Migraine


第拾参話:Identity

きえたもの


「ふむ,意外と遅かったな?」
「なるほど,予測済みという訳ですか」

突然の侵入者、それも拳銃を突きつけている相手に微動だにしない。
非公開組織ネルフ副司令、冬月コウゾウ。
これで元大学教授だというのだから、人とはわからないものだ。

「あれだけ派手に動き回っていればいやでもわかってしまうものだよ。アピールだとしてももう少し穏便にできないものなのかね」
「自分の性分でしてね。それより、そこまでわかっているなら何をしにきたか、想像はついていらっしゃるでしょう?」
「ふん、選べとでもいうのかね?そんなものを突きつけて」

そんな段階は既に終わっているだろう。
ここ最近のネルフ内部での不可解な動き、そしてなにより……。

――もう一人の碇シンジ。

ターミナルドグマに隔離されていた彼女が語ってくれた内容はにわかには信じがたい物だった。
世界が終わり、人々はひとつになり、消えてしまう。
そんな終焉の世界を見てきたのだと、知ってしまったのだと、彼女はそういったのだ。
年端も行かぬ少女の妄想、そう切り捨てるのは簡単だが、現在彼女が置かれている状況と扱い、なにより自分自身の直感が、そうはさせなかった。

「いえ」
「自分ももう、選びましたからね」

真実へと至る道を。

それを探し、見つけるために生きてきたのだ。
そしてその頼りない一本の細い道を、きっと自分は見つけたのだ。
下調べすら済んでいないただの伝聞、そんなものに俺は確かに天啓を感じていた。

今までとは違う。
いくつもの組織を利用し、利用されてきた。
日本政府、ネルフ、そして、ゼーレ。

あるときは情報を流し、あるときは改変し、隠蔽しつつ、危険な綱渡りを続けてきておぼろげに見えてきたある計画の全体像、そこに一本、芯が通ったような感触。
そんな直感に賭けてみることにした。
自らのすべてを。

「上から、あなたをお連れするよういわれてましてね。少々おつきあい願いますか」

これは事実だ。
おそらくはゼーレのシナリオから逸脱し始めたネルフへの戒めとして。

「あまり長くなるのは困るのだがね?」
「大丈夫でしょう。彼らとて滅ぼされるつもりはありませんから」
「ふむ。碇の奴にはしばらく苦労してもらうとするか」

その受け答えに苦笑しながら、移動するよう彼を促す。
まったく、本当に食えない御仁だ。
彼らにとっては今の状況すらもシナリオの中に含まれているのだろう。
俺の行動はつまりは一要素の特定だ。
いくつかの可能性を消して、とりうるシナリオを確定するための。

――茶番に付き合わされているのは、こちらのほうか。

連れ出すルートを再確認しながら、ふと、あることを思い出す。

「ところで、あなたは彼女に聞きましたか?自分の最後を」
「いや、私は臆病者だからね」
「俺だって臆病ですよ」

その人の最後を知ってしまうのだと言っていた彼女。
だが、俺の最後は、わからない、見えないと、そう、どこかほっとしたような表情で答えていた。

『悲しい気分にはなるんですけど』

他人の終わりの追体験などというのは相当に壮絶なのだろう。
あの碇シンジの言葉が正しいものだと仮定したときの、現在のすべての情報から推測される”約束の刻”。
彼女がその依り代として使われた。
それが俺の出した結論。
他人を内包しえるのはそのような存在だけだからだ。

だが、きっと彼女は気がついていない。
その中に俺が含まれていないのはなぜか。
皮肉にも俺自身には簡単に出せる答え。

――俺はすでに死んでいた。

つまりそういうことだ。
なにが、だれが、俺を殺すことになるのか、心当たりは少々多すぎるが。

自分が選んだ道が同じ死へとつながるのか、そんなことはわからない。
だがそのときまで時間が無い、というのは確かだ。
すでに第十一使徒までを倒している。
終焉はもう、すぐそこまできているのだから。

――なら俺は、焦っているのか?

いや違う。
これは、覚悟だ。

暗がりへと続く扉を潜る。

――命なんて、軽いものさ。

真実を知る、そのことに比べれば、な。



「副司令が出張?」
「そうよ。また雑務が増えるわね」

リツコからそう聞かされて、内心うんざりとする。
冬月副司令がいないとなると各方面で衝突が起こるのはさけられなかった。
その上で碇司令はいつもの通りに無理難題を押し付けてくるのだから、いっそ二人ともいない方が楽なくらいなのだけれど。

「勘弁してよもう。いくら残業手当が出たってやってられないわよ、これじゃあ」

破壊された施設の修復、新たな装備の開発、そのための予算の確保。
それらを使用する側として、一見関係ないようなものまで多くの案件が寄せられている。
残業どころか泊り込みになることも少なくないのだ。
ここのところ、まともな食事も睡眠も取っていなかった。

「あら、本当はほっとしているんじゃなくて?」
「どういう意味よ?」

いきなりの棘を感じるリツコの言い方に、むっとしつつも、否定することはできなかった。

「あなた、あまり家に帰っていないでしょう。彼女が怖いのかしら?」

碇シンジ。
すべてが巻き戻された彼女を、私は扱いあぐねていた。
仕事が忙しいのは本当だ。
だが、積極的に帰ろうとしていなかったのも事実。
ネルフ以外の場所で彼女と過ごす時間は極端に少なくなっていた。

「正直、戸惑ってる。前と全然違うし、何か壁を作られてるみたいで」

前はこちらが戸惑うくらいに無防備だったのに。
今にも壊れそうなほど繊細そうで、なのに誰でも受け入れようとしていて。
そんな彼女の必死さを私も何とか受け入れて、いつの間にかそれは当然になっていて。

だけど今の碇シンジは違う。
誰も受け入れることなく、誰からも受け入れられることなく、孤独を守っている。
受け入れて、傷つけられることを、傷つけることを何より恐れている、それは悲しい処世術であり、ここにくるまで、彼女がそういった生活を送ってきたのだと教えていた。

そしてそんな彼女を受け入れる方法を、私は知らないのだった。
世界を拒絶する寂しさは、わかっているつもりなのだけれど。

「アスカもね、受け入れらんないんだと思う。帰ってこないもの」
「完全に保護者失格じゃないの」
「そうね……」

全く、言い返す言葉もない。
他人に頼らず、他人を認めず、ひたすら最高の自分を求め続けていたアスカ。
自己を誇示するか、埋没するか、方法こそ正反対だがその姿は今のシンジさんと重なるものだった。
そんなアスカが唯一認め、受け入れたのが以前の彼女だった。
それは人としてよい傾向だと思えたが、しかしそのことが逆に今の関係をひどくギクシャクしたものにしているのだろう。

「シンジさん一人で影響が大きすぎるわね。レイもあんな調子だし」

一時期に比べて、三人のシンクロ率はひどいものだった。
起動指数こそ上回っているものの、もし前回のような強力な使徒が現れたら対抗できるかどうか。
一つの歯車が狂った、ただそれだけの事ですべてが壊れてしまったかのようだった。

「私、あの子にいつの間にか頼ってたのね」
「きっとシンちゃんがなんとかしてくれるって。戦わせればあの子が傷つくのはわかってるのに」
「今更感傷にでも浸るつもり?」
「笑ってくれていいわ。でも、もう家族みたいなものだったから、ね」

家族、そう、彼女は私の家族になっていた。
セカンドインパクトで失われたはずの温もり。
そこに彼女がいる、それだけで得られる安らぎ。
それは戦場で命令するものとされるものの関係としては過剰にすぎたかもしれない。
私情を持ち込む事が危険である事はわかっていたはずだったのだが。

「なら、今の彼女とやり直せばいいわ。死んだのとは違うのだから」
「そう。そうね」

もしかしたら、私は恐れているのかもしれない。

――また、彼女を失う事になったら。

また同じ悲しみを感じる可能性。
そうならないように、今度は遠ざけようとしている。
そんな自分の無意識の行動に気がついた。

だけどもう一方で、失われた寂しさを補おうとする想いも暴れているのだ。
彼女を欲し、焦がれて、でも拒絶し、離れてしまう。

矛盾に満ちた心の狭間で、私はまだ、出口を見つけられずにいるのだった。



『今日の訓練はこれで終了。あがっていいわよ』
「はい」

シンクロテストと呼ばれる、エヴァとの同調のための訓練。
武装や施設の説明、使い方の訓練もやらされている。
あの得体の知れない、使徒と呼ばれている化け物と戦うために。

――なぜ私が?

そんな疑問に答えてくれる人などいない。
気がついたときにはもう、私はここから抜け出せないほどに深くかかわっていたのだから。
最近はそんなことを気にすることも無くなった。
学校に行って、ネルフで訓練を受けて、家に戻る。
毎日がその繰り返し。
いつしかそれが私にとっての日常になってしまっていた。
普通でなくとも、それは平坦な日々。
変化が無いという意味では先生のところにいたときとだって大して違わない。
目的があるだけましなのかもしれないけれど。

――でも、それは私の目的じゃない。

使徒と戦い、倒す、そのための準備。
このネルフという組織にとっての目的は、私にとってはどうでもいいことだった。
元々ここにくることにしたのも、父さんに会う、それだけの理由だった。
私自身はただ、代わり映えのしない日常を送れればそれでよかったのだ。
だから私はこの繰り返しの中に埋没していった。
誰かと必要以上に係わることなく、一人で生きていく。
痛みも苦しみも感じない、静かな日常を望んでいた。

けれど、そんな願いがかなえられるはずも無く。

『総員、第一種戦闘配置、対空迎撃用意』

響き渡る警報。

それだけで、繰り返しの輪は、あっさりと壊された。



エヴァンゲリオン初号機、エントリープラグ内。
搭乗状態での待機を命じられて、LCLに満たされたそこで、私は静かにモニターを眺めていた。

発令所から転送されてくる映像、その中の使徒の姿。
大気圏の外側に現れたそれは、左右に長く伸び、枝分かれした、翼、そう、まるで鳥の翼のような形状。
その全身が発光した姿は、真っ黒な宇宙を背にして、さながら神か、天使のように映った。
神の御使い、使徒。
彼らがそう呼ばれているのも頷けそうな、圧倒的な雰囲気をまとった映像。

私は、こんなものと戦わなければならないのか。
あまりも異常な存在、それが倒された姿が、想像できない。
非現実的すぎて、恐怖すら感じず、ただ、美しいとだけ感じる。
エヴァの中にいるにもかかわらず、私にとってはまだそれは、モニターの向こうの、何か別の世界の出来事のように思えたのだ。

夢見心地の感覚は、しかしすぐに現実に引き戻される。

『弐号機は超長距離射撃準備のため発進。零号機はバックアップを』

発令所からスピーカー越しに響く葛城さんの声。
プライベートのときとも、訓練のときとも違う、凛と響く指揮官としての声だ。
彼女からの命令が、自分が戦いの場にいるのだと思い出させた。

幸い、自分の乗る初号機には待機命令しか出されていない。
自分以外の二人の機体がリニアカタパルトに移され射出される音が、自分の待機するケージにも木霊する。

――二人が倒してくれれば、私は出なくていい。

実戦経験の豊富な二人なら、きっとなんとかしてくれるだろう。
そもそもほとんど訓練しかした事のない私なんて、足手まといでしかないんじゃないか。
だから私だけ待機なのだろう。

そんな後ろ向きな気持ちになりつつ、サブモニターを覗く。
そこには地上に降り立ち、用意された武器を装着する二体のエヴァの姿があった。
あれは確かポジトロン・ライフルと言っただろうか。
エヴァの半身ほどもある奇妙な形をした銃を虚空に構えて、二人は迎撃態勢をとっていた。
だが目標は射程外。
相手が動くのを、ただ待ち続ける。

どんよりとした分厚い雲から、雨粒が落ち始め、エヴァを、街を濡らしていく。
どのくらいの時間が経ったのか。
じっとモニターを凝視し続けて、時間の感覚がわからなくなっていた。
思い出したようにカウンターを見やると、まだ作戦開始時刻から半時も過ぎていない。
もう何時間も経った気がしていたのに。
体中が痛いくらい強張っているのを感じる。
自分が極度に緊張しているのだと嫌でもわかった。

待機中の、ただみているだけの私ですらこうなるのに、実際に使徒と対峙させられている二人はどんな気持ちでいるのだろうか。
私と同じように、緊張で凝り固まっているのか。
動けない事に苛立ち、焦らされているのか。
それともまさか、平常心を保っていられるのか。
他のパイロットの子達と仲良くできなかった私に、彼女達の心境を想像する事などできはしなかった。

『N2誘導爆雷による支援攻撃、来ます。閃光に備えてください』
「N2?」

低速化した思考回路が引っ張りだした知識がよぎるのと、モニターに映る使徒の周辺に複数の光芒が走ったのはほぼ同時だった。
旧世紀の核に匹敵する破壊力を秘めた爆弾。
その爆発が光り輝く使徒の周囲を彩り、いっそう幻想的な光景を演出する。
街一つをあっさりと消し去るほどの狂乱に見舞われて、しかし画面内の目標の姿はほんの少しすら動く事無く、静止画に加工でもしてるんじゃないかと錯覚するほどに変化が無かった。
あの存在があまりにも強固なのか。
それとも宇宙空間ではN2はさほど威力が出ないのだろうか。
実は通常弾頭なのじゃないかなどという不謹慎な考えまで出てきてしまう、それほど異様な光景だった。

――あんなもの、本当に倒せるのだろうか。

あれは本当に神様の使いかなにかで、私たちはとんでもない間違いを犯しているんじゃないだろうか。
ひどい仕打ちに神様が怒って、天罰を下される。
そうして世界はあの悪夢のような何も無いものに還されてしまう。

『全く、じれったいわね。さっさと降りてきなさいよ』

マイクが拾ったらしい弐号機のパイロットの呟きに我に返る。
いつの間にやら妙な思考に逃避していたらしい。
考えたところで、何か変わる訳でもないのに。
そんな自分にあきれ、苦笑しつつ、やっぱり彼女も苛ついているのだと、少しほっとする。
気持ちを切り替えようと目を閉じ、頭を軽く振って。

『きゃああああああああああああああ!?』

スピーカーから響いた絶叫に、驚いて目を見開いた。
モニターに映っていたのは、不可思議な光に照らされて苦悶する弐号機。

そして。

内側から感じる、鼓動。
ロックが砕ける、衝撃。
ケージに響き渡る、咆哮。


初号機が、私の意志を、離れた。
張り裂けそうな、心の痛みを伝えながら。