或いは何処にでも有り得た物語


「センセ、今日の帰りゲーセンよっていかへんか?」
「昨日も1000円以上注ぎ込んでケンスケに勝てなかったくせに、また?」
「そりゃお互い様やろが。今日こそリベンジ、昨日のわいとは一味違うで」
「お小遣い無くなっても知らないよ。何にしても今日はネルフのほうで用事があるから……」
「そんな殺生な!ケンスケから借りると後が怖いねんから」
「借りるの前提にするなよ」

少々トウジはのめり込むとあと先考えないところがある。
昨日はほとんどパーフェクトで負けて、最後は完全に遊ばれていた。
そもそもゲーセンだけで無く、PCでも実機のROMをどこからか入手して修練を積んでいるようなケンスケを相手に、俄かで勝てるわけがなかった。
やり込みのレベルが違いすぎるのだ。
月の半分を残してすっからかんになるだろう彼のふところ事情を心配して何とか止めようとしたのだけど。

「男には引けん時があるんや。行くでケンスケ!」
「ま、気合入れても俺に勝つのは無理だと思うけどね」
「じゃかましい!」
「あ、ちょっと……」

どうやら昨日いいようにやり込められたのが相当に耐えかねたらしく、止める間もなく飛び出して行ってしまった。

「もう泣きついてきても貸してあげないからね……」

そう一人愚痴るが、さて、困った。
これからどうしようか、と教室の入り口で考え込んでしまった。
するとそこへ、声がかけられた。

「訓練なんでしょ?いいの、行かなくて?」
「あ、洞木さん。ええと、うん、そのなんていうか……」

黒板消しを持ったまま、少し離れたところでチャーミングなそばかす顔がおさげと共に傾げられていた。
どうやらまる聞こえだったらしい会話の内容から、なかなか動こうとしない僕の様子を怪訝に思ったようだ。
委員長などと呼ばれている彼女は、 ちょっと杓子定規ではあるけど色々と面倒見の良い性格で、普段から話すことのある数少ない女子生徒の一人だった。

「止めようとして言った出鱈目だったんだけどね。結局効果なかったみたい。でもああ言っちゃったし、今から追いかけるわけにも行かないしね」
「そう、ごめんね、あの馬鹿が迷惑かけちゃって」
「洞木さんが謝らなくても……トウジの自業自得だよ。あ、手伝うよ」
「ええ、ありがとう。助かるわ」

別の黒板消しを手にとって、右側の数式を消していく。
掃除当番などというものは既に形骸化しつつあって、放課後までこういったものが書かれたままな事も少なくなかった。
特に今日は土曜日で、たっぷりと使える放課後の時間を無駄にしたくないと言わんばかりに皆競うように出ていくのだ。
洞木さんはその度に小言を言っていたが、その効果も無くなって久しかった。
それでもこうやって消しているあたりに彼女の生来の真面目さが感じられる。
規律を守るという意味では自分も平均よりは律儀なほうだと思うけど、彼女ほどの勤勉さは持ち合わせていない。
軽く愚痴りながらも大して気にしている様子も無く掃除していく彼女を見ていて、ふと、一言漏れた。

「すごいなあ」
「ん、なにが?」
「皆嫌がるのにこんなこと何時もやっててさ、何だってテキパキやっちゃうし。僕なんかどん臭いってアスカにしょっちゅう言われてるから、ちょっと尊敬するな」
「やだあ、碇さんだって真面目だし、それにエヴァのパイロット何てやってるのよ。私なんかよりずっとすごいじゃない」
「そうでも無いけどね」

そんな会話を続けているうちに、気がつくと教室には他に誰もいなくなっていた。
部活であったり、遊びに行くのだったり、皆授業のための教室に残るより早く次の場所へさっさと向かってしまう。
セカンドインパクトも育ち盛りのエネルギーを奪い去る事はできずにいて、つまり僕と洞木さんはその皺寄せを受けている訳だけど。
でも、こうしてたわい無いことでお喋りしているのも意外と悪く無いものだった。

「そういえば、碇さんとこれだけ話すのって、珍しいわね」
「そう、かな?」

そう言われて、はたと考える。
自分の中では洞木さんはそこそこ喋っている方に分類されていた。

「そうよ。昨日やってたドラマの話だとか、おいしいお店だとか、そんなので集まっててもちっとも加わってこないし。碇さんから話しかけてきたこと、ほとんどないじゃない」

ああ、そうか。
言われてみてやっと、自分のずれに気がついた。
それは自分の立ち位置とでもいうものであって、未だ内面は昔のままでいたのだ。
つまり彼女は、"男の子として"の自分にとって、"女の子としては"よく話す相手だったという事だった。
女の子暦半年未満、駆け出しの初心者の自分では、女の子達の輪の中へ入って行こうとは思えなかったし、例え何かの弾みで中に入ってしまったとしてもとてもついていけない。

「僕なんか何話していいか分からないし、全然話題も分からないし、どうしても気後れしちゃって……」
「そうなの?でもほら、さっきとか、鈴原とかとはあんな風に話してるじゃない。男子と話す方が難しいと思うんだけど」
「それはほら、あの、僕、前は男の子ばかりのとこだったから」
「ああ、そうなんだ?でも、もう少し皆と話した方がいいと思う」
「あはは、頑張ってみるよ」

昔のことについては見事に出鱈目だけど、そもそも今の僕に該当する人物なんて過去にはいないのだからこの位の嘘はついても良いだろうと思う。
自分の身に起きた奇天烈な出来事は人に知られたくは無かった。
知られれば全部が変わってしまうような、そんな気がするから。
もっとも、誰かが気付くかもなどと言う心配自体が杞憂というものかも知れないのだけど。
だからその時次に自分が言った事には自分でも驚いてしまった。

「あ、そうだ。もし時間あるなら、うちに遊びにこない?」

いつからか彼女にはもう心を許している部分が有ったのかも知れない。
それとも、アスカとは違う普通の女の子とゆっくり話をしたかったのかも知れない。
ともかくもその提案を僕は悪いものとは感じなかった。

「いいの?今日はアスカ居ないんでしょ?」
「うん、ミサトさんと一緒に出張だって。二人ともいないとちょっと寂しいけどね。それで良いならだけど」
「それじゃ、せっかくだし少し賑わしに行っちゃおうかな。なかなかそんな機会も無さそうだし」

そう言った彼女はカタンと花瓶を教卓の横の定位置に置き直した。
教室は、整然とした雰囲気を取り戻していた。



「じゃあ、家事は殆ど碇さんがやってるの?」
「うん、他の二人に任せたら結局やり直しだとかが多くって、いつの間にかね」

普段の愚痴を聞いてもらいながら、材料をぶつ切りにしていく。
二人して並んだキッチン、彼女はコンロの方で卵焼きを巻いているところだ。
慣れというものか、洞木さんは微細な力加減の手元に集中したままで、だけど口の方も止まらない。

「へえ、葛城さん、格好いいのに意外ねえ」
「僕達しかいないとだらしないっていうのがどう言うのか体現してくれるよ。脱ぎっ放しの食いっ放しで片付けないし、ゴミは捨てない掃除しない。その上料理をさせたら壊滅的な味になるし」
「うちのお父さんより酷いわね……」

洞木さんがひょいと慣れた手つきで綺麗に仕上がった卵をまな板に移す。
入れ替わりに、今度は僕が火を入れてフライパンを振るった。

「そういう訳で、やらないと生活の危機になっちゃうんだ」
「まあ、うちもわたしがいないとすぐに無茶苦茶になるしねえ」

学校からの帰り、アスカとミサトさんと僕とで暮らすマンションに直行した僕達は、少し遅いお昼御飯を作る事にした。
卵焼きを洞木さんが作ってくれているのは僕のリクエストで、彼女のお弁当によく入っているそれの出来がとても良いのを思い出したからだった。
ようやく料理というものの抵抗感は無くなったといっても、まだまだ見栄えまで気が回らずにいる自分にとって、手早く確実に巻き上げられたその造形は一つの理想型のように思えた。

「基本的には火加減とタイミングね。お箸ではちょっと難しいなら、コテを使うと楽ちんだけど」
「そっか、そう言う使い方があるんだ」
「洗物増えちゃうけどね」

そんな主婦の裏技を教わりながら、有り合わせの材料を放り込んだ炒め物も出来上がった。
ちょっと女の子の食事としては色気がないかもしれないが、そこは今後の課題だろう。
早く他の人に出しても恥ずかしくない物を作れるようになりたいものだと思いつつも、料理は順に食卓へ並べられて、僕達は揃って席についた。

「いただきます」
「いただきまーす」

すでにお昼と言うには随分と遅くなっていて、二人とも腹ぺこだった。
見る見るうちにお皿の中身が少なくなって行く。
……もう少し薄味でもよかったかな。

「うん、そうね。でもこれも美味しいわ」
「ありがと。もっと美味しいもの作れるように頑張ってみるよ」
「あら、それじゃ私も負けられないわね」

そう言われても、この絶品の卵焼きを再現出来るようになるのは、相当先の話だと思う。
でも、同年代の女の子に具体的な目標がいる、と言うことが良い励みになったのは確かだ。
お互いの作った物を頬張り、あれやこれやと褒めあったり助言をもらったり、普段の食事とはまた違う楽しい時間が過ぎて行く。

彼女と話すのはそんなに疲れずに済む。
積極的に話しかけてくる割に、ある程度の距離感を保ってくれるから。
近すぎず遠すぎない他人との距離を取ることが、僕はうまく出来なかった。
あまりに遠過ぎたり、不用意に近すぎたり。
昔からそうだったのだ。

「ん、どうしたの?ボケっとして」

少し上の空になっていたらしい。
こんな時でもそんな方向に考えの行ってしまうのも悪い癖だった。

「ああ、ちょっと考え事」
「何々?」
「何でも無いって。ただ、洞木さんとは話しやすいなって」
「料理の話だからじゃない?共通の話題ってそういう物でしょう」

そういわれれば、確かにそういう部分もあるのだろう。
知らないこと、興味のない話題というものは中々ついていけないものだ。
そしてそう言ったものは、少なからず周りの影響を受けて、無意識のうちに育てられた物であることが多い。
男としての14年間、女の子たちの14年間、性別の持たらした環境の差は既に自分の中で一つの軸として根付いている。
その差を、僕は乗り越えていけるだろうか。
そう考えると、またもや暗鬱な気分になってしまう。

「……仲良くなんて、出来るようになるのかな。
普通の女の子の事なんか、何も分からないのに」
「碇さんて結構悲観論者よね。大丈夫よ。私とは上手くやれてると思わない?アスカとだって仲が良いように見えるし、それにあの綾波さんとだって友達でいられるんでしょ」
「うん、でもそれは……」
「でもじゃないの。あなたはいろんな人と仲良くなれるのは間違いないんだから。
ほんの少し勇気を出せば、それだけでお喋りの輪に入っていける。
ほんの少し興味を持てば、後は皆が引っ張ってくれる。
そうすれば、いつの間にか皆友達になってるわよ」

はっきりと断言されて、僕は反論できなかった。
一歩踏み出す勇気、それが僕には足りないのかもしれなかった。
仲良くなることより、うまくやれないことのほうを心配して、失敗するより今のままがいいと思って。
でもすこしだけなら、がんばれるかもしれない。

「……そうだね。トウジ達とはあんな風に話せるんだし。きっと、なんとかなるのかな」
「そうよ。男子と自然に話せるのって、すごいと思うわよ?」
「話題が合うんだよ、きっと。さっき言ってたじゃない」
「そうなのかもしれないけど……あ、そうだ、普段鈴原とどんなこと話してるの?」

改めて聞かれても、そういうのは意外と即答できないものだった。
それらはいたって普通の、くだらない冗談の集まりみたいなものなのだから。

「うーん、ゲームだとか映画だとか、たいしたことじゃないよ。宿題は結構見てあげてる気もするけど」

こうやって要素だけ取り出しても、やっぱりパッとしない。
ここだけだと、男でも女でもそう変わるものじゃないだろう。

「そうかあ。じゃあ、どんなのが好きなんだろう」

そう聞かれて、自分の中のトウジという人物像を見返してみる。
こっちにきて初めての友達の、自分の知っている姿を。

「やっぱり、アクションだとか、スパイ物だとかが好きなのかな。あ、実はホラー系はダメみたい。本人は強がってるけどね」
「へえ、やっぱりそうなんだあ」
「そうそう。体力はあるけど意外と運動神経はないし、律儀な割に忘れ物が多いし。ガサツなのだって、無理に男っぽくふるまってる感じでさ」

トウジの所も母親はいない。
だからこそ、虚勢を張って、彼なりに必死に生きてきたのだろう。
彼にはまだ小学生の妹がいて、そのことがより一層そういったところに拍車をかけたのだろう。
僕が傷つけた彼の妹。
シクリと、胸が痛んだ。

「……本当は、妹想いで、やさしくて、とてもいい奴なんだと、僕は思うよ」
「うん。そうよね。アイツ、やさしい、よね」

強く同意した、その時の彼女の顔は忘れられなかった。
とても柔らかく、嬉しそうに微笑んでいたから。
その意味はわからなかったけど、とにかく洞木さんもトウジを嫌ってはいないのだとわかったから。

彼女を家に読んだのは、彼女とこうやって話せたのは、良かったと思えた。



結局その後も料理の話題に終始して、ちょっとしたこつであったり、あるいは手の抜き方であったり、裏技的な物もいろいろと教えてもらえた。
まだ気負いのある僕に対して、毎日やる事だからと力を抜くようにとアドバイスももらった。
他にも僕の趣味の事、例えばクラシック音楽だとか、小さい頃から続けていたチェロだとかの事も話して。

彼女の事も聞いた。
実は三人姉妹の真ん中なのだとか、飼っている犬の話だとか。
家には無いゲーム機を持ってるというのは少し意外だったかな、そう言うのをやるようには思っていなかったから。
そう言ったら逆に意外そうに、「結構みんな持ってるのだけど」と言われてびっくりしたり。

女の子との、女の子としての楽しい時間。
そんなものを、もしかしたら初めて僕は知ったのかもしれなかった。



うん、楽しかった。
そう思いながら、下駄箱に靴を入れて、校舎内へ入る。
ざわざわと騒がしい、いつもと同じ朝の時間だ。
だけど僕は教室の前で少し、深呼吸をした。

すると、ポン、と肩を叩かれた。

「センセ、おはよ」
「うわっと、あ、おはよう、トウジ。ケンスケは?」
「知るかい、あんな奴、あんな奴……」

どうやらコテンパンにやられたらしい彼は、一気に落ち込みながら教室に入っていく。
その後ろに続いて入ると、いつも通り先に来ていた洞木さんと、目が合った。

「あ、おはよう、洞木さん」
「おはよう、碇さん」

こんな簡単な会話すら、今までなおざりだったと気がついた。
如何に自分が女の子達から遠ざかってたか。
だけど一歩、踏み出そう。
自分の中の勇気を、そして彼女を信じて。
きっと、大丈夫。

「おはよう、皆」

今までいうことが出来なかった言葉を、女の子達にも向けて。
まずは一歩、踏み出した。