設定小話

163の中の人

一つのファイルとしてまとめるにあたり、ちょっとした裏話でも。ネタばれも多数なので注意。

毒電波の話

突如として襲ってきた毒電波ですが、つまりはTSシンジ物のシンジの初期設定をつくってみたら勝手に頭の中で暴れだしたというわけで。

そもそも何を考えたかといいますと

この状態を発生させるために

として、更に

これだけ捏ね繰り回して誕生したのがこのFFでのシンジちゃんなのです。

つまり一応碇シンジ君ではあるのだけれど、精神的にはEoE体験後のトラウマを背負った子なのですね。 しかも本人にその自覚がない。
女の子シンジであり、精神的にはTSシンジであり、憑依物ですらあると言う。 実際のところ、多少どころでなくやりすぎた感があり、書いている本人が彼女の暴走っぷりに振り回されまくっているわけですよ、ええ。

ダブルシンジの可能性

初期の設定として、女シンジ×男シンジ、LSS?とでも言える設定が存在しました。 しかし男シンジとしての体が存在しない以上、発生させうるのは某400%で溶けた辺りを使うしかありません。 ところが実際に小説を書き始めると、あることに気が付きました。 このシンジちゃんは、”自分が男であったことすら知らない”のです。 ということはつまり……という訳でして、さてどうなるやら。

タイトルのお話

タイトルがないとしまらない、という理由でつけられたタイトル、それが『Migraine』
単純にMigraine=偏頭痛という意味です。 魂の記憶のフラッシュバック、その際に偏頭痛が起こると設定した時、同時にこれをタイトル採用しようと言う心の中での打算があった気がします。
タイトルというものは本来いきなりずばりと決まるものでもないと思うのですが、FFであること、ある程度作品内で普遍的な意味を持つものということで、採用にいたりました。

皆で幸せになりましょうよ

某警官ロボット物の隊長の言葉ですが、ある種の悪巧みを含んだこの一言は大好きだったりします。 やはりハッピーエンドがいいよね、と書き進めてるわけですが、もう一つ、作品として共通するテーマとして「誰も死なないほうがいいな」てなものがあったりします。 誰も死なないということは、山場での波が甘くなってしまうということでもあるのでしょうが、本編で皆殺しやっちゃってるし、FFで位幸せにしてあげたいなと。しかしそのツケが碇シンジちゃんに回ってきているのは皮肉な話です。

彼らをどう救うか

本作は設定上、碇シンジの変化以外に本編との差異がありません。その状況でいかにハッピーエンドに持っていくか、が焦点となっています。
しかも普通の逆行系と違い、どちらかというと性格再設定の再構成に近い作りです。つまり彼女自身はハッピーエンドを目指して歴史を改変する、なんてことはこれっぽっちも出来ません。楽天家でも恐怖の大王でもなく、異常なシンクロ率を持っているとはいえそれはプラス方向には働いてくれません。ついでにいうと王子様ならぬお姫様な状態にもならないように進めています。
ただ、存在理由として必死に生きようとする彼女の姿が周囲の心理に影響を与え、状況を変えていく。 改変系のお約束の言葉で表すと、『もし、碇シンジががんばる脆弱少女だったら』とか言う題目になるような気が。

ストーリーの短縮について

ど素人がエヴァのストーリーラインをたどっていく上で最大の問題。 それは、物語としては十分に長いということ。
非常に単純な事ながら、多くのFFが完結できずにいる理由でもあります。 そこで、書き始めの時点からエピソードを削っていくことを考えていましたが、これが中々難しい。 基本的にして最大の問題は、ストーリー上重要でない部分には、ネタとして重要な内容が往々にして含まれているということでしょうか。 また、本作はアニメ版を元として書き進めていますが、使徒を減らして尺を短くしようとした場合、どうしても漫画版と同じ削り方になるというのも気になっていたりします。
しかしまあ、原作があり、それをなぞっている形である以上、まったく同じ展開ではだれるし冗長です。 そう言うわけで以下の使徒については飛ばしてしまおうと決意した次第。

見事に漫画と同じですが。 戦うたびにぼろぼろになっちゃうシンジちゃんなので、減らすと少しは怪我を減らせるなどということもあったり。
まあ、それぞれについて来る小ネタについてはどこぞでフォローするかもしれません。

現在までに改変されている部分(2007/12/01)

シンジ自身の設定以外でこっそり書き換えてしまった部分。

関連して、改変された使徒戦(2007/12/02)

基本的流れは本編と同等に流れているので、使徒戦もそのまま……だと面白くないということで、ほぼ本編を踏まえつつも、状況の変化に合わせて微妙に変化してたりします。以下、それなりに変化している部分について。

人称の問題

自分で言うのもなんですが初書きで一人称で書いていくとか言う暴挙に出ています。 正直三人称でやっていたほうが楽だったろうと感じることは多いんですが、開き直って三人称を禁止して進めていたりします。 某女装ネタはその憂さ晴らし的な意味も有ったり。 その代わりというか、自分の限界というか、1シーンごとに主体が変わる構成が多くなっています。 カメラが一人に固定されるなら、カメラごと動かしちゃえみたいな。 擬似三人称になっちゃってますね。 一つのシーンを形にしてから別視点に飛ぶように意識しているので、視点の混入はしていないとは思いますが、なんとも不安定な小説になってしまっている。 また、現在誰の視点であるかを明記していないため、いかにその人物を匂わすかを意識しながら書いています。 文体そのものは硬めで同じ調子で続けているので、読者にとっては毎回把握しなおすのが少々大変になっているかもしれません。

第伍話の、02,03はそう言う意味で書き方としては実験作です。 02はシンジ以外の人物による一本丸まるの一人称固定、03は一定分量ごとに二人が切り替わるパターンを採用していますが、03はやりすぎというか、失敗した感がぬぐえません。精進せねば。

見せるべきか、隠すべきか

人称問題と関連しますが、視点を切り替えると、他人の行動はその人物から見える範囲以上は書けず、他人の心理はその人物の想像に過ぎない内容を書くことになります。 でも逆にいえば、視点を切り替えてしまえば切り替えられた前の人物の心理を正確に描写する必要はなくなるということで。 またある人物の主観的な視点から別人の客観的な視点に切り替えることも出来るわけで、視点切り替えの多用の効果はこの辺りにあるのじゃないかと思っています。
あまりに主観的過ぎるとか、描写が蛇足だという理由で執筆途中で視点を変更されたシーンは多々あり、preが取れるときなどはその辺りに調整が入っていることも有ります。

時間の流れ

ほとんど私自身の書いていての反省コーナーになっちゃってますが。 しばしば状況描写から心理描写に移り変わったりする際に、時間の流れが急激に変化してしまうときがあります。 そこから更に状況が変化したりしてもう収拾がつかないという。 書いている本人が、見苦しい、つっかかる、判りづらいとして何度も改定を入れてしまうわけですが、それでも直せないんですよねえ……。

彼女にとって当然なこと

たとえもともと男であったとしても、何もわからず気がついたときには自分が女だと認識したシンジちゃん。 彼女は男性としての意識に引っ張られながらも女性として生きているわけですが、さて、そうなると彼女は自分が女であるという認識の元に本人が考える女性はこうあるべきという規範に従ってしまっています。
そうするとどうなるのだろう、と考えると、案外ステロタイプに女の子をやるんじゃないかなあ、という。
コメディパートではその傾向と意識のギャップ、女の子といっしょに着替えるのは当然としながらもやっぱり恥ずかしかったり、時たま上げることになる叫び声だとか、彼女の思考パターンは自分が女であるという認識と状況に対する男としての意識のせめぎ合いになっています。しかし時間経過と経験によってだんだん男としての気恥ずかしさはなくなっていくのですけれど。

台詞の小話

叫び声以外のほぼすべての台詞において、シンジちゃんの台詞は女言葉を使ってなかったりします。 女になるわ性格変わってるわで元の面影が余り残っていない中でのせめてもの同一性の向上のための抵抗といったところ。 ……しかしオリキャラ化が進んでるなあ、困った。

娯楽作品として

自分のプロットの中で常に目に付くところに置かれているのが、『この作品はエンターテイメントです』という一言。 深いテーマよりも、楽しんでもらえることを重視している訳ですが、果たしてうまくいっているかどうか。
もともと自分はどんな物でも大抵は面白かった、といってしまう口で、今書いているFFにしても別に原作が気に入らないからとか言うわけではなく、これだけ二次創作が溢れている作品だから少し間借りして遊んでもいいかな、というのが本音だったりします。

きっと影響を受けてる作品

好きな作品はいろいろありますが、今書いているものに色濃く影響している(かつ王道な)のはこの辺でしょうか。

典型と揺らぎ

エヴァンゲリオンのFFにおいての一大ジャンル、逆行/再構成。 これの典型的パターンはEoE後の赤い海から始まり、第壱話冒頭の駅のシーンに戻ってくる、というものです。 本作品もほぼこの例に倣っていますが、以下の点からEoEのシーンはカットし、逆行地点も曖昧にしてあります。

とはいえストーリー自体は駅前から始まっているようなものです。 これは作者の想像力の欠如もありますが、状況の理解しやすさという意味においてはやはりこのシーンからが便利だという判断もあります。
壱話冒頭からEoEに向けて時系列を追っていく長編再構成FFの形をとった上に、オリジナルの設定を殆ど与えず、すべてのぶれはシンジの違いのみであると言う設定で進めたために、多くのシーンが本編と似通っているという状況です。
これは読み手にとっては状況が把握しやすいという利点と共に、マンネリと模倣感を与える欠点となります。
そこで私が取った方法が以下の点。

要は似たり寄ったりのものをもう一回食べてもらうための味付けの変更といったところ。 もちろん初期に作った揺らぎは後半になるほどうねりが大きくなり、オリジナル展開も増えていくわけですが、そこまで持たせられているかどうか、というところでしょうか。

繰り返し

エヴァは繰り返しの物語であるといわれることがあります。 言われてみれば確かに繰り返し表現が多い。 なら自分もやれるだけやってみるか、ということで同じような構図がもう一回現れる、というのが幾つもあったりします。 原作の繰り返し表現を採用できないところでも他から引用してみたり、何とか状況を作ったりとかなり遊んでますねえ。

原作準拠?

執筆が進まないのでこっそりこっそり。
わかってはいるのですが、どこまで原作と同じ展開をさせるかというのは書き手として非常に悩ましい問題です。 原作と同じ経緯を辿るというならそれは贋作、盗作といった類の物と変わらないともいえます。 しかしあまりにも大きく逸脱するというなら、それは原作の設定を借りただけの別の何かになってしまう。 原作をなぞる形で展開する二次創作の場合、通常そこには何らかの変化が与えられる事になります。 その変化がどうストーリーに影響を与えるか、もしくは与えないのか、という点が非常に重要になります。 なぜなら、その変化こそが二次創作を行う動機そのものであるのですから。
拙作においては、既に書いている通り、シンジが女の子だったら、ということと、最後はハッピーエンドで、ということ、この2点のために書いていると言っても過言では有りません。 しかも優先順位は女の子>ハッピーエンドという何ともあれな状態です。 ついでにいえばはじめから女の子よりはTSシンジの方が・・・げふんげふん。 Migraineは特にシンジの設定が激しい事になっていますが、自分で言ってしまうのもなんですがストーリー上の変化はそう大きくありません。 当然と言えば当然で、どうしたいかというのは上記の通り、元々の原作も大好きな訳で、そのストーリーをあえて踏み外す事ができなかったとも言えます。 好きな物を土台にして好きなネタで遊んでるんだからそれでいいじゃない、と割り切れば、これでいいともいえますが、やっぱり近しい物を書き続けていると、同じ物のコピーを作っているという感覚が悩みの種になってたりするんですよね・・・。

言わないお約束

TSである必要なくね?とはいまさらいうまでもないことです。

2008/07/25