或いは何処にでも有り得た物語


「さあ、着いたぞ」
「すいません、加持さん。迷惑じゃなかったですか?」
「そんなことないさ。君等もいい機会だろうし」
「加持さーん、色々、教えてくださいね」
「ああ、まずは軽く準備してからな、アスカ」

彼に連れられて、車から降りたそこは第3新東京市を望む高台の一角だった。
時刻は夜中、22時を回ろうかという頃。
眼下の要塞都市の光は規模の割りにまばらで、少し寂しい。
けれどその代わりだとでも言わんばかりに、頭上には満天の星空が広がっていた。

「良かった、綺麗に晴れてる」
「絶好の観測日和ってやつだな」

トランクルームから取り出したシートを広げつつ、加持さんも相槌を打った。
雲はなく、月も既に沈んでいる。ここからなら街の灯もそう目に入らない。
まさしく絶好の天体観測日和だ。

加持さんを手伝い、シートをピンと伸ばす。
そこへアスカがクッション材をポンと放り込み、いの一番に寝転がった。

「こんなところで寝転がるなんてちょっと新鮮かも」
「本当にね。何か変な感じ」

一番目の特権と言わんばかりにゴロゴロと転がるアスカに同意しつつ、僕も自分のスペースを確保してクッションの上に膝をついた。
確かに普通野外で寝るなら寝袋だろうと思う。
加持さんに言わせると、「場所も重量も問題ないなら、快適な方を選ぶさ」だそうだけど。
車のワゴンに積み込む時の会話を思い出しつつ、そのままアスカの隣に座る。
と、唐突にその隣から声が上がった。

「あ、あれ見て!」
「えっ?」

アスカの方を振り向き、次に慌てて彼女の指差す方へ視線を向けた。
けれど当然と言うべきか、そこには既に何もない。

「もう見つけたの?アスカ?」
「へっへー、私が一番ね。見逃しちゃった?」
「あっという間だから、言われたあとじゃ遅いみたい」
「そっか。……あ、また流れた!」

目敏いアスカの見つけた二つ目の流れ星も、どうやら僕は見逃したらしい。
今度は会話の最中、丁度彼女の方を見ていたところだったから仕方ないのだろうけど。
少し不満げな息が漏れてしまう。
次こそは、そう思いながらすいと星の瞬く夜空に視線を戻す。
その瞬間だった。

『あ!』

声をあげたのはどちらが先だったろうか。
僕らを飛び越すように真っ直ぐ後ろに流れた一条の光が目に焼き付いた。
残光が消えて、アスカに振り向いて、互いの指差す先を見て。
もう一度お互いに向き直ると、自然に笑みが溢れた。

「今年は、よく見れそうだな」
「……ええ、雲もないですし」

まだ立ったままで空を見上げている加持さんの言葉に、少しだけ声のトーンを落として答える。
それは彼の声音に感情を努めて消しているような気配を感じたからだった。

ーー当然、なんだろうな。

今宵、僕達が観察しているのは、いわゆる流星群と呼ばれる天体現象だ。
普段はそうそう見れないはずの流れ星が、簡単に見つかる位に沢山発生するのだ。
流星雨とも呼ばれるそれは、夜空の一点から広がるように僕らの頭上に降り注ぐ。

それぞれの光の粒は、元々は宇宙に漂う細かな塵。
固まりとなって飛んでいた宇宙の塵芥、そこに地球が突っ込んでいく為に、地上から見上げる小さな範囲ではまるで一箇所から吐き出されているかのように見える。
だから大抵の流星群にはその中心に見える天体や星座の名前が付けられる。そうでなければ、その塵を作り出した彗星の名前だとかを冠する事になる。
今僕らが見ているのは、蛇使い座第二流星群と分類されるもの。
三月の空を彩る、蛇使いの蛇の尾から生まれる光の雫。
けれど、その名前を使う人はほとんど居ない。

「まだ始まったばかりだ。直ぐに涙の数を数えるのも馬鹿らしくなる」

涙。加持さんは流星をそう表現した。
彼だけじゃなく、大人たちは皆これを『死者の涙』と言い表す。
死者、何の死者か。言うまでもなく、一つしかない。

セカンドインパクトの残照。
この流星群の正体は、15年前の大衝突の名残なのだ。
爆発で宇宙にまで打ち上げられた物質のうち、丁度地球と反対回りの軌道に乗ってしまった残骸が半年後に再び地球に舞い戻って、生まれ出た星の大気で燃え尽きているのだった。

僕は知ってる。
セカンドインパクトに関して、加持さんば複雑な感情、それもあまり良いものではない感情を持て余している。
他の多くの物事では見事に悟らせない加持さんの、隠しきれない珍しい感情。
もしくは、隠せないと開き直ってしまった感情だろうか。
未だに立ったままの加持さんを見上げる。
けれど、僕らと同じに彼も空を見上げていて、その表情は判らない。

「……そろそろ、時間だな。こっちを見てる場合じゃないぞ、シンジくん」

ばれていた、そう思う暇はあまりなかった。
彼の言葉から間をおかず、アスカが驚嘆の声を上げたのだ。

「嘘、うわ、なにこれっ!」
「すごい、本当に空が泣いてるみたい」

僕もまた、その光景に溜息にも似た深い息をつく。
突然に現れる光の数が爆発的に増加したのだ。
あちらにも流れ星、こちらにも流れ星。
夜空のどこを見ようとも、光の筋が降り注いでいる。
それはまさしく流星の雨、それも豪雨と言うべきもので、これが死者の魂が流している涙だというなら、やはり号泣と言うべきものだろう。

「アスカは見るの初めて?」
「きっとそうね、こんな光景、記憶にないもの。シンジは?」
「前に一度、小さい頃にね。でも、ちゃんと見るのは初めてだよ」
「そりゃあ残念だったな。昔はもっと凄かったぞ。これでもこの泣き虫さんも随分落ち着いたもんさ」

そう言う加持さんの表情はやはり判らない。
けれど、きっと星空よりもっと遠くを見つめる眼をしているのだろうと思う。

僕達がこんな圧倒的な天体ショーをほとんど見たことが無かったその理由には薄々気が付いていた。
見なかったのでは無く、見せないようにされていたのだろう。

初めの年、流星は夜空のことごとくを埋め尽くす光の奔流であったという。
余りに圧倒的過ぎるがために、それは大多数の大人たちのトラウマとなり、それ故に忌避すべきものとして扱われたのだ。
加持さんのように、真っ直ぐ受け止められるほど強い人間など、そうはいない。
だから世間にはこの『涙』にたいして無意識の合意のような物が蔓延っていて、そうした空気に僕達子供もまた引き摺られて生きてきたのだ。

でも。

「きれいですね」
「ホント、すっごい損してた気分」
「ん……そうだな、君らにはそう見えるか」

僕達の世代も、忌避感はある。
でもそれは伝聞としての、想像の中での出来事と、周辺の人々の雰囲気から生まれた、ある種の幻想によって形作られているもの。
実体験を経ていない僕にとって、それは意識を縛りきれない。

「ただゴミが燃えてるだけだって、分かってんのにね」
「理由も原因も、あんまり関係ないんじゃ無いかな。これがさ、綺麗で凄いって思えるのに」
「それはそれ、これはこれってね。感動して何が悪いっての」
「そりゃあそうだ。君らがそう言ってくれると、俺も少し気が軽くなる」

いつの間にか後ろにまわっていた加持さんが、僕たち二人の間に割り込んできた。
背中から右肩を抱きかかえられて、ビクリと身体が一瞬硬直する。
それがきっと加持さんにも伝わったと思い、慌てて左にある彼の顔を窺うと、少しニヤついた横顔が目に入った。
どうやら、この反応まで全てお見通しだったということらしい。
そう分かると脱力感から、深い溜息が漏れる。
逆側では同じように肩を抱かれたらしいアスカが甘えるように頭を彼の逆の肩に預けているのも見える。

ーーきっとそれも、加持さんにとっては予定通りの反応なのだろうな。

そんな詮索をしていると、もう一度加持さんの視線がこちらに向いた。
眉をあげてひょうきんな表情をつくると、少しおどけた、いつもの調子の声が続く。

「ほらほら、まだまだ泣き虫さんは泣き始めたばかりだ。こっちばかり見ている場合じゃあないぞ」

最後に小さくウィンクして夜空に向き直った視線を追って、僕の視線も上へ向かう。
流星の群れは次から次へと現れては消え、普段夜空に瞬く星々よりなお明るく、一瞬の軌跡を何度も描いては消えていく。
一つだけなら儚いはずのそれらも、こうも多いと物悲しさなど浮かんでこない。
ただただ、その美しさに見惚れてしまう。

「……加持さん、この光景も、いつか見れなくなるんですよね」
「そうさ。あと十年もすれば他の流星群と大差ないものになるって話だ」
「ま、そうよね。セカンドインパクトの名残に過ぎないんだし。消えた方が清々するって人もいるだろうけど」
「アスカもそう思う?」
「なんで?どっちかというとなくなるってのはもったいないって気がするけど」
「そっか。僕もだよ」

アスカと同じ感覚を持ち得たことに対する奇妙な共感。
世の中でどう言われても、僕達の感性はきっと正しい、そう思える。

「そうか、頼もしいな、二人とも」

間に挟まれた加持さんの言葉。
頼もしい、と言われても、よく分からず、また加持さんの方を振り向いてしまう。
同じように思ったか、反対側のアスカとも目が合った。

「俺らじゃ、どうしても割り切れないからな。でも、出来ればこいつが泣き止んでも、今日のこと、覚えておいてやって欲しい」
「忘れません。こんな綺麗なもの、忘れる方が難しいですよ」
「加持さんとの思い出の光景を忘れる程、私薄情じゃないですよーだ」
「ははは、そりゃありがたい」

そんなやり取りをしつつ、また夜空を見上げる。
生まれて消える沢山の流れ星は、先ほどまでと変わらずそこで光を織りなしている。
衰える気配もなく、静かに降り注ぎ続けている。

星々と化した魂が泣き止むには、まだ暫くかかりそうだった。