他人との相関性における一つの可能性


碇シンジは窮地に立たされていた。
彼が今いる部屋は惣流・アスカ・ラングレーのものである。
たとえ過去、彼の場所であったにせよ、現在そうであるという事実は変わらない。
そしてその現在の部屋の主は、入り口で仁王立ちしていた。

アスカの部屋にシンジが入っていた、というだけで半殺しは免れない。
だがそこに輪をかけて、全殺しにすらなりかねない状況だった。
なぜなら彼は、こともあろうに彼女の洋服――もちろん女性物である――を身に付けていたのだから。



事の始まりは彼の悪友の、突飛な相談からだった。

「碇、モデルになってくれ」

彼の名は相田ケンスケ、趣味の一つは写真撮影である。
この男が小遣い稼ぎに盗撮まがいの写真を売りさばいているのは暗黙の事実という奴である。
当然撮影対象は女子生徒であり、購入者はその殆どが男子生徒だった。
その中でもアスカの写真は絶大な人気を誇り、彼の懐を暖めてくれていたのだが。
写真販売の事実を当人に知られてしまったのだ。
フレームの中の美貌とは裏腹に激しい気性を持つこの少女により、フィルムをすべて没収された上に撮影まで禁じられてしまい、その売上はがた落ちになってしまったという。
だからといって男を被写体に選ぶというのは間違っている気がしないでもないと思うシンジだったが、利益の半分を分け前としてくれるという話に、つい乗ってしまったのだった。

だが指示された撮影場所に行くと、渡されたのは壱中女子制服。

「こ、こんなの聞いてないよ!」
「まあ良いから着てみろって、似合わなかったら撮ったりなんかしないしさ」
「似合うわけ無いだろ!」
「ま、いいからいいから」

生来から押しの弱いシンジである、ケンスケになだめすかされ、しぶしぶながらも着替えてしまった。
女子の制服に身を包んだ彼の姿はボーイッシュな女子生徒そのもの。
もともとの細身に女顔、おどおどと恥ずかしげな様子も相まって中々の美少女振りである。

「うーむ、このまま撮っても売れるんじゃないか?」

そう言うケンスケだが、彼の企みは終わらない。
どこで用意したのか、化粧道具一式を取り出すと、抵抗するシンジに強引に化粧を施していく。
さらにぱさりとウィッグをかぶせて、できあがり。

「……シンジ、笑ってみろ」
「こ、こう?」
「もっと強気な感じで、小馬鹿にしたように」
「難しいな……」

そういいつつも注文に律儀に答えるシンジ。
その姿にケンスケは思わず、おおっ、と声を漏らす。

そこにいたのは勝気で不敵な笑みを浮かべる、金髪の美少女。
惣流・アスカ・ラングレーと瓜二つの人物が出来上がっていた。

「完璧だ!」

名付けてアスカ影武者計画。
撮影により強化された彼の観察眼は、二人の顔のつくりの奇妙な類似に気が付いていたのである。
だがここまで完璧に仕上がるとは、自らの化粧の技術とシンジの恐るべき女顔に畏怖する思いであった。
ともあれこれで撮影できなくなったアスカ本人に変わり、完全なそっくりさんによる写真の販売が可能になる。
しかも盗撮ではない、好きな場所、ポーズで取れる素晴らしい写真集だ。
後はシンジがどこまでやってくれるかだったが。

あれほど嫌がっていた本人が、意外にも乗り気であった。
実は此間アスカに愛用のS-DATを壊され、買い替えのための資金調達と彼女への意趣返しを同時に出来るという誘惑が彼にそうさせたのであるが、ケンスケにとっては渡りに船。
裏事情などお構いなし、これまでの鬱憤を晴らすかのごとく撮りまくったのであった。



計画は大成功であった。
以前の積極的な購入者たちは、金髪少女の写真の新規入荷の報を聞き、すぐさま殺到したのである。
今までの盗撮のような写真とは違い、よく練られた構図の数々。
なのに他と変わらない良心的な値段設定。
”金髪少女”の写真はまさに飛ぶように売れ、ケンスケとモデルの人物の懐を暖めたのだった。

人間こうなると欲が出てくるものである。
第二段と銘打って出された写真集は、前回より更に際どく、過激に、時にあどけなく、男どもの欲望を喚起するものに仕上がっていた。
それらの写真からは当初の嫌がっていたシンジの姿など想像することすら出来ない。
当然売上もウナギ登り、二人の悪乗りも益々ヒートアップしてしまった。

「次は、私服だな」

そういったケンスケに頷くシンジ。
一回目、二回目と女子制服で撮ってきたが、そろそろこれだけではマンネリである。
更なる需要を喚起するためにも、私服での撮影が望ましかった。
そこへシンジの、悪魔の提案が重なった。

「アスカの服、借りちゃおうか?」

あの碇シンジが、なんということを言い出したものか。
あまりの写真への反響と、まったくばれていない事に気を良くした彼は、相田ケンスケ以上にこの計画にのめり込んでいたのである。
とある一件以来、二人は同じ保護者の下で暮らしており、彼女の部屋の入り口は襖一枚。
確かに彼の環境ならば実行可能なプランであった。
女子制服すら調達したケンスケである。
女物の服装の一つや二つ、たやすく入手するであろうが、やはりオリジナルの服装というのは特別なものらしい。
しかもシンジ自身の言い出したことだ。
誰からも咎められることなく、暴走した二人の計画は実行に移された。



そして日曜日。
朝からアスカは出かけていった。
ミサトさんも休日返上で出勤している。
この上ないシチュエーションという奴だった。
誰もいなくなったのを確認したシンジは、ケンスケに連絡をとった。
そしてこっそりと、アスカの部屋の前へ行き、ゆっくりとその襖を開ける。

多少散らかっているが、ミサトさんのそれに比べれば十分ましといえる状態のそこに、そっと踏み入れる。
いくら悪乗りしているとはいえ、彼も十四歳の少年、同年代の少女の部屋に無断ではいるという行為はためらいと興奮を覚えるものであった。
同居人の少女の姿を思い出したか、赤くなりながらも意を決して衣装棚を開ける。
そこにかけられた多数の洋服に思わず圧倒された。
こちらに引っ越してきたとき、彼女は収納スペースが少ないと嘆いていたが、確かに納得、追加の余裕などまったく無いほどぎっしりと色とりどりの服装が並んでいた。

その中で、ふとシンジの目にとまったもの。
それは淡黄色の、シンプルなノースリーブのワンピース。
アスカと初めて出会ったとき、彼女が着ていたものだった。
空母の甲板という吹きっ晒しの中そんなものを着ていた彼女は、物の見事に強風に煽られスカートが捲れ上がり、下半身とともにその下着――確か白だった――を堂々と露出した。
その強烈な記憶から、この服を手にとってしまう。

「これを、僕が着るんだ……」

彼女が着ていたという事実が、記憶が喚起する、倒錯的な想い。
いつもわがままで、気が強く、そして美しい彼女。
この服を可憐に着こなしていた彼女。
その彼女の、アスカの代わりとして、彼が、碇シンジが写真を撮られている。
そしてその写真を買っていった人々は、おそらくそれをアスカ自身だと思っているのだ。
彼らにとって、シンジとアスカは同一人物であり、その考えは彼自身に、自分がアスカと同等の存在として見られているという錯覚を引き起こしていた。

増長した倒錯感が、背徳感が、彼をその服に着替えさせる。
自らの服を脱ぎ捨て、その薄いワンピースに腕を、頭を通す。
部屋に立てかけられた鏡に、己の姿を映した。

まだ化粧もしておらず、かつらもしていない。
下着もパッドもケンスケが用意してくるので、当然まだない。
そこに映ったのは、女物の服装をしているシンジ自身の姿。
胸も平らで、髪も短い少年が、女の子の格好をしている。
以前の彼ならばそう見ただろう。
胸の無い、髪の短い少女が、女の子らしい格好をしている。
今の彼には、そう見えていた。
にっこりと微笑んでみる。
影武者として多数の撮影を経験した彼は、女の子らしく微笑む技術を会得していた。
全身を映した鏡の、その向こうの彼女がかわいく笑う。
だが少々色気が足りない。
いくら細身とはいえ、まっ平らな少年の胸ではそれは致し方なかった。
ケンスケがくるまでは完全な女装など出来ない、そう考えたところで、彼の中で、禁断の甘い一言が囁かれた。

そう、アスカの下着を使えば、何とかなるのではないか。
詰め物など何でも代用できる。
要は谷間さえ上から見えなければ、それなりに雰囲気が出るのではないか。

倒錯した自らの姿に酔っていた彼に、既に自制心は存在しなかった。
ごくりと喉を鳴らしながらも、目的の下着を求め、別の棚を開けていく。
幾つ目だろうか、順に開けていった衣装棚の中、ついに捜していたそれを発見する。
そこにはシンプルな白い物だけでなく、リボンのついた可愛らしい物、レースで飾られた際どい扇情的なものまでたたんで並べられていた。
再度喉を鳴らしつつ、その一つに手を伸ばす。
最もシンプルな、飾り気の無いそれを選んだのは無意識の良心だろうか。
だがこの下着は、確かに彼女がその肌に直に着ているものなのだ。
それを自分が身に付ける。
その妄想は、彼の心臓を限界まで脈打たせ、興奮を限界まで高めていた。

そう、だから気付かなかったのだ。
玄関の自動ドアの稼動する、圧搾空気の音に。
同居人が移動する、少々乱暴な足音にも。
この部屋の襖が、部屋の持ち主自身の手で開けられる、そのときまで。



「……知らない天井だ」

碇シンジは窮地を脱していた。
いや、その言い方は正確ではない。
正しくは、惨劇は終了した、であろう。
全殺しこそ回避されたものの、半殺しでは効かない程度にずたぼろであった。
彼の隣には、同じくぼろ雑巾のようになった眼鏡の少年が寝かされている。

事の顛末を洗いざらいシンジに吐かせたアスカは、そのまま彼を血祭りに上げたのだが。
間の悪いことに、ちょうどシンジの意識が空の彼方に飛び去ったところで相田ケンスケが二人の住居にやってきたのである。
勢いのままに呆然と立ち尽くしていたケンスケも再起不能に追いやると、そのまま彼の住まいに乗り込み、愛用のカメラにそのフィルムディスク、果てはPCまでもを二度と元の姿には戻らないよう叩き壊したのである。
こうして彼の悪巧みは、それで得た金額を大きく上回る損害を残して潰えたのだった。

なお、この後碇シンジは彼がきた服の弁償ということで、アスカのショッピングに散々つれまわされた挙句に、やはり得た利益をはるかに超えた額を購入させられることになる。
しかも何時の間に入手したのか、ケンスケが戯れに撮ったシンジ自身の女装写真を握られていた。

彼の受難はおわらない。