或いは何処にでも有り得た物語


「喜べ、男子諸君。今日は私からの大盤振る舞いよ」

挨拶もそこそこに突然壇上に立ったアスカの高らかな声が響く。

今日は2月の14日、そう、バレンタインデーというやつだ。
何時もより少し早めに登校したアスカと僕。
理由はまあ、言わずもがな。
同じく普段より早い到着を果たしたクラスメイト達がそちらに目を向けた。

と言っても、全員と言う訳では無い。
彼女より先に、既にチョコを配り始めていた子が何人かいて、ちょうどそう言う子から受け取っている最中であったり、或いはもう、意中の人物からの贈り物を受け取って満足げにしていたり。
出遅れ気味になったらしいアスカに対して周囲の反応は意外な程鈍かった。

「何よあんた達、こんな美少女からのチョコがいらないっての?」
「だってなあ……」

プライドを痛く傷付けられた様子で拗ねた様なーー或いは脅す様なーー口調で問い詰めるアスカに対して、半分呆れの入った溜息が応えた。

「何ヶ月一緒にいると思ってるんだよ。流石に外見だけじゃ誰もよっていかないぜ?」
「そうそう、惣流から貰ったりしたら後が怖いからなあ」
「何よ失礼ね。あたしってそんなに信用無い訳?」
「じゃ、貰ったらお返しの方は?」
「勿論十倍返し、全員ね」

さらりと言ってのけた彼女に、うへぇ、勘弁してくれと、次々に抗議の声が上がった。

「これでも愛情こめた手作りチョコなんだから、当然でしょ」
「何を10倍にしろっていうんだよ。大体、それ作ったの碇だろ?」
「私だって手伝ってるわよ!」
「碇謹製なのは否定しないのね」

野次の中から相田君が入れた突っ込みにアスカがグッと詰まった。
そう、結局あのチョコを作ったのは僕だった。
一応アスカの名誉の為に言っておくと、材料を買ったり準備をしたのは彼女の方だ。
だから少なくとも材料費分位の要求をする権利はある筈なのだったが、肝心な所を任せてしまったという後ろめたさはあるものらしい。
あのアスカが、あの程度の理由で窮するなんて。
その様子に気を良くしたのか、面々が更に追い討ちをかけた。

「ああ、でも碇からのチョコだと思えば、貰ってもいいんじゃないか」
「お、確かにそれもそうか。味の方も外れって事はまず無いだろうし」
「ちょ、私よりシンジからのが良いっていう訳?」

妙な会話の流れから、一斉に男子生徒がこちらを振り向いた。
部外者気分で聞き流していた中、突然の注目。
中ば何も考える事なくいた所の不意討ちに、間の抜けた表情のまま真正面から視線を受け止めてしまった。

「うん?言われて見ればその通りかも?」
「確かに付き合うなら碇の方が色々と」
「い、色々って、なんだよそれ」

上から下まで舐める様に観察する彼らの視線に、思わず椅子を引いて後退った。
いくらクラスメイトでもそう言った見られ方は勘弁願いたかった。
ましてや、男と付き合うなんて。

「あ〜、無理無理、あんたら全員脈無しよ。そもそもこいつったら、義理チョコの一個も持ってきてないんだから」
「惣流の分は作っておいて?そんなご無体な」
「うふふ、そうよ、シンジは私の為に、私の為だけにチョコを作ってくれたの。そう、いうなれば私はただ1人の本命チョコを受け取った人物!」
「人の本命をホイホイ配るの!?」
「つまりシンジは私のものなのよ!」
「スルーされた!」

むしろみんなスルーしてください。
思わずそう叫びたくなるカオスな状況。

「ふん、だがそれならそのチョコを手に入れれば……つまり碇の本命チョコは俺のものって訳だ」
「ちがうから、完全にズレてるから」
「この際惣流の10倍返しより碇の本命。ホワイトデーはくれてやる。だからそのチョコ、貰い受ける!」

訳のわからない場の乗りに、既に全員が飲まれている。
それはアスカも例外じゃ無かった。

「分かったわ、そう言われちゃあこっちも引き下がれないわね。10倍ってのは無しにしてあげる。ただし……」

勢いのままにチョコの入った袋を引っ掴んだアスカが壇上から飛び降り。
一瞬で教室の外へと飛び出していく。

「私を捕まえられたやつだけね!」
「あ、くそ、逃げたぞ!」

颯爽と走り去ったアスカの後ろ姿を追いかける無駄な熱気を漲らせた男子諸君。
僕はと言えば何かもういろんな物を置き去りにしたままの展開に唖然とする以外に何も出来なかった。

「あーあ、何やってるのかしら。もうすぐチャイムなるって言うのに、もう」
「あ、本当だ、もうそんな時間……」

洞木さんの言葉に時計を見やれば、早く来た分の時間などもうとうに使い切っていた。
こうして、塊となって過ぎ去った不毛な熱気は、非情な授業開始のチャイムと、教師の怒声によってあっさりと鎮圧されたのだった。



「はぁ、何よもう、 没収だなんて」
「見つかったらそうなるって、アスカだって知ってたでしょ?」
「しょうが無いじゃない、ああなったら引っ込みなんてつかないわよ」

その日の下校中。
結局、発案アスカ、製作僕のチョコレート達は、教職員の皆様に配られる形となり、この騒動は終わりを見た。
担任の老教師が一口サイズのそれをこれ見よがしにパクリと飲み込む様を、涙ぐみながら恨めしそうにしていた面々についてはもはや呆れを通り越してしまったけど。
あの場の勢いかと思っていたのに、そんなに欲しかったのだろうか。

「なんで僕のなんか欲しがるんだろ」
「そりゃま、色々とね」

ボソリと小さく呟いたのが聞こえたらしい。
アスカが男子生徒と同じ言い方で答えてきた。

「自分のスペック位把握しときなさいよね」
「そんなの、言う程の物持ってないと思うけど」
「奥手で真面目、その割には男子ともフランクに会話してるし、家事は万能料理も美味い、更に僕っ子属性付き。容姿だって地味だけど普通に可愛い。ちょっと体型は貧弱だけどね。フェチ入ってるけど十分ストライク狙えるわよ?」

色々と、の具体的内容を指折り数えていく彼女。
今朝の男子と同じ種類の視線が僕の体の上から下まで舐めまわしていく。
背筋から寒気がして、思わず体を引き、肩を寄せて身を庇った。

「……あ、ごめん、あんたまだそう言うのは駄目なんだ?」
「大丈夫、昔よりは随分慣れたから」
「別に知ってる人間の前でまで無理しなくていいのに」
「本当にアスカに見られる位は平気だったんだけど。ちょっと、今朝の事思い出して」
「ああ、あれはちょっとね……って変な流れになったの私のせいか。やっぱりゴメン、謝っとく」

頭をポリポリやりながらそう言う彼女に曖昧な笑顔で応える。
実際、人間どんな事にも慣れるものだ。
擦れ違う人々の視線を無視できる程度にはなったのだから。
けれど、やっぱり自分から見られる対象になるつもりなどある筈もなない。
いやむしろ見られない対象になろうとしている自覚すらあるのだ。
だから女子の一員として男子にチョコを渡すなどというのは当然積極的に避ける行為の一つだった。

「けど、どっちにせよそういう対象に見られてるんだよね」

はあ、と深く溜息をついて、虚しさを吐き出した。
去年まではほんの少しの期待位はあった筈の日だったというのに。
自分が期待される側に回るなんて、どうやったら想像できたろうか。
悪気があるのかわからないアスカに拗ねた表情を返しながら、我が身の不幸を思い返してしまう。

その時、ふと思い浮かんだ考え。
きっとそれは、こちら側にいる事に対する、ちょっとした対抗心が産んだもの。

「そうだ」
「ん、どうしたの?」
「じゃあお詫びって事でさ、チョコレート、僕にプレゼントしてよ」
「私からあんたに?女同士で?」
「そ。良いでしょ」

そう言われたアスカは怪訝な表情。
それでも少し思案したあと、改めてこちらを困った様に見返した。

「そう言ったってさあ、準備も手持ちも無いんだけど?」
「うん、だから買いに行こうよ。きっとセールもやってると思うし」
「そんなのでいい訳?ま、あんたの気が晴れるってならとやかく言わないけど」
「良いよ、僕からも何かアスカにプレゼントするからさ」

そう言われて、今度はキョトンとした表情になったあと、彼女は小さく吹き出した。

「はは、あんたらしいわ。結局貰うのは私だけなんて。クラスの男共の嘆く姿が見えるわ」
「言っちゃ駄目だからね。ばらしたら晩御飯がどうなるかわかんないよ」
「ああ、ずるい、その手段は無しよ!」

ようやく陽射しも緩んできた午後の時間。
そんな事を言いながらも、既にめぼしい店は決まっている。
昨日も買い出しに出かけたあのお店。
自然と僕らの足は駅前の商店街へと進路をとっていた。