Migraine


第拾壱話:使徒、襲来(again)

目覚め


弐号機の中、LCLに包まれて、私はジオフロント内に待機していた。
周囲には多数の武器が剣山のごとく突き立てられている。
なぜか。
至極単純な話だ。
ジオフロント内には兵装ビルが存在しないからだ。
それならなぜジオフロントで待機しているのか。
これも簡単。
既に地上での迎撃は間に合わないからだ。

――18の特殊装甲版を一瞬で貫いたですって?

冗談ではない。
このジオフロントを守る外壁は22の特殊装甲を積層したものだ。
それこそN2爆雷ですら一つや二つでは話にならない、超硬度のシェルター。
その半数以上が一撃で突破された。
目標は既に侵攻を開始しているのだ。

いつものことではあるが通常兵器による攻撃は効果なし。
ATフィールドの展開すら確認されていない、文字通りの無力。
身動ぎすらせず、攻撃の存在など無かったかのような行動をとっている。
攻撃力の面でも、防御力の面でも、今までの使徒より強力だと推定された。

――そんなのを相手に、こっちは私だけか。

零号機の左腕はまだ届いていない。
初号機は、当然動かない。
今のシンジが戦えるわけが無かった。

「上等、やってやるわよ!」

自分に喝を入れ、バズーカを構える。
私はエースパイロットだ。
たとえシンジのことを認めていても、この思いは揺るがない。
だから戦える。
誰かに頼らずとも、私は、戦える。

『今、レイを初号機に乗せているわ。起動するまでの時間を稼いで』
「了解。ついでに倒しておいてあげるわ」
『無茶はしないで』

――そう言われても、どうしようもなければ無茶するしかないだろうに。

レイの初号機にシンジほどの活躍は期待できない。
私と弐号機の組み合わせのほうが間違いなく戦闘能力があるだろう。
私の勝てない相手に、レイが勝てるわけが無い。
一対一で負けることだけは絶対にあってはならなかった。
その負けは、人類の負けを意味するのだから。

轟音とともにジオフロントの天井に、逆向きの十字の焔が上がった。
強烈な閃光が周囲を、いや地下の空間すべてを白く染め上げる。
その光の中心からゆっくりと下降してくる、弐号機の視覚が捉えたもの。

ずんぐりとした胴体から申し訳程度に飛び出した四肢、髑髏のごとき仮面。
エヴァとほぼ同じ身長のそれが重力を無視してゆっくりと内部に移動してくる。

「人型、って言うにはデブね!」

躊躇はしない。
ATフィールドをぶつけつつ、左右の手の引き金を思い切り引き絞る。
その両の銃口から大型のロケット弾がはじき出され、使徒にぶつかると盛大な爆発音を響かせた。
密閉空間で大音響が響き渡り、木霊する。
爆発は高層ビルほどもある使徒全体を覆うほどだ。

だがそれが収まるまで待つような愚を犯したりはしない。
更にトリガーを握りこみ、連射。
地響きが起こるほどの爆炎が、一つ一つを数えるのも難しいほど密集して立ち上る。
だが。

――ATフィールドは中和しているはずなのに!

どれほどの爆発が起こっても使徒の移動は止まらない。
地上の迎撃部隊と同じだ。
この使徒の装甲は、ATフィールドなしでも通常兵器など問題にしない。

「これじゃ弾薬の無駄ね!」

軽口なのかよくわからないことを言いながら、砲身が焼けきった二挺を捨てると今度はパレットライフルを両手に乱射する。
だが結果は同じだ。
使徒の表面で粉砕した弾丸が粉塵となって撒き散らされて、それでおしまい。

まったく持って時間稼ぎにすらなっていない。

「ミサト、悪いけど、無茶しないと足止めも出来そうに無いわ」

射撃戦は、諦める。
パレットライフルをフルバーストで撃ちつづけながら、左手に持っていた分を捨て、代わりにソニックグレイブを地面から引き抜く。
これまでだってそうだったでは無いか。
銃が効かないなら、近接戦闘を行うまでだ。

――負けらんないのよ、私は!

以前の苦い経験が、私に現実的な選択をさせた。
私たちの使命。それは使徒に勝つことだ。
それを成しえるのがエースパイロット。
そのためには、手段など選んでいられない。

「あんまり、私を待たせるんじゃないわよ!」

そう、手段など選べない。
例えそれがエヴァ二体での総力戦であっても。
私はエースパイロットなのだ。
だからこそ、二人でも、戦える。
そのための時間稼ぎ。

右手のパレットライフルが弾切れになった瞬間、それも投げ捨て、突進。
ソニックグレイブを左腕で突き出しつつ右手も添え、強烈な突きを繰り出す。
どんなものだろうと容易く貫く一撃。

「……ようやく本気?」

甲高い音とともに、先端のブレードが砕けた。
使徒の装甲ではない。
突如として発生した強力なATフィールドにより、私の突進は止められていた。

――だけど防御したということは、効かないわけじゃないはず。

とはいえ、このソニックグレイブはもう使い物にならない。
次の獲物を手に取るため、一瞬意識を後ろに向ける。

その刹那。
殺気を感じ、身を捩った。

「あ、ぐ、畜生!」

視界を奪うかのように一直線にこちらに伸びた、帯状のもの。
先ほどまでは小さな板状のものにしか見えなかった使徒の腕が、瞬時に展開され、突き抜けていった。

――これは、まずったわね。

間一髪、残っていたソニックグレイブの柄を犠牲にして左から迫っていた分だけはかろうじて弾き飛ばした。
だが、もう一つは間に合わなかった。

――あんまり持たないわよ、レイ。早く来なさいよ!

転がるように後方に逃れ、スマッシュホークを片手で構える。
もう一本武器を取るためではない。
すでに右腕は、肩から下をばっさりと持っていかれていた。



『パルス逆流、神経接続が拒否されました』

内臓を引きずり出されるような感覚に、思わず口を押さえる。
強烈な嘔吐感が襲い掛かってきた。

――もう、だめなのね。

零号機と初号機は私と近しい存在だった。
だから私は低いながらもそれらとシンクロし、動かすことができたのだ。
けれど、もうだめだった。
初号機は既に私とは異なる存在となっていた。
異物として、私を拒絶したのだ。
そして、私がシンクロできないということは、ダミープラグもおそらく無駄だろう。
あれは私の劣化コピーでしかないのだから。

つまり、初号機を動かせるのは碇さんしかいないということ。
変わってしまった今のあの人で、果たして動かせるのかはわからないけれど。

『レイ、零号機で出撃だ』
「はい」

今の零号機は、左腕が存在しない。
大部分の損傷箇所は修復され装甲も取り替え済みだが、強制的に切り離した左腕は通常の再生作業では多くの時間を必要とした。
開発中のほかのエヴァの予備を手配したというが、それはまだ届いていなかった。

だけど時間の猶予はない。
弐号機だけでは殲滅はおろか、足止めがやっとの状況。
しかも既に損傷を受け、何とか持ちこたえているだけなのだ。

零号機に再エントリーしつつ、考える。

――まだ、負けられない。

あの人が守りたいと願った人たちを、ここで消させるわけにはいかない。
あの人が帰ってくるまで。
せめてそれまでは、私が守る。

もう、帰ってこないかもしれないなどという叫びには、耳を閉ざして。



――やはりダミーもだめか。

わずかな希望もあっさりと拒絶され、潰えた。
私は、ユイに拒絶されたのだろうか。
それとも見限られたか。
どちらにせよ、これで予備を使うしかなくなった。

「赤木博士、シナリオを使う」
「はい、こちらにつれてきます。……よろしいのですね?」
「かまわん」

これを使うのは二度目だ。
本人の意志の元に乗った、そういうことにするためのお膳立てといったところか。
もっとも、一度目のときは本人が理解していたか怪しい状態だったが。
それでも成功した。
結果も予定通りだった。
ならば今度も成功するだろう。
そう思いたかった。

だが、今までの間に、我々も変化している。
あれにかかわった人間はそれぞれが何らかの感情を抱いているのは間違いない。
人としての絆。
すべての人間が、それを捨て切れるのか。
何より、私はあきらめられるのか。

皮肉なことに当の本人のみが以前の、何の関係もない状態に戻っていた。
一度目に試されたのは、シンジだった。
今回試されているのは、我々のほうなのだ。

設置されたモニタが車椅子に乗せられ、初号機のケイジへと移動させられるシンジの姿を映している。
わざと明かりを落とした演出まで同じだ。

<<これが、父さんの仕事ですか>>
「そうだ」

隣の人物にかけられたろう問いかけを、奪い取る。
ネルフ総司令としての、父親としての、二度目の出会い。

「ひさしぶりだな。シンジ」



精神が高ぶっていく。

紙一重だ。
ありえないほど鋭利な使徒の、その布状の両の手が弐号機の特殊装甲をまるでバターか何かのように切り裂く。
だけど大丈夫。
エヴァの素体までは、ぎりぎり届いていない。
目にも留まらぬその攻撃を身を捻り、しゃがみ、或いは払いのけて、私は何とかこいつの侵攻を食い止めていた。

――でも、このままじゃ埒が明かない。

左手に構えた二本目のスマッシュホークも既に刃は欠け、武器としては使い物にならない。
だが新しい武器に換える余裕などなかった。
一瞬でも気を抜けば、やられる。
ディスプレイの映像、レーダー反応、そしてエヴァからの視覚、聴覚、触覚のフィードバック。
パイロットとして鍛えられた肉体と状況判断能力、エヴァの最大稼動の組み合わせだからこそ可能な神業的な回避といっていいだろう。
これこそはほかの誰にもできない、私の本領だった。

「いい加減に、してほしいわ、ねっ!」

叫びつつ反り返るようにして回避する。
頭上を舐めるように凶刃が掠めていく。

そのとき。

半ば天地の入れ替わった視界に、もう一体の巨人を捉えた。

「レイ、やっと来たのね……零号機!?」


そこにいたのは紫色をした初号機ではなかった。
片腕の青い巨人。
いまだ修復を終えていない、レイ本来の乗機だった。

使徒の斜め後方、私への攻撃で死角になったそこから、レイが、突進する。
その右手に握られた、黒い円筒形の物体。
その表面に書かれたN2の文字。

「自爆するつもり!?」

ぎりぎりで何かにぶつかるように停止する零号機。
危険を察したのか、再度発生した強力なATフィールドが行く手を遮っていた。

『ATフィールド全開』

エヴァの拳ほどの空間が、徐々に抉れていく。
その一点のみに集中し、ATフィールドが侵食されていく。

「レイ、やめなさいよ、自殺する気!?」
『……私がしんでも、代わりはいるもの』

彼女からのその通信と同時に、右手が、N2爆雷が、使徒に届く。
そして、起爆した。

閃光と衝撃がジオフロントを震わす。
使徒が穴を穿った時よりもさらに明るい、至近距離での爆発が天地を貫いた。

――だめだ!

けれどその中心に、私は弐号機を踊るように飛び込ませていた。
同時に投げつけたスマッシュホークが間一髪で使徒の腕を跳ね上げ、展開したATフィールドがその軌道を逸らしていた。

「レイ、無事?返事して!」
『大丈夫、まだ生きているわ』

その声に安堵したが、状況は厳しかった。

N2爆雷が炸裂する瞬間、確かに見えた。
使徒のコアを、最大の弱点を、殻のようなものが包むのを。

ゼロ距離でのN2の爆発、それすらこの使徒は無傷で耐え切っていた。

「で、次の切り札はあるわけ?」

自虐的な響きを含ませつつ、体勢を立て直した零号機を見る。

『いいえ、でも……』
『まだ、腕は二本あるわ』

――ふん、上等!

それぞれ片腕だけれど、まだ武器は握れる。
右腕と左腕、シンメトリーを形作った、それはあのときの再現だった。
私たちの想いが重なった瞬間の、今度は一瞬ではない再現。

そうだ、私たちは。

――負けられないのだから。



これはなんなの?

夢ではないの?

目の前には角を生やした巨大な鬼のごときロボット。
私は車椅子に乗せられたまま。
タラップの下は黄色い色をした液体が満たしている。
そして、はるか頭上のガラス越しに、父さんが、いた。

三年前に会ったときと大して変わらない、髭を生やした容貌。
光の加減だろうか、サングラスはそれを反射して、奥の瞳を完全に隠していた。

私を捨てた人。
憎んでも憎みきれない人。
慕っても近づけない人。
忘れようとしても父親である人。

私がこんな風になっても会いにこなかったくせに。
こんなところで、何故今頃、この人は。

<<出撃>>

懐かしい声がまた響いた。
けれど意味がわからない。
何故、私を見てそんなことを言うのか。
誰が、何で、どこに行くというのか。

「無茶です、司令!彼女はもう、何も知らないんですよ!」
「他にもう方法は無いわ」

ここまで付き添っていた赤木さんと葛城さんが言い合っていた。
私に何か、関係があるというのか?
昔、私はここで何をしていたというのか。

「碇シンジさん」
「はい……?」

声をかけられ、赤木さんのほうを見る。
一瞬目を閉じた彼女は、けれどすぐに真っ直ぐこちらを見て、無表情に言い放った。

「あなたが乗るのよ」

乗る。
私が、何に?

このロボットに?
これに乗って、どうするの?

「座っていればいいわ、それ以上は望みません」

それ以外に、私に何が出来るの?

「今は使徒撃退が最優先事項です。わかっているはずよ、葛城三佐」

撃退?使徒?

巨大な化け物が頭の中でフラッシュバックする。
病院にくる前の、最後の記憶。

――まさか、あれと戦えって言うの?

有り得ない。

「父さん、何故、呼んだの?」
<<おまえの考えているとおりだ>>

父さんの言葉は、私の願望をあっさりと裏切った。

「じゃあ、私がこれにのって、化け物と戦えって言うの?」

私を呼んだのは、こんなところまでつれてきたのは、そんなことのためだったのか。
そんなことをさせるためだけにわざわざ私を呼んだのか。

<<そうだ>>
「いやよ、そんなの!何でいまさら。父さんは、私が要らないんじゃなかったの?」
<<必要だから呼んだまでだ>>

――そうじゃない!

私はあなたの娘だったはずなのに。
ただの道具としてしか必要とされていないというのだろうか。
それとも、娘だからわざわざこんなものに乗せるのだろうか。

「何故、私を?」
<<他の人間には、無理だからな>>

違う。
やっぱり私は、この人にとって道具でしかないのだ。
私にしか出来ないから。
それなら、私以外に出来る人がいるなら、やっぱり私は要らないということなのだろう。

そもそも、なぜ私にしか出来ないといいきれるのか?
私にも出来ないかもしれないのに。
出来るはず無いのに。

「無理よ、そんなの。見たことも聞いたことも無いのに!」
「できるわけない!」

思い切り叫んで、喉が酷く痛み、咳き込んだ。
その痛みすら、私の苛立ちを抑えることはなく、近づいてきた葛城さんを振り払い、拳を握り締める。
けれど、父さんの次の言葉は、私の頭の中を真っ白にした。

<<できるはずだ。おまえはそれで、戦っていたのだからな>>

戦って、いた?
私が?
これに乗って、化け物と?
どうして?
どうやって?
こんな体で?
それとも、だから、こんな体に?

「そんな……嘘よ、こんなの、乗れるわけ、ないじゃない」

――怖い。

車椅子の上で、体を縮こまらせ、頭を抱える。

――怖い。

これに乗ることが怖いのじゃない。
これで戦うことが怖いのじゃない。
そんなことは余りに非現実的すぎて、怖いとすら感じなかった。

本当に怖いのは私自身だった。
私の知らない私。
私だけが知らない私。

想像すらつかない自分の存在が、堪らなく怖かった。
その私だけが肯定されているのが怖かった。
私自身が否定されているようで、怖かった。
その恐怖が、私のすべてを蝕み、何も考えられなくなった。

けれど、現実はもっと非情だった。

<<……時間は無い。乗せろ>>

呆けたようになって、その言葉を反芻する。

――乗せる?

私を、これに乗せるの?
無理やりにでも、乗らせるつもりなの?
乗せて、私をどうするつもりなの?
私は、要らないの?

「司令、しかし……」
<<さっさとしろ。目標はすぐそこまで来ている>>

横にいた二人が、諦めたようにまた私に近づく。

「ごめんなさい、シンジさん」

どちらかがそういったようだけれど、もうどうでも良かった。
車椅子が動き始める。
私はもう、抵抗する気力も、抗議の声をあげることすら出来ず、ただ、されるがままに運ばれていた。



「初号機エントリー開始。LCL注水開始します」

普段と同じ工程を緊張しつつ見守る。
シンクロ率は表層的な変化は影響しないといわれているが、ここまで見事に記憶を失った状態でまったく同じになるとは思えない。
果たしてシンクロできるのか。
出来たとして、どれほどの値が出るのか。
プラグ内の映像をちらりと見る。
強制的に乗せられ、座っている彼女は今だ呆然としたままであったが、LCLに体が浸かりはじめて今度はパニックになりかけていた。

『な、なに、これ?溺れちゃう!?』
「大丈夫、LCLが肺に取り込まれれば直接酸素を供給してくれるわ」

そういえば、初めて彼女が乗り込んだときはそれを何の抵抗も無く受け入れていた。
どちらかというと今の彼女の反応のほうが正常だといえるのだけれど。
例え事前の知識があったとしても恐ろしいものだ、それなのに。
また、”はじめの”彼女についての疑念がぶり返す。

――LCLを知っていた?まさかね。

直前の事故で記憶喪失になった、それは幾度もの検査で明らかだ。
例え知っていたとしても、あの時点では覚えているはずも無いのだから。
そして記憶が戻ったはずの今の彼女を見る限りでは、知っていたとは思えない。

「初期コンタクト問題なし、双方向回線、開きます」
「シンクロ率は?」
「……だめです、シンクロ率一ケタ台、起動できません!」

やはり、違う。
放っておけば際限なくシンクロ率を伸ばしていた以前の彼女とは違う。
この子は、今の碇シンジは、今までとは別の誰かであると、そう考えるべきのようだ。

「マヤ、一次から三次までのすべてのシーケンスでの防壁を解除、バイパス路も変更して」
「通常起動ですか?」
「安全のため一応各段階ごとに順次開放してちょうだい」
「わかりました。初号機、再起動に入ります」

今は以前のシンジさんのために構築された強固なプロテクトがかかったままの状態だった。
慌てることは無い。
その状況下でも、一応はシンクロできているのだから。
おそらくすべての防壁を通常に戻せば。

「再度双方向接続に入ります。……シンクロ率、41.3%、ハーモニクスすべて正常」

これならば、十分にエヴァは動く。
彼女がはじめてシンクロした人間だと仮定すれば満足すべき数値だった。
けれど、問題は動かしてくれるかどうか。

モニタに映る彼女は、頭を抱え、俯き、震えていた。
そこにいる意味すら理解できず、こちらからの問いかけにも反応せず、ただただ、閉じこもっていた。

――それにしても、まったく、あの人が焦るなんて。

最低でも本人の戦う意志を引き出したかった。
だが、司令は彼女を問答無用で初号機に乗せたのだ。
説明する暇も、納得させる暇も与えずに、だ。

当然私もわかってはいる。
彼女を乗せるのは初号機の防衛本能、暴走を狙うためであることくらいは。
パイロットの戦う意志など必要ないということは。
けれどそれは、彼女を今回限りの捨石とするのと同義だった。

彼の言葉を反芻する。
司令は時間が無い、と言った。
何の時間が?
決まっている、使徒の侵攻を食い止めていられる時間、ここが破壊されるまでの時間だ。
零号機と弐号機もどこまで持つのかわからない、切羽詰った状況。
だから彼ですら焦った。

そう結論付けようとして、気がついてしまった。

――ああ、やはりあの人も父親なのね。

ここが破壊されるまでの時間。
我々が殺されるまでの時間。
もうどこにも逃げ場は無いのだ。

ただ、母なる初号機の胎内、そこのみを除いては、だ。

「エヴァンゲリオン初号機、発進!」

そんな事情になど気がつかないであろう少女を乗せたまま、初号機もまた、戦場へと降り立った。



『シンジちゃん、聞こえてる?』
『返事をして』

誰かがスピーカー越しに私に話し掛けてきている。
けれど今はそれどころじゃなかった。

巨大なロボットに押し込められて、周りのディスプレイが不可思議な変化を見せて。
軽い衝撃と共に映し出された、外の光景。
そこにあったのは、ドーム状の巨大な空間と、いたるところで燃え上がる森林と、3体の、これと同じくらいの大きさの化け物。
赤と青の二体は片腕が無くて、ずんぐりとしたもう一つと戦っているようだった。

『シンジ、いけるの!?』
『碇さん?』

たぶん味方なのだろう二人から通信が入る。
聞き覚えのある声。
けれどそれが誰かなんて考える余裕も私には無かった。

私はただ、怖かった。

巨大なロボットたちの戦いが怖かった。
燃え上がり灰となっていく光景が怖かった。
声をかけてくる人達も怖かった。
私を捨てた父さんが怖かった。
何より自分自身が怖かった。

今この場で、怖くないものなど何も無かった。

怖くて怖くて、膝を抱えてうずくまって。
恐怖と混乱の極みにいた私を、更にぞくりとした悪寒が襲った。
思わず視線を正面に向ける。
ずんぐりとした化け物と、視線が合った。

全身が粟立つ、そんな感覚。
体の心まで凍りつくような殺意に、体が麻痺して。

何かが、ものすごい速度で近づいてくるのがわかる。
もう避けれない。
もとより動き方すらわからない。

きっとこれでお終いなのだと、そう感じた。

ドスンと、鈍い音が響いて。

けれど私には何の衝撃も感じられなくて。

視界を覆っていた、青い背中。

『碇さん、逃げて……』

それきり、通信がぷつりと切れ、目の前の巨人が、崩れ落ちていく。
無残にも頭をつぶされ、命の灯火が消えたように。
残された腕は、布のような相手の腕を掴んで、離そうとしなかったけれど。

『あの、馬鹿!』
「ひっ」
『何してるの、あんたは早く、逃げなさいよ!』

けれどそうやって庇われても、倒れた巨人の向こう側の視線は私に突き刺さったままで。
その真っ暗な目の奥が、激しく輝き始めていて。

『躱して!』

そう叫びながらこちらに走ってきていた赤い機体が、急に動きを止めた。

『嘘、電源が!……だめ!』

彼女も、私の前に飛び込むつもりだったのだろうか。
けれどもう、その機体はぴくりとも動かず沈黙して、私はただ、それを見ていることしか出来なくて。

ついに化け物の目の奥の光が恐ろしくまぶしくなって襲い掛かった。

「うわあああああああああああ!」

その強烈な光と恐怖で思わず腕で庇うようにすると、初めてこの巨人が動いて、同じように腕で体を庇う。
でもその程度で防げるようなものじゃなかった。

「熱っ、あ、ああ、腕が、ああ!?」

左腕が今までに感じたことが無いほど、例えるなら炎の中に突っ込んだのかと思うほどの熱さを伝え、すぐにそれは骨まで押しつぶされ、引きちぎられたかのような痛みに変わった。

――何、何これ、何なの!?

腕は、ある。
なんともなって、いない、はずだった。
吹き飛んだのはこのロボットの腕だけのはず、それなのに、これは、何だ。

――もしかして、繋がっているの?

頭を割られた、青い機体の姿がよぎる。
もし同じようにされたら、私はどうなってしまうのだろうか。
乗っていたはずの人は、どうなってしまったのだろうか。

状況はもう私の想像をはるかに越えて悲惨で、最低で、最悪で、絶望的だった。
こんなのが現実とは思えなかった。

だから私は、否定した。

目に映るすべての現実を。
今までに起こったすべての出来事を。
こうして感じている痛みすらも。

そのすべてを、有得ないと、嘘だと、悪夢だと、そう拒絶し、否定した。

――そうだ、こんなこと起こる筈無い。

きっとすべては夢なのだ。
あの終わらない悪夢と同じ。
目覚めればきっといつもと変わらない日常で、私はいつものように、人々の影に埋れて、静かに生きていく。
私はただの、どこにでもいるような中学生なのだ。
巨大ロボットだなんて、非現実的なのにもほどがある。
そう、これは夢。
何か怖いテレビでも見て、それで眠ってしまったんだ。
そうに決まっている。

そうでないなら、現実なんて、いらない。


――ごめん、僕のせいで。

突然、消え入りそうな声が聞こえた。
辺りの音に比べれば本当に小さいのに、それは確かに私に聞こえていた。

――守るって、言ったのに。

何かに包まれるような、暖かな感覚。
ふと気がつくと、目に映る世界はもう、薄暗い地下空間じゃなく、不可思議な光の世界。
柔らかで、でも寂しくて、すぐにでも霞んでしまいそうな儚い光が、私を包んでいた。
自分が壊れそうなのに、必死で私を覆って、そうやって温もりを与えてくれて。

守られていると感じて、それだけで今までの恐怖が嘘のようにおさまった。
この暖かさの内側なら平気だと、そう思えた。

――少し、遅れちゃったけれど、君は、僕が守って、あげるから。

身を裂くような痛みも、遠ざかる。
闇の中、小さな光の中へ、私は落ちていく。
恐怖から逃れて、限りなく静かなそこへ、落ちてゆく。

遠くから、獣のような叫び声が聞こえた。

――ヤット、ツカマエタ。

その声が、そう言っているように感じたけれど。
もう、私には関係の無いことだった。