Migraine


第拾壱話:使徒、襲来(again)

心の器



Case1.葛城ミサトの場合:


『どうぞ』

ノックに対する返事を待って入室する。
広い病室の中央付近に設置されたベッドに、シンちゃんが寝かされていた。
また以前より痛々しさの増した姿。
それでも間違えようのない、碇シンジの姿がそこにはあった。

「どなたですか?」

けれどその質問が、彼女がもう、以前の彼女ではないことを物語っていた。
記憶喪失、と、言うべきなのだろうか。
以前の記憶を取り戻しているのだから、ある意味では回復した状態なのだけれど。
少なくとも、私にとって今の状態は記憶喪失と変わりない。

「私は葛城ミサト。ほら、覚えてる?写真の……」
「あ、見覚えがあります。あなただったんですね」

彼女がはじめてこの町に来た時の手紙に同封されていたはずの私の写真。
結構恥ずかしいポーズと説明書きを入れていたような気がする。
もうずいぶんと昔のことのように思えるが、実際のところまだ一年も経っていないのだ。
昔話にするには短すぎる時間。
しかし、その時間すべてを失うには長すぎる時間だった。

「やっぱり、何も思い出せない?」
「……ええ、すいません」
「謝らなくていいわ、あなたのせいじゃないんだから」

久しぶりに顔を合わせた彼女。
しかし彼女にとってははじめて顔を合わせた私なのだ。
もしかしたら思い出してくれるかもしれない、そんな儚い希望はかなう事は無かった。

「あの、葛城さん。あなたは私と、どういう関係だったんですか?」

――とりあえず、エヴァに関することは伏せておいて。

リツコの言葉を思い出す。
ただの14歳の少女に告げるには、あまりにも突飛で、悲惨すぎる。
少なくともこの子がもっと落ち着いてから。今はまだ、だめだ。

「……そうね、私は……こちらでのあなたの保護者をしていたわ」
「保護者、ですか?じゃあ、父さんは」
「一緒に暮してはいないわ。忙しい人だから……ごめん、嫌な話だった?」
「……いえ、どうせそうじゃないかとは思ってましたから」

嫌いなはずなのに、慕ってしまう。
私がそうだったように。
この子の父親への気持ちは、あまりに私と似ていて、手に取るようにわかる。
以前の彼女を引き取った理由とは違うが、それでもきっと、彼女が今のような存在として出会ったとしても、私はシンちゃんを引き取っていただろう。
今目の前にいるのは、守るためにがむしゃらに戦ってきた碇シンジではない。
父親に疎まれて育った、内気な14歳の少女そのものだった。

「そういえば、父と葛城さんは……」
「ミサトでいいわ。あなたのお父さんは、そうね、上司と部下の関係ね」
「……愛人か何かかと思ってました」

その返答にこけそうになる。
少し訂正しよう。
内気だが少々毒舌の少女だ。

「あんな親父私の趣味じゃ……ま、それはいいわ」

会話記録が録音されていることを思い出し、言葉を濁しながら話題を切り替える。

「あなたは、これからどうしたい?」

少し聞くのが早過ぎただろうか。
彼女は目を伏せ、考え込んでしまった。
けれどいつかは聞かなければいけない。
今この街は、彼女にとっては初めての場所、未知の世界だ。
なのに周りの人々は彼女を知っている。
彼女自身の知らない彼女を。
そこで生きていくつらさは容易に想像できた。

「……まだ、わかりません」
「そう」

予想通りの答え。
まだ焦らなくてもいい。
時間があるわけでもないが、せめて彼女に考えるきっかけを与えておきたかった。

――だからといって、希望通りにしてあげられるかはわからないけれど。

ネルフの作戦部長として、彼女がここに呼ばれた理由を無視することは出来ない。
もう一度彼女をつらい目に合わせることになるとしても、だ。
まだまだ他人行儀な表情を向ける彼女を見つつ。

それでも頼らねばならない、自分達の力の無さを呪った。


Case2.惣流・アスカ・ラングレーの場合:


病室に入ると、いつものようにシンジが寝かされていた。
また怪我が増えた、いつもの光景。

「あなたは……」
「惣流・アスカ・ラングレー。……ホントに忘れちゃってるみたいね」
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいわよ」

いつもと同じはずなのに、シンジはもう、シンジじゃない。
冗談みたいな話だと思ったが、こうやってあってみると確かに違う。

同じ顔なのに、同じ体なのに。
雰囲気というのか、彼女の醸し出す空気は明らかに異なっていた。

「一応私はミサトのところで一緒に住んでる、同居人。ついでにクラスメイト」
「そうだったんですか。外国の方ですか?」
「クォーターよ。ドイツからね」

たわいもない自己紹介、けれどこうしているだけで以前との差異が強く感じられる。
シンジはこんなにもおどおどとしていただろうか。
これほどまで他人行儀なことがあったろうか。
肉体的にも精神的にも脆いところがあったけれど、ここまで弱弱しく感じることは無かった気がする。

「ん、どしたの?」
「い、いえ……」
「はっきり言いなさいよ、じれったい」

今目の前にいるのは、弱気で怖がりな、典型的な日本人の少女。
あの儚くも強い瞳も失われ、フラフラと揺らいでいた。

――こんなのは、シンジじゃない。

私が認めたのは、私が許したのは、こんなにもひ弱な存在じゃない。
頑なな意志で戦いつづけた、皆が楽しそうにしているのが嬉しそうだった、ぼろぼろなのに笑っていた、誰かを責めることなどしなかった、この私より強くて、この私より遥かに脆い、そんな彼女だから私は素直になれたのに。
この子に負けることも許容できそうだったのに。

人とは、その思惟の有り様だけでここまで変わってしまうものなのか。
以前だってしていただろう顔色を窺うような仕草までが私の苛立ちを募らせる。

「あんたねえ、どうしちゃったのよ。忘れちゃっただけで、どうしてこんな風になるのよ」
「そう、いわれても……」
「違う!あんたはこんな、ただの女の子なんかじゃなかった!ねえ、しっかりしてよ!戻ってよ!」

苛立ちから興奮が抑えきれなくなり、声を荒げる。
明らかに引いてしまった彼女の肩にしがみつき、揺さぶった。

「ねえシンジ!思い出して!」
「痛っ!」

悲痛な声に、はっと気がついた。

――何やってるのよ、私は!

相手は怪我人なのだ、そんなことをされれば痛いのは当然だった。
掴んだ肩は以前と変わらない細くて小さいもの。
だけど今は震えていて、瞳は明らかに怯えていた。

「……ごめん、悪かったわ」

そう言って手を離したけれど。
もう既に彼女は私を拒絶していて、踏み込ませてくれなかった。

その心の距離が、酷く悲しかった。


Case3.綾波レイの場合:


「碇さん……」

同じ人のはずなのに、違う。
私を必要としてくれたあの人とは、違う。
私が大切だったあの人とは、違う。

同じなのは外見だけ。
器のみを残して、心は別のものになってしまった。
私と同じ。

「あなたは、誰?」

碇さんからの問いかけ。
ベッドから体を起こして、けれど俯いたまま、こちらを見ようともせずに。
いつも見せてくれた赤い瞳も伏せられたまま。

「私は、綾波レイ」
「レイ……?」

気だるげに、やんわりと私を拒否していた彼女が、初めてこちらを見た。
色の違う左右の瞳、私と同じ色の右目。
そこに以前の静けさと寂しさを伴った不可思議な輝きは無く、映されるのは恐れと怯え。

「偶然よね?」

彼女の問いかけは意味を成していない。
偶然。
何が、何のことだろうか。

「……あなたは、父さんを知ってるの?」
「ええ」

即答したが、更に訊ねられたらどう答えればよいだろうか。
赤木博士からはネルフのことについては出来るだけ避けるようにと言われていた。

碇ゲンドウ。碇司令。碇さんのお父さん。
彼女の父親。特別な人。
私にとっても特別な人。

「あなたは、父さんの、何なの?」

その質問に戸惑う。
私にとって、あの人は特別な人だ。
彼女にとってもそうだ。
だけど。

――あの人にとって、私は何なのだろう。

昔、実験で私が大怪我をした時、あの人は自らを顧みず助けてくれた。
あの人から、私は必要とされているのだと、そう思った。

けれど、わからない。

計画のために私が重要であることはわかっている。
けれど、私という存在が失われても、代わりはいる。
絶対に助けねばならないというわけではなかったはずだ。

なら、私はやはり大切に思われているのだろうか。
でもそれは、人として?
それとも、道具として?

「わからない」
「あの人にとって、私が何なのか、私にはわからない」
「でも……」
「私にとっては、それでも特別な人」

そういった途端だった。
枕を投げつけられたのは。

苦痛に顔を歪めて、怯えの代わりに怒りを帯びた瞳。
必死に詰め寄られた時とも、しがみつかれた時とも違う、それははじめてみる表情。
別人だと言い聞かせても、彼女からぶつけられた感情は私を動揺させた。

「……出てって」
「どうして……」
「出てって!」

回復しきっていない状態で叫ぶのだって辛いだろうに、それでも彼女は声を張り上げて。

「その名前で、私の前にこないで!」

余りに強烈な拒絶に、私はあとずさっていた。
大切だった人から向けられた憎悪といってもいいそれに、抗うすべを私は知らなくて。
ついに私は顔を背け、病室を後にした。

「父さん、どうして……」

彼女の呟きを残して、扉が閉まる。
私は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。

頬を何かが伝い、濡らしていた。



「やはり、効果はなしか」
「はじめに忠告したはずですが」

かかわりの深かった人物とあわせ、記憶を揺さぶる。
分が悪い賭けだということは説明済みだった。
そして結果がこれだ。

シンジさんは三者三様の反応を示し、その感情こそ大いに揺さぶられたものの、記憶への影響は見られなかった。
しかもどの記録も無様としか言いようの無いものだ。
ミサトは最後まで踏み込むことは出来ず、アスカは感情を爆発させ、逆にレイは彼女の感情を爆発させた。

「次はあなたが行きますか?司令」
「……結果は同じだろう」

そう答える彼に、少々嫌悪感を露わにする。
彼女のレイへの過剰な反応が気になり、調べてみてわかったこと。
はじめから知っていればレイを行かせたりはしなかっただろう。

「あなたが個人的に会いたくないだけでしょう。違いますか?」

彼女の母親であり、この男の妻であった碇ユイが消えうせた事故の後のことだ。
当時まだ四歳だった彼女を人手に預ける際に、彼女は碇シンジとなった。
彼女の存在そのものを拒否するかのように、この傲慢な男が改名させたのだ。

その時失われた、奪われた名前が、レイ。
本人すら忘れかけたと思っても、幼少の頃慣れ親しんだ名前を消し去ることは出来なかったのだろう。
それだけならばよかった。
この男が、あれをレイなどと名付けなければ。

――結局この人も縋っているのね。

自分の代わりにレイを名乗る少女。
父とかかわりがある少女。
きっと彼女はこう感じたのだ。

自分は捨てられたのだと。

「いまさらのこのこ出て行って、言い訳など出来ませんものね」
「……口が過ぎるぞ」

情けない人だ。
その身一つで渡り歩き、裏の世界にすら発言力を手に入れたほどの野心家が。
ただ自らの娘だというだけでここまで不器用になるものなのか。
そんな男にすがり付いている自分も酷いものだが。

何度離れようと思ったことか。
それなのにそのたびに溺れてしまう。
抜け出せなくなってしまう。
ロジックではないと、わかっているのだけれど。



司令室の警告灯が点灯した。
非常事態の合図。
何が起ころうとも、我々の都合などお構いなしに奴らは現れる。
そう、乗るべきパイロットが足りなくとも、エヴァの修復が終わっていなくとも。

「あれの記憶が戻らないとしても、我々にはあれが必要だ」
「……そうですね」

彼女もまた、碇シンジだ。
おそらくエヴァは、初号機は動く。

「シナリオを再適用する。準備しておけ」
「はい」

そういい残して発令所へと上がっていく司令を見つつ、端末から必要な手続きを進める。

――子を追いやる父親とその愛人、か。

まさしく悪役にはぴったりではないか。
今時陳腐なドラマの台本ですらみかけないほどの王道だ。
そして救うのは母の愛か。

――ならせめて、あなたは守ってあげてね、碇ユイさん。

ディスプレイの初号機に、そう囁いた。