或いは何処にでも有り得た物語


「シンジー、これなんかどう?」
「ええ!?もっと普通のにしようよ」
「いまどきこれくらい地味なほうじゃない」

アスカとそんな会話をしているのは、とあるお店の水着コーナーでのこと。
当然のことながら周りにあるのはすべて女性用の物であり、生まれてこの方そんな場所に用事など無かった自分としては陳列されている商品を眺めているだけでなんだか疚しいことをしているような気分になるのだけれど。
今問題なのはその中の一つがどうやら自分用として買われることになるらしいということだった。

隣で無邪気にきわどいビキニの水着を薦めてくるアスカは、僕がついこの間まで男の子だったことを知らない。
僕は彼女から面白みの無い地味な同居人といった認識をされているらしく、ことあるごとに僕に色気というものを持たせようと躍起になってくれるのだ。
しかし女の子の自覚なんてものどころか、未だ男の子としての自覚が抜けない僕にとっては刺激の強すぎることこの上なく、そのせいで毎度アスカにいいように遊ばれてしまう。

ため息をついていると、アスカがまた新しい水着を選んできた。
問答無用で試着室に押し込まれたままで、仕方なく新しいのを試してみる事にする。
今度のもセパレートタイプなのは変わらないが、先ほどのように無駄に胸の谷間を強調して大して膨らんでいない自分の物に劣等感を抱いてしまうような物ではなく、スポーツブラのように包み込むような構造で大して派手ではない。
下の方もV時の緩いデザインで、穿く分には抵抗の無い物であり、後はシャツでも巻いておけばなんとか我慢できそうな物だった。
あの紐と布でできたようなデザインの物の後にこれをもって来る辺り、僕の心理など彼女に見透かされているのだろう。
次にまた派手な物を持ってこられる事を考えるとここいらで手を打っておくべきだった。

「……うん、これくらいなら着れると、思う」
「そう。それじゃ、ついでに服も試してみてよ」
「ええ!?」

水着の件はあっさり承諾されたけれど、其処で終わるアスカじゃなかった。
何やらひらひらしたのだとかぴっちりしたのだとか大胆なのだとか、水着を買いにきたはずなのに気がつけば僕は着せ替え人形にされてしまったのだった。



――うう、嫌だ、なんでこんなの。

売り場中の物を着せ替えさせられたんじゃないかというくらいの状況で半分感覚が麻痺してしまった中で、試着したそのままで商品を購入させられ、外に連れ出されてしまった。
今の僕の格好は淡い色のタンクトップにデニムのミニスカートという、今の常夏の日本ではおなじみの涼しげな物である。
しかしいくらそんな格好が普通であっても、自分自身が着ているとなれば話は別だ。
周囲の視線が気になり、どうしてもきょろきょろとしてしまう。

「そんな挙動不審だと、かえって目立つわよ?」
「そう言われても……」

彼女の言い分はもっともであるのだが、ここまで肌の露出した、いかにも女の子然とした服装で、こんなに人通りの多い通りを歩くなど、今までの14年の人生で初めての事なのだ。
自分の方を向いている顔を見つけるだけで、僕をみているのではないかと思ってしまう。
一つ視線を見つけると、まるでそれを十倍にしたような感覚に陥ってしまう。
そしてまた別の方向を見ると、今度は明らかに僕をみていた風な男性と目が合って、僕は思わずアスカの腕にしがみついていた。

「ちょ、ちょっとなによ?……シンジ、震えてる?」
「こ、こわい」

正直なところ、自分でもここまで余裕が無いとは思っていなかったのだけど。
自分をみる男の視線で背筋に冷たいものがはしる。
彼らからどんな風にみられているか想像して、吐き気がする。

ごく普通の健全な少年として14歳まで生きてきた男としての経験が、逆に一人の少女としての恐怖へと繋がる想像を加速させているようだった。

目についた女の子を想像の中で脱がしていく。
小さなふくらみを見せる下着姿を、その下の大して発育していない肢体を妄想する。
下世話な雑誌に載っていた淫らなポーズをとらせてみる。
乱れた時の表情を、少女の可愛らしい声を想像し、犯してみる。

自分自身の過去にそう言ったやましい出来心が皆無だった訳はなく、つまりそのような事はあり得るのだという実感が今や少女である自分の体を恐怖で縛り付けていったのだ。

「ああもう、仕方ないわね。どこかで元の服に着替えるわよ」
「……うん、ごめん」

僕の状態を見かねたアスカが折れて、そう提案してくれた。
それで少しほっとして、気が抜ける。
其処に、不意打ちのように後ろから声をかけられた。

「やあ、偶然だな」
「ひっ!」

同時に肩を叩かれて、心臓がどくんと大きく波打って、そのまま停止してしまうかと思うほどに驚き、固まる。
それは時間にすればほんの数秒だったのだろうけれど、自分にとっては恐ろしく長い恐怖の時間であり、それが解けたとき、僕は恐慌状態に陥っていた。

振り向く勇気もなくて、乗せられてた手を無茶苦茶に振り払い、奇妙な叫び声をあげつつ、意志とは関係なく駆け出してしまって、そして段差に躓き、思い切り転んでしまった。

「おいおい、大丈夫か?」

其処へもう一度声がして、今度は転んだままで逃げられなくて、ついに振り返って、相手の顔を見る。
そこにいたのは頭をぽりぽりとかきつつ、困惑気味の表情を浮かべた加持さんだった。

自分の中で何かがどっと抜け落ちたような脱力感に襲われる。
強張っていた体から力が抜けて、一緒に心の壁まで崩れ落ちて、抑えていた感情が溢れ出して、もう止められない。
気付くと僕は、地面にへたり込んだまま、加持さんに縋るように泣きついていた。



「あ、あの、加持さん、もういいですから」
「無理しちゃいけない。こういう時は甘えとくもんだよ」
「そうじゃなくて!」

転んだ弾みに足首をひねってしまった僕は、何故だか加持さんに抱き上げられるはめになってしまった。
このまま病院に行くというのは丁重にお断りして、タクシー乗り場までの道のりにはなったが、十分に人通りの多い中で男性の腕の中というのは心臓に悪いなどという次元ではないように思える。
自業自得とはいえ先の騒ぎで注目されたまま、衆人環視のただ中で俗にいう"お姫様だっこ"である。
この状況に耐えられる人間というのは、神経が図太いを通り越して鉄のかたまりかなにかでできているか、或いはそんな物持ち合わせていない人だけだろう。
道行く人の好奇の視線で僕の羞恥心の針は目盛りを振り切って、顔どころか全身が真っ赤になっているんじゃないかというほど火照っている。

「しかしまあ、君の男性不振も相当な物だな。そんなに嫌な物かい?」
「嫌ですよ。自分がどんな風にみられてるか想像できるというのは」
「こうやって抱かれてる事は?」
「正直穴が有ったら入りたい気分です」

顔が真直にある状態で話しかけられて、自分も小声で返す。
子供とはいえひと一人を軽々と持ち上げて、苦にする風でもなく歩き続ける加持さんの引き締まった体躯を感じて、僕も男として成長していけばこんな風になれただろうかなどと前よりもっと細くなってしまった今の自分に寂しさを感じつつ、現実逃避気味に考える。

「ふむ、俺に抱かれてる事自体は嫌じゃないのかな?」
「嫌ですよ。本当に恥ずかしいんですから」
「そうじゃなくて、俺だって男なんだけどな。いいのかい?」
「あ、それは、その……」

そう言われてやっと、自分が加持さんに対して性的な嫌悪感は持ち合わせていない事に気付いた。
考えてみればこの人は今やネルフ内では有名なプレイボーイで、所かまわず女性職員を口説いていると言う話である。
その意味では世間一般の男性よりももっと警戒しなければならない相手のはずだった。
けれどこの疑問に対する答えは意外とあっさり出てきた。

「多分それは、加持さんがそう言う目で僕らを見てないって感じてるから、かな」
「ほう、それはずいぶんと信頼された物だね」
「信頼ってほどでもないですけど。女としてみられてないんじゃないかって。あ、これ、アスカには言わないでくださいね」
「うん?気が回る事だな。ま、君の言う通り君らはまだ子供だからな。もう少し抱き心地が良くなると違ってくるんだろうけどね」

そう言いながら僕を抱えている右手をもぞもぞと動かされて、さすがに悪寒が走る。

「なにするんです!」
「うわっと、冗談だって。暴れんでくれないかな」
「ちょっと、なにやってんのよー!タクシー待たせてるんだからねー!」

加持さんの腕の中でじたばたしていると、先にタクシーを捕まえてくれていたアスカが声を張り上げてこちらを急かしてきた。
僕らをみる彼女の目はどう贔屓目にみても険悪といえる物で、その原因は不慮の事態とはいえ彼女の憧れの男性である加持さんにこのように抱きかかえられている事にあるくらいはすぐに察せられる。
同じくわかっているのか、加持さんは少しだけ歩調を早めて、停車しているタクシーへ向かった。
そうして、ドアが開けられた後部座席に僕をそっと乗せてくれる。

「さて、悪いが一応仕事中でね、ここでお別れだ」
「えー!?ついてきてくれないんですか?」
「また今度付き合ってやるから、な?」
「本当!絶対だからね!」

お別れと聞いてアスカは大いに落胆した様子だったが、加持さんから約束を取り付けると一転して上機嫌になって僕のとなりの席におさまった。
加持さんは発車したタクシーの窓からすぐに見えなくなって、ほっと一息。
でもすぐにさっきまでの状況を思い出して顔が火照るのを感じてしまう。

「……はぁ。それにしても、加持さんってやっぱりすごいのかなあ」
「あったり前でしょ。加持さんに比べたら世の男共なんてゴミよゴミ!」

思い切り力説するアスカにたじたじとしながらも、考える。
僕が男だったとしても、あんな事を飄々とやれる物だろうか。

――無理だろうな、たとえ大人になっても。

確かに少々変わった人だけど、ああいう事を堂々と恥ずかしげも無くやれるというだけで凡百の世の男達とは一線を画する人なのだ。
とても恥ずかしい想いで抱かれていたけれど、その間彼のがっしりとした腕と胸に挟まれて、意外な安心感が有ったと振り返る。

「……うん、ちょっと良かった、かな」
「……だめよ?加持さんは私のものなんだから!」

小さく漏らした言葉に耳聡く咎めてきたアスカを相手にしつつ、少しだけ理解してしまった頼れる男性への安心と憧れ。
尤も、これが男としての物なのか、女としての物なのかはよくわからないままだけれど。

――とりあえず、今日の夕飯はアスカの好きな物、作らないとね。

時刻はようやく午後二時を過ぎたところ。
横でふくれている彼女をみながら、もう僕はそんな事を考え始めていた。