつおて。

なだめるのに一分。
認めるのにたっぷり五分。
諦めるのに更に三分を要して、ようやく、声が出る。

「……あの、アスカ?」

声が小さかっただろうか、返事が無い。

「アスカー?」
「ん、なに?おきられるの?」

そういって部屋に戻ってきたアスカは、なんとも微妙な格好でいる僕を見て、一瞬固まって。
状況を把握したらしく、今度は今日二度目になる呆れ顔。

「シンジ、あんた……」
「……生理、きちゃった、みたい……」

涙目になりながらそういう僕をみて、頭を掻きながら一言。

「もしかして、はじめて?」

その言葉に、こくんと頷いたまま、僕は顔を上げられなかった。


第拾話:選択

意味



「じゃ、碇さんが今日休んでるのって、そういうこと?」
「うん、相当酷いみたい」

休み時間、いつもの相方のいない私はヒカリと雑談していた。
その相方は朝から初めての生理痛で早々に本日はリタイヤしていた。
しかし発育が悪いとは思っていたが、まだ来ていなかったとは。

「まあ、私も重いほうだからさ、薬も分けておいたんだけど」

そのことは、いつも私を陰鬱とさせる。
女であることを否定する気は無いが、子供など真っ平ごめんだというのに。
その時期になれば否応なしに自分が子供を産める体なのだと自覚させられるのだ。

「何や、碇さんがどうかしたんか?」

そこへ空気の読めない馬鹿一匹が登場。
女同士ならともかく、男子に聞かれるのはさすがにはばかられた。

「なんでもないわ、ちょっと調子が悪いだけよ」
「ほうか。まあ、お大事にちゅうといてくれ」
「はいはい」

少々邪険に扱うと、こちらから離れて相田のほうへ合流していった。
鈴原は普段から馬鹿丸出しの癖に、今の一言ではないが妙なところで気が利いたりする。
まあ、だからどうということは無いのだが。
馬鹿は馬鹿だ。

そしてその馬鹿を見つめるおせっかい焼きの視線。
何かというと言い争っているヒカリと鈴原だが、それぞれと友人と腐れ縁の仲でいれば嫌でも気付くものだ。

「鈴原君、いつも碇さんの心配してるね」
「まあ、あの馬鹿の数少ない褒められるところね」
「あ、アスカもそう思う?」

そんなことを口にしただけでにじみ出るうれしそうな態度。
わかりやすいことこの上ない。
だけどすぐに少し暗くなって。

「……鈴原君って、碇さんがすきなのかな?」
「ええっ!?」

いままでヒカリと鈴原の仲について考えていたものだから、突然のそんな振りに思い切り驚かされた。

――そうか、そういう考え方もあるか。

私から見て、あの馬鹿がそういう感情の元に行動しているとは思えないのだが、恋する乙女の目にはそのように映るものらしい。
しかしいろいろと口うるさくお節介焼きのヒカリが、恋愛沙汰、特に自分のこととなるととことん奥手だ。
鈴原とはいつも口喧嘩ばかりで、恋仲になるどころか進展のしの字も無い状況。

だからだろうか。
私の中の小悪魔が囁いたのだ。
彼女の質問に答えず、代わりにこういってしまった。

「気になるなら、本人に聞いてみたら?」
「ええっ!?」

今度はヒカリが驚く番だ。
わかりやすい。実にからかい甲斐のある状況。

「そ、そんなこと……」
「いいじゃない。いつも喧嘩してる仲でしょ?」
「それとこれとは……」
「大丈夫だって。それに、私の見立てじゃそんなんじゃないと思うから、当たって砕けてきたら?」

そういって軽くにやけている私の顔に気がついたのだろうか。
彼女は少し怒ったような顔になる。

「ねえ、アスカ。その、もしかして……気がついてた?」
「あんたの態度見てたら誰だって気付くわよ。あの馬鹿くらいじゃないの、わかってないのは」

ついでにレイと、意外にシンジも気がついていないんじゃないかという可能性はおいておく。
あれは人の心配ばかりして、顔色を伺うことは得意なくせに、そういうことには疎いというか、意識の外にあるのではないだろうか。
あいつのなかで、そういうことにまで気を回す余裕が残っていないだけなのかもしれないけれど。
みんなが元気で笑っていれば、それでいいのだろう。

「で、でも、そんなことして、嫌われたくないし」

そういうヒカリに少しあきれる。

「あんたねえ、いまさら嫌われるも無いでしょ。それに」
「私たち、いつ死ぬかわからないようなところにいるんだから」

何故、そんな言葉を続けてしまったのかはわからない。
鈴原がフォースチルドレンに選ばれたのを知っているからだろうか。
そのことを教えるつもりは無いけれど、あれが生死のやり取りに近づいてしまったのは確かだった。
この私と同じに。

「だから、後悔しないうちに、やれることはやっといたほうがいいわよ」
「……そうだね」

なんだろう。
そんなつもりは無かったのだけれど、少ししんみりとしてしまった。
そこで、強引に空気を変える質問。

「……ねえ、ヒカリ、あれのどこがいいわけ?」
「……」

少し考えるようにした後、彼女は頬を赤らめて。

「やさしい、ところ」

……だめだ。
まったく、恋する乙女という奴は。



「なんやケンスケ、話って」

昼休み、飯も終わったあとの屋上。
話があるというケンスケに付き合ってやってきた。
まさしく暑くなる時間、ほかの生徒の姿はない。

「……なあトウジ、やっぱりおまえなのか?」

ケンスケが緊張した面持ちで、そう切り出してきた。

「何の話や?」

そうとぼけてみせる。
もう、何の話かはわかっているのだが。

「俺、知ってるんだ。新しいチルドレンが選出されたって」
「それで、それがわいやっちゅうんか」

ケンスケお得意の親父さんの情報網という奴だろう。
どこぞの部署の偉いサンなのか、彼からの情報それ自体は正確なものだ。
尤も、その情報から推測された尾ひれのついたものは大きくずれていることも間々あるのだが。
今回はそれも正確のようだ。

「……教えてくれよ。なあ、俺達、友達だろ?」

守秘義務に引っかからないだろうか。
……いいか、ほかの連中もすでにばれている。
自分だってすぐそうなるだろう。

「……ああ、そうや」

そう答えた途端、ケンスケは大きくひとつ息をつき、表情を崩した。
そのまま屋上の柵のほうへ歩いていった。

「やっぱり、か。校長室への呼び出し、これのことだったんだな」

こちらを振り向かないまま、彼の声がした。
自分はそれに何も答えない。
答える必要は無かった。
それはただの確認でしかなかった。
ただ、事実を認識するための時間が、静かに流れていく。

照りつける太陽の中、静かさを破ったのもケンスケだった。

「俺はおまえがうらやましいよ」
「なんやおまえ、パイロットになりたかったんか?」

そういうケンスケに、自分も柵に寄りかかってそういった。
ミリタリーマニアの彼のことだ、十分ありえる話だった。

「昔はな。今は違う」

意外な答えに、ケンスケのほうを伺った。
彼は視線を外に向けたまま、言葉を続ける。

「碇さんさ、どんどん酷いことになってる。化け物がくるたびに酷い怪我をしてさ」

そのとおりだ。
だから自分は彼女をできるだけ守ってやりたいと思った。

「俺は怖い。あんなもので戦うためのパイロットなんて、俺には出来ない」
「確かに乗りたかったさ。だけどそれは操縦したいってだけ。実戦なんてやりたくもない」

ケンスケは彼女の傷に、自分とは違うものを見ていた。
戦闘への恐怖。
それは当たり前のことだった。
そして、彼はやはり情報を誤認していることにも気がついた。

自分は正式なパイロットとして選ばれたわけではないのだ。
碇さんのサポート役として乗り込む、コパイロットであり、実際に操縦する役ではなかった。

もしあの時、校長室で、パイロットとして、一人で戦ってくれといわれていたら。

――自分は、素直に従うことができただろうか。

今となってはもうわからない。
だけど、碇さんや惣流、綾波のように戦える気は今だってありはしなかった。

「トウジ、おまえはすごいよ」

その言葉を素直に肯定などできなかった。
ただ、屋上にまた、静寂が戻った。



教室に週番の鈴原以外いないのを念入りに確認して、中に入る。
特にアスカには気をつけないと、吹っかけた本人だ、デバガメなんて……逆なら私もやっちゃいそうな気がする、気をつけないと。

「あの、鈴原」
「なんや、いいんちょ」

片付けもあらかた終わったらしい彼が、いつもと同じようにやる気のない声を出した。
緊張をできるだけ悟られないように、深呼吸。

「あの、鈴原、君」
「だからなんやねん」

もう一度言い直した私に、今度はすこし苛立った声。
声の調子が変わってしまったの、気がつかれなかっただろうか。
少しだけ間をおいて、今度こそ。

「あなた、碇さんのこと、どう思ってるの?」
「んー、なんやろな。気になる奴なんは確かやけど」

勇気を振り絞って吐き出した一言に、ものすごくあっさりと答えが返ってきた。
だけど、気になる奴って。
それって、やっぱり、鈴原は。

「それって、つまり、好きってこと?」

ああ、聞いちゃった。
もうこうなればどうにでもなれ。いや、ならないで。

「なんやねん、藪から棒に。そういうわけやあらへん」

その答えにまさしくほっと胸をなでおろす。
もう外聞なんて気にしている余裕はなくなっていたらしい。

そんな私を見ているのかいないのか、彼が続ける。

「あいつは、なんやろな。わいにはすごい危なっかしく見えとる」
「自分がどないなっても人の心配ばかりしよってからに、それで普段はニコニコ笑ってばかりで」

それを私も小さく肯定する。
困ったり、恥ずかしそうな顔をしていることあったけれど、私は彼女が怒ったり、泣いたり、拗ねたり、そんな表情をしているのをみたことがない。
学校でも、病院でも、一緒に遊んでいても、碇さんは私たちを見て、いつも微笑んでいた。
どんなに酷い怪我をしていても、動けなくても、ふらふらでも、泣き言も言わず、私たちがする話に相槌を打ち、笑い、時には苦笑して、ただ楽しそうにしていた。
私にはできそうも無い、すごい人だと感じていた。

「そんなあいつに、わいらみんな守られとるんや」

そう、彼女の、彼女たちのおかげで、私たちはこうしていられる。
平和なときは忘れがちだけれど、私たちは守られているのだ。

「だから、誰かがあいつ守ったってもええやろ」

だから、鈴原は彼女を心配して、優しく接しているのだろうか。
彼女に何かあれば、足しげく病室に通うのだろうか。
いつも、見守っているのだろうか。

「前に、そう約束もしたからの」
「約束……?」

疑問系で口にした言葉に返答はなかった。
そういえば、彼は碇さんが転校してきてすぐに仲良くなっていたような気がする。
二人の間に何かあったのだろうか。
とても気になるけれど、とても聞けそうにない。

「つまりなんや、ほら、好きとかそういうんとちゃう」

なにがつまりなのか、よくわからないけれど。
彼はそういってくれた。
よかった。
もし碇さんが彼の意中の人だったら、私は勝てそうもないから。
強くて、優しくて、料理だって上手で、あんな人と比較されてしまったら、私なんて口うるさいだけの委員長でしかない。

「でも、じゃ、どういうこと?」

安心したからだろうか。
そんなことも大胆にも聞けるようになっていた。

「うーん、なんていうかもっとこう、そや……」

意味を成さない言葉の羅列のあと、何かひらめいたように顔を上げると、こう言った。

「うちのそそっかしい妹、あいつと似とる気がする」
「何やほっとかれへんところとか、な」

その答えに、くすりと笑ってしまう。
何故って、同じ年のはずの彼女が、その答えに、あまりにも似合いすぎていたから。
私にも姉妹がいるからなんとなくわかる。
守られているのは私たちのはずなのに、彼女の雰囲気は妹のそれに似ているのだ。
おかげで、恋愛対象で無いという彼の言葉が、すんなりと受け入れられた。

それにしても。
ライバルでなくなった途端、これほどまでに気を許せる自分にも、驚いていたけれど。



「消滅?確かに第二支部が消滅したんだな?」
「はい、既に確認しました。消滅です」

怒声が響き渡る中、静止衛星からの映像がすべてを肯定していた。
突然のネルフアメリカ第二支部の消滅。
まったくの想定外の事件だった。

「ひどいわね」
「エヴァンゲリオン4号機、ならびに半径89キロ以内の関連研究施設はすべて消滅しました」
「数千の人間を道連れにね」

状況説明を行うオペレータのマヤの言葉に、リツコがいやな補足を添える。
半径89キロといえば、例えばこの第3新東京市すべてを飲み込んで余りある大きさだ。
旧軍事施設を改修した実験施設の色が濃い第二支部だったからこそその程度の被害ですんだともいえた。
もし都市部に近ければ、その被害は想像を絶するものになっていただろう。

「タイムスケジュールから推測してドイツで修復した、S2機関の搭載実験中の事故と思われます」

S2機関――スーパーソレノイド機関とは、半永久にエネルギーを生み出す夢のような機関のことだ。
それは私の父である葛城博士が提唱した理論であり、皮肉にも人類の敵たる使徒の体内に存在が確認された。
比較的損傷の少なかった第四使徒の体内から取り出されたそれを解析、修復して、今度は人類の手で使用する。
S2機関の搭載されたエヴァンゲリオン4号機はアンビリカルケーブルを必要とせず、単独で活動可能な画期的なエヴァとなるはずだった。

「妨害工作の線もあるわね」

無限に活動可能なエヴァの軍事的な危険性から考えれば、無視できない考えではあったが、そういった私自身可能性は低いと見ていた。

「でも、爆発ではなく、消滅なんでしょう?つまり、消えたと」
「多分、ディラックの海に飲み込まれたんでしょうね」

それは現実世界の虚数領域に当たる部分。
そこに飲み込まれれば、存在自体がなかったことにされる。
こちら側に戻ってくるのは絶望的だろう。

「じゃあせっかく直したS2機関も?」
「パアよ。夢は潰えたわね」
「よくわからないものを無理して使うからよ」

それは本音ではあったが、たぶんに自嘲を含んでいた。
ネルフで使用している多くの技術が、解析も十分でないオーバーテクノロジーの塊のようなものだ。
エヴァなど、その最たるもの。

「で、残った3号機はどうするの?」
「ここで引き取ることになったわ。米国政府も、第一支部までは失いたくないみたい」

3号機と4号機はあっちが建造権を主張して強引に作っていたものだった。
それをいまさら危ないところだけ押し付けようとは、虫のいい話だ。

――ま、あの惨劇の後じゃ誰だって弱気になる、か。

だがこれで、ネルフ本部はエヴァを四体も独占することになる。
通常兵器の効かないそれらが無限の活動期間を得たとき、敵対諸国にとってそれは使徒の脅威と同じものだ。
世界をも席巻できるほどの力。

――所詮夢物語か。現にS2機関はもうないのだから。

「で、起動試験は、やっぱり彼を?」
「それが妥当でしょうね」

シンジちゃんのために選出されたはずの四番目の適格者。
だが時をほぼ同じくして、四番目のエヴァがわれわれの手元に届く。
これを偶然の一言で片付けられるものだろうか。

――運命、だとでも言うの?

神でもなければ答えられないその疑問。
ただ、明らかなのは、また、何かが動き始めたということだけだった。